銀河の一粒

@BuKkiRaBoU

墓前

男は、高校を卒業したのち、一年ほど実家で暮らした。


「いいかげん働きなさい」

ちょうど卒業から一年の日に両親からそう言われ、父親の知り合いの町工場に世話になることになった。


会社には社宅があった。四畳半ほどの狭い部屋にベッドが一つ、それに流し台がついた台所があった。

決して、快適とは言えなかったが、思春期からの一人暮らしへの欲求が、男を駆り立てた。


工場での待遇は、決して悪くはなかった。父親とのコネクションも関係していたのだろうが、基本的に穏やかな性格の場だった。


そんな新生活にも慣れた、十一月の初頭。その、早朝。


5分前にスヌーズしておいたスマートフォンのアラームが、けたたましく鳴った。

無言で、ベッドの脇をまさぐり、スマートフォンを手に取る。


男は、目を覚ましてSNSを二、三確認するのがルーティンだった。


しかし、この日は違った。

アラームを解除し、メールアプリを起動する。


【有給取得のお願い】


慣れた手つきで指を滑らせて、その後文面を打ち込む。


一旦の区切りがついて、男は今日初めて口を開いた。

「はあぁ~」

深い、深いため息。

なかなか決心がつかず、送信ボタンが押せなかった。


何度か消したり、また書いたりを繰り返しながら、俄かに、何か決心したのか、送信ボタンに親指を重ねた。


無事メールが送信されたのを確認し、すぐさま電源を落とした。

今日は、スマホは使わないと決めていた。


ゆっくりと立ち上がり、洗面台の前で着替える。


一通りの支度が終わり、台所の流し台で顔を洗ってから、男は自宅を後にした。



事の始まりは、高校のときだった。


唯一の友であった、その男の子が、交通事故で帰らぬ人になった。


突然だった。学校に行けば会えると思っていた。

しかし、彼の席は空白のまま、そこに彼が座ることは二度となかった。



「その本、読んでくれたんだ」


銀河鉄道の夜。

男は、学生時代、いつも一人で読書をしていた。


そんな姿を哀れんだのか、彼は男に度々話しかけることがあった。


「ああ、なんか、いいね。なんか。」

男の返事に、彼は満面の笑みを浮かべた。

「僕、この本ずっと好きだったんだ。だって、この本を読んでると、――――子供の頃に戻ったようなそんな気がしてくるんだ。」



男は、そんな彼の墓へ、ふと立ち寄ることを決めた。


地元へ帰るのは、正直気が進まなかった。地元でどう過ごしていたかを忘れてしまっていたからだ。

まるで、知らない土地へ行くような、そんな感覚だった。


彼の墓は、自宅から電車で一時間ほど離れた小高い丘の上にあった。

途中、買った花を持ちながら、ゆっくり時間をかけて丘の上まで登った。

「やっと着いた。」

高台から望む景色は、青々とした田圃と山々が広がっていた。その風景に、男は学生時代を思った。


「これでよし。」

持参した花を飾り付け、線香を灯す。

「久しぶり。」

しばしの沈黙の後、男はそうつぶやいた。

線香の匂いと煙越しに見える彼は、笑っているようだった。


「正直、俺はあの本が嫌いだったんだ。何もかも理不尽で、けれど主人公は決して歪んでなくて、その現実と理想の乖離がたまらなく不快だった。」

男は、男の人生がありふれたものであることに不満を覚えていた。


「だから、お前が死んだとき、もちろん悲しかったけど、それと同時に何かが起きてくれた、そんな喜びがあったんだ。」

男は、かつての友の墓の前でそう吐露した。

「きっと、悲劇が起これば、気色の悪い俺の人格も肯定されるんだって。」

男は、ありったけの懺悔をした。

それは、友の墓の前だからなのか、それとも男の本質なのかはわからなかった。


「でも、そうはならなかった。やがてお前の死は受け入れられ、存在が消え去っていく。それでやっと、僕はあの本が嫌いじゃあなくなった。」


男は鞄をあさり、一冊の本を取り出した。

「面白かったよ、『銀河鉄道の夜』。」

そう言って、男は友の墓を後にした。



『銀河ステーション 銀河ステーション』

ほんとうに、誰かに話しかけられた感覚があり、男ははっと目を覚ました。


ガタンゴトン、ガタンゴトン。


「次は~」

到着を知らせる、アナウンスが鳴った。

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