第6話 嫌われたらどうしようって思っちゃった

「『目指せ!彼に好かれる私☆大変革・成長記録ダイアリー』……??」




かわいらしい桃色の、でも一見ただの授業用ノートのような見た目。



「ここにおいてあるってことは、最近使ったってことだよね……彼って誰だ?」



もしや、記憶喪失してから好きな人ができたのか?


ずきん、となぜか心臓が痛む。


おいおい自分、どうしちゃったんだ? ははは!! 


もう別れたんだぞ、それを俺も認めたんだ! なんだずきんって! あっはっは!



「そろ……」 



はっ!! なにノートに近づいてるんだ、俺!?



「すす……」



おおっと!? ノートに伸ばす手が止まらない! 収まれ右腕!


制御が効かない伸ばした右手に、とうとうノートが触れる。



……悪い事だと分かってるが、分かってるが!



ぺらり、と、気づけば俺の指が最初のページをめくっていた。




―――そこには、叶先輩の綺麗で読みやすい字が、びっしり書き込まれていた。



『ノートの初めに、彼のかっこいい所コーナーです


①こんなわたしに沢山話しかけてくれるところ


②かわいい! かわいい!


③顔がドタイプ! 性格も優しくて、理想だな♡


④あーあ、おんなじクラスだったらよかったな。頭よさそうだよね、お馬鹿さんでも大歓迎なんだけど…


⑤実はモテてるんです、彼。かっこいい。けど悔しい。どうやら彼には好きな人がいるみたい。誰だろう、聞いたら教えてくれるかな?



うーんもっとあるんだけど、収まりきらないな~。やっぱ、彼に嫌われたくない。でも告白したい。勇気ない私が悪い』



「……誰だ?」



嫉妬、ではない。ただ、元カノの恋愛事情を知りたいだけ。



叶先輩は記憶喪失してから、時間がかなり経っている。

きっと、同級生に誘われたりして、一緒に遊んだりしたのだろう。



「……うーん?」



叶先輩は違うクラスだと書いているから、同クラではないということか。


叶先輩は2-1だった。だとしたら、2-2か? それか2-3。


二組と三組にいるイケメン。沢山頭に浮かんだ。



そいつらと叶先輩が遊んで、記憶がないからこそ、かっこいい同級生に一目惚れ、そいつが好きになった。そういうこと、なのだろう。


そもそもこの日記は、いつの物だ?


日付が書いてないから分からないから、いつの恋の話だろうか。



「ふ、ふーん、別にいいですよー? もう元カノだし? どうだっていいけど!」



明るく自分に言い訳する。


……けど、俺の心の中を言葉に表せないような渦巻いた感情が支配する。



続きを見たい。叶先輩の好きな人が、知りたい。



その胸の内に広がるもやもやの赴くままに、俺は次のページに指を沿わせ―――




「あああああああーっ!!!!!」


「!?!?!?」



途端、紅茶がのったトレイを片手に部屋に入ってきた叶先輩が、物凄い雄たけびを上げながらノートに近づいてきた。


びくっ、と震える俺を他所に、叶先輩は器用に紅茶を一滴もこぼさぬまま、ノートを奪い取ると、ぎゅっと胸に抱きかかえた。



「…………」


「…………」



しばらく叶先輩は、顔を真っ赤に染め、ノートに顔をうずめていた。



「……見た?」



「す、すみません!! その……一ページ目、だけ」



途端、ばばっと一ページ目を開く叶先輩。



「……よ、よかった……名前出してない、情報漏れてるけど誰かわからない、はず……」


「ほんとに……本当にすみませんでした……」



さああっとこみ上げてくる罪悪感に、俺は体を九十度曲げて謝罪をする。



普通に考えて、マズい事をした。



俺だって、叶先輩の愛で埋まっている自分の日記を読まれたら、発狂して狂うだろう。


ああ、先輩に嫌われた!! 確実に嫌われた……



「もう、こういうのは、お子様が読んじゃだーめ! 全く、奏くんったら」



途端、ぽん、と肩を叩かれ、俺は反射的にびくっと身を震わせた。


横を恐る恐る見ると、そこには赤い顔をした、でもしょうがないなあ、という優しい顔をした、先輩の顔が。



「?! お、お子様じゃないです!」


「だって奏くん、年下だもーん。……いいよっ、ノート見た事、叶先輩が許してあげます! …………危ない次のページからばんばん奏くんの名前出して恥ずかしい事まで書いてたんだよねぎりせーふっ。でもアピールになったかな? 嫉妬してくれてたら助かるんだけど」



