第8話 美味しいごはん



ヘロンの授業が終わってしばらくしないうちに、セラフィーナの部屋の扉はノックされた。


「?」

「おそらく食事の準備が整い、俺たちを呼びに来たんだろう」

「もうそんな時間なのですか?」

「まだ腹が減ってないのか? それなら少し遅らせるが……」

「お腹は減っています。ただもうそんなに時間が経ったのだなあと」


お昼過ぎくらいにヘロンに養女にして欲しいと喫茶店に突入し、高級ブティック店で服を誂え、屋敷に到着した。


怒涛の一日だったと言えるのではないだろうか。


「まさか父さまに親バカとしての素質があったとは出会った当初は想像もつきませんでした」

「俺もこんなに娘が可愛いと思うとは思っていなかったな」


ヘロンは流れるようにセラフィーナを抱っこして扉へと向かった。


もちろんセラフィーナの腕にはもふもふのぬいぐるみがしっかりとある。


ヘロンが扉を開けると、そこにはついさっき会ったばかりのクリスがいた。


「食事の準備が整いました」

「ああ今行く。それよりもセラフィーナの椅子はどこに準備したんだ?」

「ヘロンさまの向かい側に準備いたしましたが……移動しますか?」

「セラフィーナは膝に乗せて食べるから、食器だけ俺の席に移動してくれ」

「かしこまりました」


クリスはセラフィーナたちよりも先にその場を離れた。二人が来る前にヘロンの要望通りにセッティングし直すのだろう。


「さすがに膝の上は邪魔じゃありませんか?」

「子どもの成長というのは早いと聞いたことがある」

「……?」

「今のうちに幼いセラフィーナを可愛がらなければいけない」

「……そうですか……」


セラフィーナはぬいぐるみに顔をうずくめて思考を放棄した。



ヘロンの抱っこで屋敷のなかを歩き回っていると、使用人二人が扉の前で待機していた。


恐らくあそこが食事をする場所なのだろう。


使用人はセラフィーナたちが来るとゆっくりと扉を開けた。


「! ご飯がきらきらしてるっ……!」


開けられた扉のなかには決してスラム街で見ることない食べ物たちが並んでいた。


ほかほかのスープにキラキラと輝くお肉たち。お花の形をしたパンはこんがり焼き色が付いていてぱりふわの予感しかしない。その他にも色鮮やかな野菜はセラフィーナが食べやすいように可愛くカットされている。


つまり何が言いたいのかと言うと、どれも美味しそうだということだ。


「ははっ、そうか」

「父さま、早く食べましょ!」


すっかりご飯に夢中のセラフィーナはヘロンに早く席に着くように急かす。ヘロンは用意された奥の席に座るとそこにセラフィーナを乗せた。


「あっ……」

「これは食事が終わるまでここに置いておこう。でないとセラフィーナも食事ができない」

「……はーい」


セラフィーナの胸にいたクマのぬいぐるみは呆気なくヘロンに没収された。そのせいでつい声が出てしまった。


クマのぬいぐるみは招待客のようにクリスによってセラフィーナの横の席へと座らされている。


「それでは神の恵みに感謝して、いただきます」

「いただきます」


ヘロンはさっそく一番前に置かれたローストビーフをナイフで細かく切り、セラフィーナのお皿へと移していく。


席に座ってからローストビーフをずっと見ていたことがバレていたのだろう。


「本来なら野菜から食べるのが好ましいが、今日くらいはセラフィーナの好きなものを食べていこう。ほら口を開けて」


自分で食べようとフォークを持ったセラフィーナだったが、その前にヘロンがフォークでセラフィーナの口元にローストビーフを運ぶ。


セラフィーナは大人しく口を開き、ローストビーフを迎え入れた。


「!」

「美味しいか?」


あまりの衝撃にセラフィーナは口元を手で押えながらヘロンの質問に大きく首を縦に振った。


その様子にヘロンは優しそうに笑う。けれどセラフィーナはそれどころではなかった。


(お肉ってとろけるものなの!?)


