10作目(設定資料)
あお
『あした靴下を買いに行くことになったワケ』
「ねえ咲良(さくら)」
「なんですか、あさひ先輩。ラーメンは真剣勝負なんです。無言でさっさと食べましょう」
「それがさ……」
麺を半分ほど食べたところで私は気づいてしまった。
「現金、忘れたわ」店主に聞こえないぐらいの声で咲良に囁くと、
「……マジですか? あさひ先輩のおごりって聞いてたので私は財布持ってませんよ?」
「ここ、電子決済は?」
「現金オンリーです」
「やっちまったね」
The・Meritocracy Identity Social System.
能力や実績に基づき個人が評価される社会システム――通称、THE.MIS(テミス)が稼働してから世の中はA~Dで人をラベリングするランク社会になってしまった。
社会的強者はAやBランク、一般層はCランク、そして底辺・弱者はDランクに分類されている。
Dにもなれば所得や税金、信用面でも不利になるし、お菓子や野菜をスーパーで買う時に割り引きを受けられなかったりするのだ。
そんな社会に不満を持つ人たちに対抗する、治安維持組織である《バランス》に私たちは《プリベンター》として所属している。
この間は反テミス派による大規模テロがあって、私とさくらは犯人の天堂を捕まるのに必死だった。
その事件も私たち現役JKプリベンターによって解決され今は比較的平和になった。
今日は春休みで平日の午後二時半近く。
空いている時間を狙って、行ってみたかったラーメン屋に咲良をさそって来たはいいものの、食べてる途中で現金を忘れたことに気づいたのだ。
「咲良、どうしよう」
チラリと店主へ視線を向けると彼は両腕を組んで店のテレビを眺めている。こちらの異変には気づいてないようだ。
「素直に『お金忘れたんでATMで下ろしてきていいですか?』って聞いて一人が行けばいいんでしょうけど……」
「でも身分証明しないといけないよね」
「最後の手段にしたいですね。私たちの“立場”もありますし」
テミス社会では誰もがソーシャルグラスというメガネをしていて互いにランクを確認しながら生きている。人の言葉よりも割り当てられたランクやスコアが絶対的な指標なのだ。
それに私たちは女子高生とはいえ最高のAランク者が集う《バランス》のメンバーだ。未遂とはいえ、間違っても無銭飲食をイメージさせることはあってはならない。
例えるなら警察官が歩いている民間人に「お金貸して」と言うようなものだ。
「立花(たちばな)さんに電話してみたらどうです?」
「メッチャ怒られるだろうなー。『なにやってるバカ』って怒鳴られるのが目に見えるよ――と、そうだ」
「なんですか」
「電話するフリして外に私が出る。んでダッシュでATM行ってくるってのは?」
コンビニまでダッシュならすぐ。悪くないプランだ。
「それでいきましょう」
咲良が気を利かせて私の携帯にコールすると店内に着信音が鳴り響いた。
「あー、電話だー」と店主に聞こえるようにわざとらしく言った。
「すみません。ちょっと外出てきてもいいですか?」すると店主は、
「今は誰もいねーからここで出てもいいぜ。それにしてもねーちゃんの着信『津軽海峡・冬景色』なんて渋いねえ。オレも大好きでよぉ。ほら、遠慮しないで」
「は、はぁ……ありがとうございます。も、もしもし――って切れちゃいました」
小さくため息をついて咲良は頭を横に振る。作戦失敗。
私は席に戻ると、麺をひと啜りして、
「プランBを実行する」
「あるんですか?」
「ない。とにかく店の外に出たい」
「ですね。でもどうします?」
テーブルを見渡すと、調味料の横に爪楊枝の入ったケースがあった。
一本取り出してゴクリと唾を飲み込むと、指先にブスリとそれを差す。
「先輩!?」
突然の行動に慌てた咲良。その声を聞いて店主も「どうした?」と視線をテレビからこっちに向ける。
「あいたたた……怪我してた傷が開いちゃったー。すぐに絆創膏を買ってこないと!」すかさず咲良も、
「すみません。そこのコンビニで買ってきていいですか? 一人残るので。すぐ戻りますから」
すると店主は後ろの棚を開けると、さっと絆創膏と消毒液を取り出して、
「使っていいぜ。オレの商売もよく怪我するからよ」
受け取った咲良は私にそれらを渡してくる。
「先輩。良かったですね……」
「あはは、ありがとうございます」
「立花さんに連絡しましょう」
「……そうだね」
しかしメッセージは五分経っても、十分経っても既読にならない。電話をしようにもまた「中でかけていいぜ」と言われるに決まっている。
「立花さんと連絡が取れないよ」
「いっそ芍薬総司令はどうです?」
「あの人苦手だしなー」
私と総司令の人間関係は置いといても、いうなれば組織のトップに「飯代忘れたからお金持ってきて」なんて口が裂けても言えるわけがない。
ゆっくり食べていたけどそろそろ時間稼ぎも限界だ。店主も時々視線を向けてくる。
「プランC――発動」
「あるんですか?」
「いや、賭け。咲良、替え玉頼んで」
「こんな時におかわりですか?」
「いや、咲良が食べるの」
「これ以上は太るから嫌です。体型維持もプリベンターの仕事ですよ――なんですか人の体ジロジロ見て」
「私の方がまだ小柄だね」
「ケンカ売ってるんですか?」
「まさか。賭けの勝率を上げてるの。とにかく替え玉頼んで“まだお店にいること”をアピールして」
「……わかりました。先輩はどうするんですか?」
私は立ち上がると「すみません。お手洗いどっちですか?」
「後ろの暖簾くぐってすぐ左だよ。こっちのねーちゃんは替え玉ね? 硬さどうする?」
「やわらか目でお願いします」
さすが咲良。茹で時間も稼いでくれた。これなら何とかなるかも。
トイレに入ると……あった!
