ボクと鬼ごっこ
「どこだ? 盗人め」
どこからか、小さな声が聞こえたような気がした。聞き覚えのある乱暴な口調だ。
ボクは慌てて周囲を見回す。だけど、周囲には誰もいない。
平日の夕暮れ時の神社の参道には、人影は見えなかった。
ため息をつきながら、ボクは鳥居の影にうずくまる。
とにかく疲れた。空耳の1つや2つあってもおかしくないくらいには。
それもこれも、ナナコとかいう、駅の改札口で出会った奇妙な男の子のせいだ。
駅を後にしたボクは、あの子の追跡を逃れるため、30分以上走り続けた。
駅の裏路地。さびれた商店街の脇の細道。ゴミの散らかった道路……。
とにかく、人通りの少ない道を選んで走った。
だと言うのに。
どこに行っても、あの奇妙な男の子に見られているような気がしてならなかった。
お客を待つタクシーの運転手。開店準備をする居酒屋の店員さん。犬を連れて散歩するおばちゃん。
道中、すれ違った様々な人の視線に、あの威圧的な光が見えた気がしたのだ。
もちろん「そんなバカな」とは思う。だけど、ボクは反射的に、その光を避けて、逃げて走った。
その結果が、神社の鳥居の影にコソコソ隠れている――今のボクというわけだ。
江戸時代の商人の古い町並みが保存されているという、地元の観光スポットの中にその神社はあった。だけど、平日の夕暮れ時だからか、人影は無い。
それなのに。
「だから、オレを75番って呼ぶなよ。番号呼びは嫌いだっつったろ?」
空耳なんかじゃない。先ほどと同じ乱暴な口調の声が、確かに聞こえる。
「それで、ゴロ―。本当に神社の方向で間違いないのか?――何? ミヨからの目撃情報だって? アイツ、タクシードライバーのくせに方向音痴だろ。信じていいのか? ――なるほど、イチヤが散歩中に同じ方向で見たのか。じゃあ、大丈夫だな」
ナナコとかいう声は、次第に大きくなる。どんどん近付いているんだ。
だとすれば、変だ。
ボクは鳥居の影に隠れたまま、再度周囲を見回す。
前、後ろ、右、左――。
どこを見ても、誰もいない神社の参道があるだけだ。
一体、どこにいるんだ?
「ゴロ―、店に戻ってくれ。もう大丈夫だ」
姿なきナナコの声が、誰もいない参道に静かに響いた。
「盗人を見つけた。今から降りる」
降りる? 降りるって――まさか、上か?
とっさに、視線を上に向けたのが間違いだった。
突然、ボクの視界は、どアップになった子供用スニーカーの裏で埋め尽くされる。
(あぁ、なるほどね)
ナナコのスニーカーの裏の泥を見ながら、ボクは一瞬で理解した。
(こいつ、鳥居の上から降りてくるわけか。で、着地点は――)
直後。
ナナコは、黄色い子供用スマホを片手に、僕の顔面に鮮やかな着地を決めた。
バランスを崩し、仰向けにひっくりかえるボク。
倒れた拍子に、ボクの懐から転がり出たのは、白いビロードの小箱だった。
(これは、ダメだ)
ジンジンと痛む顔面を庇いながら、ボクは小箱に向かって手を伸ばす。
(これは、ボクが持っておかねば)
でも、ボクの指より先に、小さな手が小箱に届いてしまう。
白い小箱はナナコの手の中に収まったのだ。
(返せ!)
石段の上を這いつくばりながら、ボクはナナコに向かって唸った。
同時に、ナナコにとびかかりそうな勢いで手を伸ばす。
その瞬間。
黄色い帽子の下から、あの威圧的な光を放つ目がボクを睨んだ気がした。
瞬きすると、小箱に向かって伸ばしたボクの手は、空を掴んでいた。
目の前には、誰もいない神社の石段があるだけ。
あのガキ、どこに行ったんだ。
慌てて周囲を見回すボクの頭上に、パラパラと砂が降ってきた。
それだけじゃない。
「お前さ、どうするつもりだったんだ?」
平然としたナナコの声も降ってきた。
見上げると、鳥居に腰かけたナナコの姿があった。ムカつくことに、小箱についた砂をのんびりと手で払っている。
こいつ、鳥居までジャンプしたのか? 一瞬で? 大人3人分は余裕である高さなのに?
何者なんだ、この子は。
ボクは歯ぎしりしながら、ナナコを見上げることしかできなかった。
「お前さ、なんで、あの兄ちゃんから、この箱を盗ったんだよ?」
そんなボクを見下ろして、ナナコは悠然と問いかける。
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