第14話 死に戻り夫人と新天地

 母がヴィオレータに用意したのは、これまでのようなドレスに合わせた色鮮やかで装飾の多い靴ではない。華奢さはカケラもない簡素な編み上げの革靴だ。


「『勤勉は幸運の母』よ、ヴィオレータ。どこへでも旦那さまについていき、よく学びなさい。──カルティべ領は遠いわね。我が家の領地にすら、あなたを行かせたことがなかったものを」


 ことばをつまらせる母に、ほんの二年で帰るつもりなのだとは言えなかった。ヴィオレータはうつむく母の背を抱き、慰めを口にする。


「エストレラの領地よりは遠くても、アウラリオラとは、さして変わらぬ距離ですわ。おばあさまは、よく王都においでです。アンヘルさまも、自由に行き来してよいとおっしゃいました」


 ヴィオレータの発言に首を横に振り、母は娘の楽観的な考えをたしなめた。


「おばあさまは、おじいさまの付き添いで王都に来られるだけです。あなたもアンヘルさまがいらっしゃるときでなければ、王都に戻ってはなりません。……カルティべ家は、王政が敷かれるより古くからの領主なのだとか。爵位とともに領地権を与えられている多くの家とは、王都での社交や領地経営に関する考えが違うかもしれません。あなたの知識を常識と履き違えることのないように気をつけなさい」


 領地を単なる財源と捉え、ひとにまかせきりにして王都で過ごす貴族は多い。ヴィオレータの父は、ひまを見つけては領地に出かけるほうだったが、どんなにあちらに長居をしても、季節をまたぐことはなかった。


 アンヘルは、そうでないかもしれない。彼の拠点は領地で、王都はごくたまに遠出する先なのだ。そのことに、ヴィオレータはようやく思い至った。これまでにも、気づく機会はあった。


 死に戻る前、何度も夜会に出たことのあるヴィオレータが、奥庭で会うまで、同年輩のアンヘルの顔も名も知らなかった。彼の身につけた服は王都の仕立て屋のものではなく、今世でも、パウラ叔母は彼の領民に対する態度を絶賛していた。王都の研究所のウゴ博士とは、互いになかなか会えないようすだった。あの日、母君は領地にいたようだし、彼は王都の店にも疎かった。何より、彼は言ったではないか、なんでも自分でやってみる性分だと。


 孤児院を訪問して子どもたちと押し麦の粥を炊き、農家で牛のお産に立ち会って新しい手業を開発、実践し、畑でキャベツの収穫を手伝って、屋敷では領主教育を受ける。王都に来る時間を捻出するには、きっと大変な苦労があっただろう。


 王立研究所で会ったあのとき、アンヘルは共同研究というよりは、領地で起きた何がしかの問題をウゴに相談して、教えを乞うていたのではないか。その貴重な時間を奪って、ヴィオレータは彼を神殿に連れていき、強引に婚姻を迫った。


 自分の愚かしさと考えの至らなさ、幼さが恥ずかしかった。確かに、生きるためには譲れなかった。けれど、他に何かやりようがあったのかもしれない。後悔は、長く胸のなかにくすぶった。


 ヴィオレータは、また馬車の窓から外を見た。移動続きのこの数日、例年の冬にはめずらしく、暖かな晴れ間が見えている。乾燥した空気は遠くまで澄みわたり、一帯がよく見通せる。うっかりすると見落としそうになるが、このあたりは秋蒔きの小麦畑のようだ。まだ小さな芽は、3ヶ月もすると、しっかりと生長を遂げ、一面に青々としげるだろう。


 ヴィオレータがカルティべ伯爵領に入ると、にわかにあたりの雰囲気が変化した。第一に、馬車に対する領民たちの態度が変わった。それまでの街道沿いでは、貴族の馬車と見ると、頭を下げ、目を伏せる者がほとんどだったが、カルティべ領では窓越しに目が合うことが増えた。領主の馬車にしては見慣れない型だとでも思っているのかもしれない。


 その日の昼下がり、ヴィオレータはカルティべ家の屋敷に着いた。御者が馬車の戸を開けたとたんに、パタパタと軽い足音が近づいてくるのが聞こえた。


「こんにちは!」

「はじめまして!」


 耳に届いた幼い声に、足元を気にしていたヴィオレータは目を上げる。五歳くらいの男の子がふたり、ぴょこぴょこと跳ねながら存在をアピールしている。きらきらと目を輝かせた子どもたちに末の弟の小さなころを思い出して、自然と口元がほころぶ。


「歓迎してくれてうれしいわ。わたくしはヴィオレータ。アンヘルさまの妻です。あなたがたは、弟さん?」

「うん、ガボ!」

「ぼく、ラファ!」


 口々に言って、両側からヴィオレータの手を取るふたりの人懐っこさに面食らう。貴族の子弟はどうしてもマナー教育優先で、子どもらしさとは無縁になりがちだ。カルティべ家では、この子らはまだ、外の貴族とのやりとりをさせない年齢なのかもしれない。王都育ちで、ごく早くから大人に揉まれてきたヴィオレータの目には、かれらの自由奔放さは新鮮で、少しうらやましく映った。


 ──双子なのね、面ざしがよく似ているわ。きっと、いまこの子たちから聞いた名も、周囲からの愛称なのでしょう。


 ガボはガブリエル、ラファはラファエルだろうかと、あたりをつける。彼らが口にしやすいように、自分も短く名乗ろうか。


 ヴィオレータは特に、家族や友人に愛称で呼ばれたことがない。死ぬ前だって、だれにも──婚約者にも──呼ばれたことがなかった。そのせいか、愛称を親しい相手に特別に許すという感覚は無かった。単なる短縮名だ。この名前なら、愛称はヴィーか、ヴィオラが適当だろう。


「これからよろしくね、ガボ、ラファ。わたくしのことは、ヴィーでいいわ」

「ヴィーおねえちゃん! ぼくねぇ、ヴィーおねえちゃんのお部屋、知ってるよ。アンヘルが用意してたもん。案内してあげる!」


 ──あっ、それはよしたほうがいいかもしれないわ。まずは、アンヘルさまとご両親に挨拶を……


 止める間もなくふたりに引きずられ、ヴィオレータは屋敷の玄関ホールに入る。小さな子どもたちに合わせて、やや背中を丸め、二階に続く大階段にさしかかったところで、救世主は現れた。

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