鍵付きの左右にスライドする小さい窓だ!
そこから差す西日が今は希望の光に見えた。
でも難易度は高い。
便器を超えて出窓状になっているスペースに体を持って行かないといけない。
「っしゃ、やるか」
スカートをたくし上げて、髪を止めていたゴム紐でそれを一ヵ所で束ねて脚の可動範囲を確保する。誰も見てないとはいえ恥ずかしいなぁ。
慎重に便器に足をかけながら登って窓を開けて外を見る。よし、誰もいない。
プリベンターとして鍛えた運動能力がこんなところで役立つなんて。
だけど肩幅ギリギリのそこから出ようとした時、右の靴が脱げてしまった。
「げっ」
でも急がないと!
あれからもう五分は経ったと思う。爆速で戻って十分ちょい。さすがに時間はかけてられない。
片方の靴が脱げたままコンビニに飛び込んでATMの前まで来た。
キャッシュカードを入れて暗証番号を入力すると、
「げ、手数料550円!? また上がってるよー! Dランク差別反対!」
プリベンターはみんなランクAだけど、私だけはワケあってDランク。
だから手数料も割高になるんだけど……くそー解せない!
テミス社会を呪いながら引き落としボタンをタップしてお札を財布に詰め込むと急いで来た道を戻った。
周囲を確認して窓から戻り、落ちた靴を履いて何事もなかったように席に戻る。
「先輩?」
ちょうど咲良の替え玉も無くなりかけていた。私はそっと財布の中身を見せると小声で「ATM大成功」「どうやって?」「小柄な私の勝利だよ」「……ケンカ売ってます?」「後で説明する。出よう」
ごちそうさまでした、と言って席を立ってレジに行く。
「1,925円」
「一緒で」
店主がレジを操作して、レシートが吐き出されると、
「お、ねーちゃんたち運がいいな! 当たりだよ」
「あたり……ってなんです?」
「今日は無料だ。ほれ、ここ見てみ。オレんとこのレシート、たまに無料が出るクジなんだ」
私たちは顔を見合わせてから、
「あ、へー、そうなんですね。あはは、嬉しいなー」
「良かったな。きっと今日はいいことあるぜ!」
「あざしたー! またよろしくな!」
店を出ると疲れがどっと押し寄せてくる。私は咲良にトイレ脱出作戦のことを伝えた。
「なるほど……それであちこちボロボロだったんですね」
「ほんとだよ」
「もし脱出できなかったらどうするつもりだったんです?」
「そりゃ素直に事実を認めて怒られる?」
「先輩はDランクだからいいでしょうけど、私を巻き込まないでくださいよ」
もちろんこれは咲良の冗談だ。
「あー、差別発言だー。せーんせーに言ってやろー」
「はいはい。――でも、美味しかったですね、ラーメン。今日はごちそうさまでした」
「いえいえ、こちらこそ、ご迷惑をおかけしまして」
「また今度行きましょうね」
「二人とも現金確認してからだね」
「ですね」
ポケットでスマホが震える。画面を見ると立花さんからメッセージが返ってきてた。
「あー……」
「どうしたんです?」
「立花さん。さっきの既読メッセにレスあった」
「なんて?」
「なにやってるバカ、だって」
「いいことないですね」
「ほんとだよ。靴下も買わないといけないし」
普段鍛えているとはいえ、足裏まで鍛錬するほどJKを捨ててはいない。
「だったら私が奢ってあげます、靴下」
「ほんとに!? じゃあ高級ブランドがいい!」
「なんでですか。普通のでいいでしょ、フツーので」
「咲良Aじゃん! お金持ってるでしょー!」
「先輩も同じ給料じゃないですか」
「ばれたかー。あ、でも咲良も財布ないじゃん」
「――そうでしたね。では明日で」
「うん、明日。ありがとね、咲良」
10作目(設定資料) あお @Thanatos_ao
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