第9話 家庭教師
ヘロンの屋敷に来てはや数日、セラフィーナはすっかり今の生活に慣れていた。
「お嬢さま、起きてください。もう太陽は昇っています」
「ん、んんっ。ねむい……」
「起きてください」
起こしに来てくれた侍女に肩を揺すられるが、セラフィーナの瞼が開くことは無い。
ぽかぽかと暖かい空気とふわふわのベッドがさらに眠気を誘うのだ。
「……困ったわね。今日はお嬢さまの家庭教師がいらっしゃるのに……」
「んん? かてい、きょうし……?」
ゆらゆらと夢のなかをさまよっていたセラフィーナに聴き逃せない単語が落ちてきて、少しだけ脳が覚醒する。
実をいうとセラフィーナは家庭教師が来る日を楽しみにしていたのだ。
重い瞼を擦りながら問いかける。
「きょう、ほんとに、くるの?」
「はい。ヘロンさまからそう伺っておりますから」
「……わかった」
まだぽやぽやとするがセラフィーナは侍女に支えられながら体を起こす。
用意されたぬるま湯で顔を洗うと幾分か目が覚めた。
「ばんざいしてください」
「んー」
パジャマを脱いで室内用のドレスに着替える。室内用のドレスは外出用と違って重くなく、とても過ごしやすい構造をしている。
髪を梳かしてもらい、可愛くハーフアップにする。赤いリボンを付ければ完成だ。
「朝食を食べに行きましょう」
「んー、とうさまは?」
「ヘロンさまもこの時間帯なので食堂に向かわれているかと思います」
「……わかった」
まだ眠い瞼を必死に開けて食堂に向かう。朝というのはお昼の時間と比べて使用人たちがバタバタと忙しなく動いているときだ。
通りかかる使用人たちの魔力やほかの魔力を感じていると自然と目も覚めてきた。
(はじめに感じていた通り、この屋敷には───)
いつか確認しようと屋敷内に目星をつけて食堂に着く。そこにはすでに着席していたヘロンがセラフィーナを待っていた。
「父さま! おはようございます」
「おはようセラフィーナ。今日もかわいいな」
「ありがとうございます。父さまは今からお仕事ですか?」
食堂にある長いテーブルにはヘロンが座っている椅子しか準備されていない。けれどもこれは決してセラフィーナを虐げているのではなく、準備する必要がないから用意されていないのだ。
とてとてとヘロンの元に向かうとセラフィーナは腕を広げて万歳の姿勢をとる。するとヘロンはセラフィーナを抱き上げて膝の上に置いた。
ここがセラフィーナの椅子なのである。たった数日しか経っていないのに、ヘロンやセラフィーナはもちろん、この屋敷にいる使用人たちの周知の事実となっていた。
「そうだ。今日は魔物討伐に向かわないといけない。帝国西部に魔物の群れが出没したんだ」
「出没? スタンピードでも起きたのですか?」
「いやそうではない。おそらくその周辺に魔鉱石が埋まっていてそれに集まってきているのだろう」
「ふーん。でも魔鉱石を狙ってきているのなら上級の魔物もいそうですね」
頭を撫でられながらセラフィーナは答える。
「魔鉱石は魔力が込められた不思議な鉱石。それを魔物を取り込むと巨大化し暴走状態に陥ってしまいます。魔物は本能的に魔鉱石を狙っているだけにすぎませんが……」
言葉を置いてしばし考える。
(200年前にも魔物はいたわ。でも───魔鉱石を使って作為的に魔物たちを人々に襲わせようとした者たちもいたのよね)
国同士の戦争に魔物という驚異的な兵器を導入しようとしたのだ。魔物は意思を持たないため従わせることはできないが、魔物本来が持つ本能を利用して国を襲わせていた。
「いま1度帝国内の魔鉱石が眠っている鉱山の警備を強化しておいた方が良さそうですね」
「その通りだ。……そのせいでセラフィーナと会う時間が減ってしまうが……」
「寂しいですがお勉強しているので大丈夫です! お仕事頑張ってください」
