第8話 俺は彼女のおっぱいを知ってしまった…

 こ、これって、ど、どう考えてもヤバいよな……。


 高橋良樹たかはし/よしきは今、その手で触っていた。


 今まで揉んだことのない感触を、リアルに感じていたのだ。


 良樹の瞳には、メイド姿のナギがいる。


 四つん這い状態の良樹が、メイドのナギを押し倒している事で、彼女は身動きを取れない状況であり。今、この現状を第三者に見られてしまったら、どう考えても言い訳が難しいだろう。


「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくて」


 良樹は咄嗟に、彼女の胸から手を離す。


「……」


 ナギは無言だった。


 当の本人である彼女はただ頬を赤らめているだけで何も言ってこなかった。


「ご、ごめん……」


 メイド服の上からだとは言え、彼女のおっぱいを触ってしまったのだ。

 だからこそ、良樹は謝罪を口にした。


 だが、それが一番良くなかったと思う。

 謝ったのは良いことなのだが、口調は悪かった。


 良樹は慌てすぎて、普段通りの男性の声で発言してしまっていたからだ。


「……え?」


 床に背をつけ、倒れこんでいる彼女は目を丸くする。

 状況をしっかりと把握できないためか、目をキョロキョロさせていたのだ。




「……もしかして……」


 ナギはたどたどしく口を開いた。


 良樹は彼女から離れ、その場に立ち上がる。


「……男の人?」


 バレたか……。


「あなた、本当に男性なの?」


 床に押し倒されていたナギは、態勢を整え、その場に立ち上がり、良樹の顔を見つめてくるのだ。


 何も言い返せなかった。


 良樹は彼女の顔を見れなくなっていた。


「本当にそうなの? でも、どうして、女の子の恰好をして? ここにバイトなんて」


 ナギは半信半疑な口調だが、心の中ではすでにわかっているような顔つきだった。


 良樹はバイト終わり。今後の話をするためにバッグルームに戻ってきていた。

 普段は着慣れない靴を履いていたことも相まって、変なところで突っかかってしまい、結果として彼女を押し倒してしまっていたのだ。


 こうなったら、もうすべてを話すしかないよな、これ。






「そう、そうだったのね……」


 良樹の目の前の席に座っているナギは重いため息をはいていた。


「あなたは、お金を稼ぐために、ここでバイトをすることにしたと?」

「はい」


 良樹は事の経緯を話し終わっていた。

 テーブル前の椅子に座っている良樹は目先にいる彼女の顔色を伺いつつも、相槌を打ったり、適度に言葉を選んで返答を返していたのだ。


「でも、女の子の恰好をして恥ずかしくなったの?」

「それは、恥ずかしいですから」

「そんなにお金に困っていたの?」

「困っていたといいますか。どうしても、プライベートな事で必要だったので」


 メイド服を着用している良樹は、顔にメイクを施したままで、メイドのナギから疑問がられていた。


 まじまじと正面から見られていると、物凄く恥ずかしい。


 これ、黒歴史確定だ。


 今日の営業時間帯には知っている人が入店してこなかったことで、そこに関してはまだ回避できたと言えた。


「でもね、男性は働けないの。わかってるでしょ?」

「それはわかってます」

「知ってるのよね? だったらなぜ女装までして性別を偽ろうとしたのかな? 店長にはどういう風に伝えていたの?」

「それに関しては、俺の幼馴染の彩芽が話を通していたみたいで」

「じゃあ、この事は店長は知ってるってことね」

「そうですね」

「もう、あの店長って、そういうところは適当なのよね」


 ナギは頭を抱え、呆れがちな態度を見せていた。




「でも、バイトなら他にも色々とあると思うんだけど。どうして、このバイトに?」

「それは、さっきも言ったと思うけど。俺の幼馴染の彩芽って子がいて、その子からの紹介で」

「だとしたら、断ればよかったじゃない?」

「けど、当日知ったんだ。バイトがメイド喫茶だって」


 メイド喫茶だと予め知ってたら、絶対に断っていたと思う。

 思うというよりも、一般的な男性が好き好んで女装をし、メイド喫茶で働きたいとか。一部の性癖の人しかいないだろうから。


「まあ、そういう経緯なら。あなただけを責めるのはよくないね」

「すいません……俺のせいで。面倒かけてしまって」

「別にいいよ。それより、顔を洗ってきたら?」

「そうします」


 良樹は席から立ち上がると、バッグルームの洗面所のところで、メイクを落とすために顔を洗うことにしたのだ。

 その後でタオルで顔の水滴を拭う。


 普段からしたことのない化粧をしていたことで、洗い終わった後の解放感が凄かった。


 それと、このメイド服も脱がないとな。




「すいません。着替えてもいいですかね?」

「いいよ、私は廊下に出てるね」


 ナギはそう言って席から立ち上がると、部屋から一旦出てくれたのだ。


 良樹は三分ほどで着替える。


 良樹が入ってきてもいいですよと言ったところで、部屋の扉から三回のノック音が響いた。


 彼女はバッグルームに足を踏み込んできたのだ。




「……それがあなたの、本来の恰好なのね」

「はい」


 良樹は素の自分のまま、ナギと向き合った。

 嘘偽りなく、彼女に対し、本当の自分を晒したのである。


「……」

「どうしたんですか?」

「……」

「大丈夫ですか?」

「え、いいえ。なんでもないから……」


 ナギの様子が若干おかしかった。

 反応が妙に遅かったのだ。


 何かあったのだろうか?


「あの……」

「な、何でしょうか?」

「というか、あなた、男の子だったんでしょ?」

「はい」

「だからさ、さっき、私の触ったでしょ?」

「……そ、そうだね」


 良樹は一瞬、脳裏をよぎる。

 ナギのおっぱいの大きさや、その感触が手の平全体に記憶として鮮明に蘇ってくるのだ。


 おっぱいって、あんなに柔らかかったのか……。


 人生初めての経験である。


「ねえ、聞いてる?」

「え、す、すいません。聞いてます」

「なら、いいけど。責任を取ってもらうから!」


 温厚な彼女が豹変し、良樹の顔をまじまじと睨んでくる。


 それでも可愛らしい立ち振る舞いをする彼女からは嫌味な印象を受けることはなかったのだ。


「責任? ど、どういう風に?」

「私と付き合ってくれればいいわ」

「付き合うっていうのは、どういう意味で?」

「なんていうか。友達というか、そんな感じ」

「友達か」

「ダメなの?」

「いや、それでいいよ。友達ね。わかった。責任はとるから」


 良樹は慌てた感じに言葉を選び、焦った口調で言う。


「じゃあ、今日からよろしくね」


 ――と、メイド服姿のナギから、手を差し伸べてきたのだった。

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