第2話 一緒にデート、だめかなあ……?


「すみません。私、一星叶、っていう名前らしいんだけどっ。き、記憶喪失しちゃったみたいでっ。そこでキミと目が合って、そ、その……ななっ名前、聞いてもいいかなっ?!」




……思考が、ブラックアウトした。


これは現実か、空想か。それとも、現実で俺が幻覚を見ているのか。いや、夢に違いない。でも、こんなにきれいに叶先輩が視界に映って―――



「なつ……ごっごほおん!! あ、だ大丈夫ですか!?」



情報が整理できずに派手に後ろに尻もちをついた俺に、なぜか慌てたような叶先輩が綺麗な手をこちらに伸ばしてくる。


またもや、脳がちかちかする。



やばい、いいのか、これは、触れていいのか。


半年間付き合って、一度も触れてないんだぞ。


叶先輩の美しい御手に触れるなんぞ、妄想の中でしかやったことなくて、さらに俺たちはもうそのような関係では……



「……も、もう」



しばらく硬直して動けない俺にしびれを切らしたのか、叶先輩は、



「っ?!!」



俺の腕に、大胆に両手を絡ませてきた。


口をパクパクとさせる俺に、叶先輩はそれだけに留まらず……俺を叶先輩の方へと、ぐいっと引き寄せてきた!?



「~~~~~~~っ!?!」



初めて、は、初めて、触れた、触れてしまった、叶先輩にっっっ!?!!?


指先はほんのり冷たいけど、でも柔らかな肌はちゃんとあたたかくて、わずかに叶先輩の速い鼓動が伝わってくる。



あまりの動揺にぐらっとバランスを崩すと、むにゃん、と見事なまでに、俺は先輩にダイブ。



「ぁ」



柔らかな胸に体を包まれ、脳内にサンダーが落ちる。


あたたかい。やばい。今、叶先輩に、触れてる。


脳内で、狼とヒツジが手を取り合ってダンス。脳内が見事なまでにスパークする。



「ごご強引にごめんねっ……あ、えとごめんなさい!」


「ごほごほ」



叶先輩から離れても、しばらくまっすぐ立てない。


いかん。体が震える。なぜかむせ込んだ。


気持ちは、触れることができない妖精か幽霊か神か何かに触れたときの動揺とほぼ等しい。



「大丈夫……? とりあえず、木陰で休もうか」



そう言って、心なしか真っ赤になっている叶先輩に、ごく自然に手をとられた。



……もう、訳わかんねえ。



意識も絶え絶えに、俺は叶先輩の手を震えながらも握り返した。






△▼






「……どう? 落ち着きましたか?」


「あ、ありがとう、ございます」



数分後。



俺は木陰にあるベンチに座らせてもらい、叶先輩に恐れ多くも手であおいでもらっていた。


記憶喪失でも、叶先輩は叶先輩。むちゃくちゃに、かわいかった。


綺麗な茶髪がなぜ切られているのか。それに、なぜ記憶喪失になったのか。どうして俺の家の前にいたのか。



聞きたいことは山ほど出てきたが、今まで見たこともないような優しい顔をする叶先輩を見ていると、なんかどうでもよくなってくる。



綺麗な目。吸い込まれそう。ほんのり火照った顔とか、なにこれ、俺を殺したいの?