やはり先輩は優しい。

こんな俺を許してくれる。俺はそんな優しさに甘えてしまう。



何やら早口で呟いた後、叶先輩はノートを棚に戻し、動揺を隠すようにしてくるっと振り返る。


その際、ワンピースの裾がひらりと風でめくれ、なめらかな太ももがちらちらと覗き、慌てて目を逸らした。



「はい、紅茶! 熱いから、ゆっくり飲んでねっ」


「だ、大丈夫ですよ……あちっ!」



渡されたかわいいマグカップに唇をつけると、びりっと熱が唇を伝い、その痛みに思わず顔をしかめた。



―――ちゅ、と唇に何かが触れたのは、刹那だった。




「……!?!?!?!」


「あっ……」




何が起こったのかわからない俺に、至近距離で、それこそ唇と唇が触れてしまいそうな距離で固まる先輩の姿が、ようやく認識される。



「い、ま……!?」




「~~~~~~っ!!! あ、熱そうだったから、唇!! 冷ましてあげようと思って!! 違うの、ちがうのちがうの、別にキスしたいと思ってたら気付けばしちゃってたわけじゃなくってっ!!」




―――今、叶先輩に、キスされたよな俺?!!??!?!?


めっちゃ柔らかかった、吐息かかった、死ぬ、死んでしまう。


至近距離で見る先輩の顔、最高にかわいかった。なにあれ。破壊魔? まーだらー?


脳内が、熱を出した夜に見る夢みたいに、ぱちぱちと弾ける。


あつい。あつすぎる。


紅茶の何倍もあつくて、それでいて唇に紅茶が攻撃した痛みに負けないくらい、心が甘くてしびれるほどの衝撃を受けている。



「……っ」



真っ赤になって、今度はずさささっと俺から距離を取ってしまう叶先輩。




「ご、ごめんねっ、びっくり……させちゃったよね」




『―――びっくり、した? ごめん』




そんな時、突然、記憶が蘇った。





―――付き合っていたころ、一度だけ、叶先輩とキスしかけたことがある。



初めて俺から叶先輩をデートに誘った時の話。



家の周りを散歩する、という、何の変哲もない、デートとも呼べるのか怪しい、お出かけ。



「あ、葉っぱ……雨できらきら、綺麗」


「あ、そそそうですね! 綺麗です」



いつも無言で、何を考えているのかわからない叶先輩だったが、たまにぽつりとつぶやく言葉がかわいくて、俺は一人癒されていた。


俺は、葉っぱなんかより、少し嬉しそうに葉っぱをつまむ先輩が綺麗だと思ったのだが、そんなくさいセリフ言えるわけがなかった。



「――きゃっ」



それは、突然の事だった。


雨上がりの日にデートを計画した俺が悪かったのだと思うが、突然道に、カエルが飛び出してきたのだ。


叶先輩の高い声を、初めて聞いた。



「な、夏日くん」



その時、条件反射だったのだろうか。


叶先輩は、こともあろうことか、俺に駆け寄ってきて、体が触れるか触れないかほどの距離まで詰めてきたのだ。



「えっ!?!」



動揺で思わず、首を回し、叶先輩の方へと向けた。


そしたら、



「―――っっっ」「―――っ」



―――十センチもないほどの至近距離に、叶先輩の顔があった。



その頃は長かった茶色の髪が、俺の頬を、体をくすぐった。


柔らかな胸が、俺の腕に、ちょびっとだけ触れて、それも心拍数をぐっと引き上げる。



「「…………」」



しばらくお互い動けず、動こうにも動けず、叶先輩と俺は数センチほどの距離で見つめ合いながらも、膠着していた。


いや、少なくとも俺は、叶先輩の顔に見惚れてて、動けなかった。



その綺麗な瞳に吸い込まれそうで。


今、俺が先輩を独り占めしているんだって、この瞳に映るのは、俺だけなんだって、そうはっきり自覚して。



「―――びっくり、した? ごめん」



先に動いたのは、叶先輩だった。


ぱっと身を離すなり、前髪に触れながらも、目を逸らし、小さく呟いた。


……期待した、なんて、バカみたいだったな、俺。



それ以降叶先輩は、付き合っていた間、自分から距離を詰めてくるなんてことはなかった。






「さ、さっきのノート、見た代わり、ってことで、許してもらえますか……っ」



はっ、と我に返ると、耳まで真っ赤にした叶先輩が俺を見つめていた。



「あ、その、もも、勿論です」


「ほ、ほんと……?」



いや、俺にとってはめちゃくちゃにご褒美だったのだが。


まだ鳴り止まない心臓を押えていると、叶先輩がほっとしたような顔になり、



「よかったあ。嫌われたらどうしようって思っちゃった」



え、かわいい。

ほっとした顔、めちゃくちゃかわいい。



「これで許されなかったら体で払うつもりだったんだけど」


「え、叶先輩、今?」


「ななっなんでもないよっ」



ミステリアスで、でもかわいい叶先輩。


俺はしばらく叶先輩と他愛のない話をして、嬉しそうに話す叶先輩に見惚れていた。








―――ちなみに、ここからだったのだ、叶先輩との距離が、付き合っていた時より信じられないほどに縮まり始めたのは。



まさか、予想だにしていなかったんだ。

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