前世でも食べたことなどない。魔術師のレベルは下がっても料理人のレベルは上がっていたのかもしれない。


セラフィーナはこくんと飲み込むと、同じくローストビーフを食べていたヘロンを見上げて言った。


「父さま! お肉がとけてしまいました! こんなの初めてです!!」

「んんっ! そうか、それは良かった」

「はい!」


突然見上げてしまったせいでヘロンはむせていたがセラフィーナはどうしてもこの感動を共有したかった。


(すごい! 他にはどんなものがあるの!?)


すっかりと胃袋を掴まれたセラフィーナだった。



そのあとも、ぱりふわのパンや身がホロホロの煮込まれたお魚を食べてセラフィーナは感動していた。


「こんな美味しいご飯を食べさせてくれて、ありがとうございます! 父さま」

「美味しかったのなら良かった。……まさかこれほど食べるとは思っていなかったが」

「これから私がすくすくと成長する証なのですよ!」


ヘロンに分けてもらった料理をセラフィーナは余すことなく食べきっていた。ヘロンはセラフィーナの好みを知るために全種類を少しずつ分けていたが、それでも十分な量がある。


それを見事に平らげたのだ。セラフィーナに食事を与えていたヘロンも周りで見ていた使用人たちもそれにはびっくりだった。


(人体の不思議を感じるわ)


満腹になって満足したセラフィーナだったが、最後に運ばれてきたものを見てその料理分、綺麗に隙間が生まれた。


「冷たい……?」

「これは氷菓子だ。セラフィーナは初めてか?」

「はい」

「これは一度食べるとハマってしまうぞ」


器に触れるとひんやりと冷たい。だけど触れた部分からじんわりと溶けている。


セラフィーナはスプーンで氷菓子を掬うとそれをゆっくりと口に運んだ。


「ん!!」


またしても驚きが走った。


冷たいのに甘くて、だけどすっきりとしていて。重くなくて食べやすい。


「おいしい!」


前世にはこれもなかったものだ。恐らくこれは氷魔術を応用して作った料理なのだろう。


(ここで働いている人たちならできそうなことね)


ここまで絶妙な硬さと柔らかさを作り出すのは至難の業だったに違いない。これを作った人は間違いなく天才だと、セラフィーナは思った。


「セラフィーナはこの氷菓子が気に入ったようだな」

「はい! ブティック店で焼き菓子は少しだけ食べましたが、これはそれ以上に美味しいです」

「なら明日も作るように言っておこう」

「嬉しいです! 明日が楽しみですね」


氷菓子を口に入れて溶ける感触を楽しむ。このすっと溶けるのがたまらない。


「父さまがハマるって言っていたの、とっても分かります。これはハマります」

「そうだろう? だがこれには欠点があってな」

「欠点?」


こんな美味しくて楽しい食べ物に一体どんな欠点があるというのか。


セラフィーナが氷菓子を食べ進めていると、ヘロンは頭上からとても恐ろしいことを言った。


「これにはとても多くの砂糖が使われている」

「え……つ、つまり……」

「ああ、食べすぎると、確実に太る」

「なんて、恐ろしい」


しかも食べきった後にそれを言うのか。セラフィーナは抗議を入れたくなったが、そんなことしても無駄だと思い、せいぜい太らないことだけを祈った。


「まあ今のセラフィーナは太った方がいいと思うが。やはり毎日食べたほうがいいな」

「そんな薬のように言わないでください。どうするんですか? そんなこと言ってぶくぶく太ったら」

「セラフィーナはどんな姿でも可愛いから問題ない」

「…………」


なにか言い返すのすら面倒に思ったはこれが初めてだと思った。


「うれしい言葉です。でもぶくぶくは太りたくないので、健康体型に戻ったら氷菓子は自粛します」

「可愛いと思うが」

「そんな状態で七賢人になりたくはないので」


セラフィーナの体型維持ダイエットが始まるのはそう遠くない話かもしれない。




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