第15話 死に戻り夫人と双子の義弟

 階上の手すりから身を乗り出したアンヘルが、こちらにむかって叫ぶ。


「こら! ふたりとも、いったん離れろ!」

「やだよ!」

「迎えにこなかったアンヘルが悪いんだよ!」


 大騒ぎで、ぎゅううっと強く手に縋りつかれて、ちょっぴり痛いやら可愛いやら。双子はヴィオレータから引き離されまいと身構えている。兄が結婚したことなど、小さな彼らにはまだ理解できないのだろう。ヴィオレータのことをアンヘルの客人だとでも思っているようだ。めずらしいお客さまを取られたくない一心で抵抗しているのが、そばにいると、よくわかる。


 大階段をアンヘルが駆け下りてくる。ガボはヴィオレータの前で両腕を広げ、通せんぼをする。ラファが噛みつくように言った。


「ヴィーおねえちゃんは、ぼくたちが案内するの!」

「アンヘルには、およめさんが来るんだからいいでしょ!」


 ──ああ、やっぱり。ほんとうにわかっていないのね。


 ヴィオレータは笑いを飲み込んで、その場で片足を引き、腰を落とす。ラファと手を繋いだまま、頭を軽く下げる。


「お久しぶりです、旦那さま」


 冗談めいた口調で微笑むと、アンヘルは照れたようすながら、ガボの頭越しにヴィオレータに手を差し伸べた。


「お待ちしていました。私のことは名で呼んでください」

「ええ、では、わたくしのこともヴィオレータと」


 返すと、アンヘルは何か言いたげにヴィオレータにまとわりつく弟たちを見下ろした。ヴィオレータは夫の手を取る前に、可愛らしいふたりにも、きちんと教えておこうと呼びかける。


「ガボ、ラファ。わたくしがアンヘルさまの『およめさん』なの。『妻』というのも、お嫁さんと同じ意味のことばなのよ」

「そう。だから、案内も僕の仕事」


 ひょいっと手をさらわれて、双子から距離を取らされる。不満げな彼らのようすに、どうにかしてやりたい気持ちもあるが、これからも長く共に過ごすなかで、埋め合わせもできるだろうと思いなおす。


「また、あとでいっしょにお話ししてもらえるかしら」

「うん。ヴィーおねえちゃんのお部屋で、お菓子食べようよ」


 誘いに、しばし迷う。いくらいまは幼いと言えども、招待なしに兄の妻の私室に押しかける習慣はつけないほうが彼らのためかもしれない。


「──そうね、お部屋には、荷物の片付けが終わったら招待するから、今日はふたりにお庭に連れていって欲しいわ」

「わかった! 約束ね! 待ってるからっ」


 素直に引き下がった双子を見送って歩き出すと、隣でアンヘルが申し訳なさそうな顔をした。


「不作法ですみません。田舎なもので、教わる機会に恵まれないのです」

「まだ幼いのですもの。自分から挨拶と自己紹介ができるだけ、立派です」


 エスコートまでしようとしていた小さな紳士たちを庇うと、アンヘルは口元に手をやり、考えるようすを見せた。


「まずは、あなたを姉上と呼ばせることから始めましょうか」

「あら、呼びかたを変える必要はありませんわ。愛称で呼び合うなんて、生まれて初めてで新鮮でした」

「……そうですか」


 手を打って喜んでみせると、アンヘルの声の温度が一気に下がる。これには、さすがのヴィオレータも異変に気付いた。


「ご不快にさせたなら、行いを改めます。何がいけなかったのでしょうか」

「いえ、特には」

「わたくし、母にもよくよく言いふくめられてまいりました。自分の知識を常識と思い違うなと。どうか、不届きな点は口に出して教えてくださいませ」


 立ち止まり、頭を下げようとした肩を押し戻される。見上げたアンヘルは、恥ずかしそうに目を背けていた。


「気持ちを表に出してしまった私のほうが悪いんです。──あなたが、初めてだと喜ぶなら、自分がいちばんに愛称で呼びたかったと思っただけなんです……っ」


 告白に、どきりとする。まるで、好意を向けられているような言いまわしに、ヴィオレータはどう反応したらよいかわからなくなった。


「アンヘルさまには、愛称はないのですか?」

「残念ながら」

「……わたくしも、家族にヴィーと呼ばれていたわけではありません」


 互いに呼び合えないならば、今度は愛称の価値を下げようと試みる。言い訳がましいことを口にする自分を、黙って見下ろされて、頬に熱が集まる。次第にしどろもどろになる。


「あの子たちが覚えやすくて呼びやすいようにと、一般的な短縮名を教えただけで」

「見損ないますか? あんな年端もいかない弟に嫉妬する男など」


 被せるように問われて、首を振って否定する。同時に、彼の口にした嫉妬ということばの意味合いに理解が及ぶ。


 返す声が震えた。


「何がいけないのか、よくわかりません。わたくしは、アンヘルさまの妻ですもの」


 うれしかった。自分にだれかの独占欲が向けられることが、恐ろしくもありつつ、甘美だった。ヴィオレータは自分のなかに湧き上がった感情に信じられない心地になって、アンヘルに預けていた手をいま一度意識した。


「──私は仮初かりそめの夫ですよ。はじめに決めたではありませんか、この婚姻は二年きりだと」


 ヴィオレータにというよりは、自分に言い聞かせるような、やや冷たい口調でアンヘルは言い、また、足を進める。ヴィオレータは、彼が態度を引き締めた理由を探しながら、その隣をついていった。

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