こんな至近距離に今まで近づいたことがなかったから、今、わずかに伝わる叶先輩の体温に心拍数がカンストしている。



惚けていると、ずい、と叶先輩の顔が近づいてきて、かあっと頬が赤くなるのを感じた。



「どうしたの、何か聞きたいことでもあるの?」


「え、えと、その、叶先輩」


「え名前呼ばれたうれしい……う゛ぅんっ!! う、うんうん、何かな?」



ぱあ、と太陽みたいな笑顔になったかと思うと、なぜかせき込んで難しい顔をする叶先輩。


なんだかわからないが、叶先輩、凄くかわいい。


昨日フラれた時のダメージが、あっという間に癒されていくのを感じる。



「その……どこまで、記憶は、ないんですか。というか、なんでここにいたんですか」


「それがねー、聞いてほしいんだ」



ぎゅっと眉間の間にしわを寄せる叶先輩。聞かれるのを想定していたかのように、自信ありげな表情だ。


こんな顔、付き合っていた頃は見たことがなかった。


叶先輩って、こんなにもまつげ長かったんだ。お肌ももちもちで綺麗だし。うわ、指きれいすぎ。胸も想像以上に豊満だ。



「実はね、昨日、冷蔵庫に頭をぶつけちゃったみたいで。そしたら、全部、すぽーんて」


「ぶつけた記憶はあるんですか」


「あっそ、そうそう! 変だよねー、あはは」



いつの間にか、ぎこちない敬語からため口になっている。


あのクールな叶先輩とは全く違う話し方に、やはり頭が追い付かない。



「私の家とか、そういうのは覚えてるんだけどっ、自分がどんな人だったのかとかは、まるごとないんだー。人間関係とかも」



どうやら、叶先輩の記憶は全て喪失したわけではなく、ところどころ、といったところか。

状況が僅かによくなり、俺は安堵の息を漏らす。



「それで、えっと、ふらふらって散歩してたら、キミのおうちに引き寄せられちゃって。なんだろこれ、運命?」



そう言うなり、悪戯げに笑みを浮かべる叶先輩。

ドキドキして、思わず目を逸らしてしまう。


にしても、こうして一生会えないと嘆いていた叶先輩が目の前にいること、それが奇跡のようだ。



……しかし、記憶喪失となると、もしや叶先輩の、あの時の記憶もないってことか?



「じゃあ……俺と叶先輩の関係は、覚えて……」


「な、なになにっ!? 私達、どうにかなってたの!? つ、付き合ってたりとか?」



思った数倍オーバーで食い気味な反応が返ってきて、俺は目をぱちくりとさせる。



「えっと……」


「あっ……ごめんね! つい興奮しちゃって! 変、だったよね」



頬を赤らめて、俺から距離を取る叶先輩。


先ほどから、清楚な叶先輩がこんなにも慌てている所、数年間好きだった俺でも見たことがなくて、ただ唖然とするばかりだ。



「……本当に、記憶喪失、ってことか……?」



だって、こんなにもアグレッシブな先輩、おかしい。


だとしたら。


……俺は、また初めから、始められるという事、なのか?



「ねぇねぇ、き、キミ。名前はなんていうの?」



ずずい、とまた距離を詰めてくる叶先輩。


キャラ変わりすぎだ。でも、積極的な先輩もドタイプだったりする。



「え、えっと。夏日奏、です」


「なつっ……そ、奏くんか。かっこいい名前……だね」



語尾が恥ずかしげにフェードアウトしたが、俺は聞き漏らさなかった。



今、下の名前で呼んだ?! え、ここは天国?


やばい、視界に星が飛んでる。鼻血出そう。



幸せの絶頂で焦点の定まらない俺に、叶先輩が焦ったようにして口を開いた。



「これまでの私が、ど、どうだったかは分からないけどっ。私、キミが好きそうな、明るくて、表情豊かで、かわいい一星叶に変わったんだ! だから……その、奥手な私の事呆れちゃってたの、辛い思いさせちゃってたの、知ってるけど……いや、全然覚えてないんだけどねっ? と、とにかく、また好きになってくれたら、って……思ってて……」



消え入りそうな声で早口に述べる叶先輩。


ほとんど聞き取れなかったが。



今、好きになってくれたら、って言った? 言ったよね?



「……」


「そ、そうだ。奏くん、何か用事があったんだよね? 良ければ、付き合うよ?」



叶先輩が、なにかを取り繕うように少し慌てて小首を傾げ、俺を見つめてくる。



「い……一緒にデート、だめかなあ……?」



――あ、だめだ、これ。



「ぶっ」


「そ、奏くん!? 鼻血でてる!! 鼻血!!」



大量の出血とともに、俺の意識は天に昇った。





――俺の叶先輩との物語は、ここから始まったも同然だった。

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