なにせ家庭教師が来て今日から本格的な勉強が始まるのだ。ちょっと前までは空いている時間にヘロンから教えて貰っていたが、すぐに七賢人の仕事が入り、思うように学習できていなかったのだが現状だ。
それをヘロンも分かっているから眉を下げるだけでそれ以上、なにも言わなかった。
ヘロンのお膝の上で朝食を食べ終わり、それぞれが次の予定のために準備を進める。
セラフィーナは一度部屋に戻って家庭教師が来るまでの間、魔術の訓練を兼ねてしばし遊ぶことにした。
「じゃあ家庭教師の人が来たら教えて。それまでお部屋でお絵描きしてるから」
「かしこまりました」
いちごの果実が入った牛乳を持ってきてもらい、扉を閉じる。ふわふわの氷が表面に乗っているいちご牛乳は甘くて子どもの舌には絶品なのだ。
ひとくち飲んで甘さを堪能すると、そこからはセラフィーナの独壇場だ。
「いでよ! もふもふ!」
手始めとしてこの前魔術で作り出した猫やうさぎなどの動物をもう一度顕現させる。
これは断じて私欲のためにやってるのではない。
「魔力操作の基礎ができているかの確認なのよね。こういった魔術の組み合わせで基礎というのは分かっちゃうから───ああ、癒されるぅ〜」
ちょっと大きめの動物たちも一緒に創ったため彼らに背中を預けて、小動物たちをお腹に乗せる。
シルクのように肌触りのいい毛並みは一生触っていられそうな程だ。
「……はっ! いけない、このままじゃこれだけで時間が過ぎてしまうところだったわ。せっかく一人になったのにもっと別の魔術も実験してみないと」
でもだからといってこのもふもふから体を起こすのは億劫だったため、結局は体は寝かせたままの状態だ。
「爆発する系の魔術はさすがに結界を張っていても危険だから……戦闘向けじゃないけど───」
術式に魔力を込めて空中へと放つ。すると黄金色の羽や花びらがひらひらと室内を舞い始める。
セラフィーナはそれに触れようとすると待っていたものはスっと虚空に消えていく。
「即席の魔術は成功みたい」
セラフィーナの趣味は魔術に関するものすべてが該当となる。どんなにくだらない魔術だとうと為になる魔術だろうと等しくセラフィーナにとっては魔術だ。
だから魔術に関する研鑽や知識の蓄えは決して怠らない。
前世でも時間があれば魔術の研究ばかりをしていた。
「さすがに一週間寝ずに研究し続けていたときは周りから止められたけど」
その結果の魔術が色とりどりの花を出すものだったときは明らかにがっかりされたことは未だにしっかりと覚えている。
「なにも敵と戦うためだけの力じゃないのよ、魔術は。人を幸せにする力を持っている───反対もまた、然りだけれど」
嫌なことまで思い出してしまい、セラフィーナは過去の回想はここまでにした。
「じゃあ次は───」
なにか物質を生み出してみようかと思っていたとき、扉はノックされた。
「お嬢さま、家庭教師の方が来られました。応接室にご案内しております」
「わかったわ。いま行く」
魔力を込めていた術式を解いて、同じく動物たちの魔術も解く。ついさっきまでいた動物たちがいなくなると、なんとも大きい部屋のように感じてしまった。
「でも元から大きかったから」
せラフィーナは準備していたカバンを肩から斜めに提げて鏡を見る。
少しだけ癖のついた髪を櫛で整え、服装も確認する。シワがないことを確認すると、セラフィーナは部屋の扉を開けた。
「お待たせ」
「おくつろぎのところ、申し訳ございません」
「大丈夫。お絵描きしてたから。それに家庭教師に会えるのを楽しみしていたし」
侍女はセラフィーナの格好を注意深く観察し、問題がないことを確認するとゆっくりと前を歩き出した。
セラフィーナもそれに従って歩き出した。
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