今度はまじめに、個々の論点を分析してみます。
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20231018/GE00053055.shtml
MBSNEWS 2018.10.18 15:00
滋賀 最新ニュース
「不登校、大半の責任は親」発言の東近江市長が取材に応じる「私は問題提起をした」
・・・ ・・・ ・・・・・・・
さて、ここからは、上記配信記事をもとに、小椋正清東近江市長の発言内容の個々の論点について述べて参ります。
1「フリースクールが国家の根幹を崩しかねない」
フリースクールに通う子が増えれば、その分、公教育を中心とした教育が貧弱になる。そうなれば、未来の国家を担う子女への教育に国が関与しない率が高まり、それに比例して、国家の根幹が揺らぎ、崩れる可能性が増す。
その程度の意味であると思われます。
さて、そんな程度で崩れるような国家が、世界列強に伍する独立国としてやっていけるでしょうか。
そんなちんけでしょぼい国なら、さっさとアメリカあたりにでも教育行政をまとめて売ってしまえと言いたくなりますわな。
あ、でも、中国なんかに売るのはやめろよな。
ていうか、そういう問題じゃないだろう。フリースクールに頼らねばならないような教育ではいけないという問題提起であるならば、いくら切り取られた状態の文言であるとはいえ、切り取られた先に非難を浴びかねないような余計なことを言うものではない。
そんな言動をすれば、明治時代の富国強兵時代の教育観であるとか、戦前への回帰を望んでいるのかとか、言うなら、「反動的」という批判を、必要以上に受けるのは目に見えている。
実際、そのような批判が来ているようですね。
問題提起の言動として、到底良い手法とは言えまい。
2.「文科省がフリースクールの存在を認めてしまったということに、がく然としている」
日本国憲法は、思想の自由を保障しています。
極端な例「あいつ気に入らん、殺してやりたい」~これも思想の自由です。
ただし、実行に移したらもとより、移そうとしたことが発覚すれば、無論、刑事事件として立件されますね。
それはともあれ、市長としてではなく単なる小椋正清氏個人の意見でそう思われるのは、カラスの勝手というものです。私どもの知るところではない。
だが、それを、公の場で、公のための議論をする場で披露することではない。
ただ、それだけのことです。
それを言うなら、県主催の首長会議でそんな持論をむやみに展開した東近江市長のような人物がいることにがく然とされても、仕方ないですね。
3.「大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく義務教育を受けさそうとしている」
勝手に人を善良な市民だの悪徳市民だのと色付けするなよと、まず申し上げておきましょう。事実として、そのような国民が少なからずいることは確かです。
だが、それによる諸問題がこの数十年来噴出していることもまた、厳然たる事実ではないか。
そこでドロップアウトした、また仕掛けた子らはなぜそうなっているのか。
その理由はさまざまである。
東近江市長のこの発言はまさに、それがすべての解決策であるかのごとき物言いをする人間の、典型的なものいいですね。
そのほか、この御仁は、先の檄文でも指摘しましたが、「普通」という言葉を用いてそのような人たちのことを表しておりますが、これもまた、ここで言う「善良な市民」という言葉と同義・同列(同工異曲)のものであります。
4.「不登校の大半の原因は親である(?~カッコ内は著者注)」
一般論として、親の原因による不登校がないわけではなかろう。
だが、それがどの程度の割合なのかは、しかるべき証拠を示して述べるべきものではないか。これに対し、かの市長氏は、こんなことを言ったそうです。
5.「先生の問題もあるが(自身の)感覚的なもの、経験則に基づくと、やっぱり親が多い」
4.の主張内容の前後を見ると、このようなものだったそうです。
自身の感覚的なもの、経験則。
そんな根拠に基づいて述べたそうですね。
これは、憶測で物を言っているだけではないかと言われても仕方ない。
御自身の市政を、政治家としてのスタンスを、そんなもので決めているような人間もいたものだなとしか、申し上げようがない。
そこらの居酒屋で酒でも飲みながら仲のいい支援者や政治関係者と非公式な場で話すならいちいち感知することでも知ったことでもないが、公の場で政治的な課題として何かをやっていかねばならぬ立場のものが言っていい言葉ではなかろう。
さて、かの市長閣下のここの発言の問題点を指摘するのもよいが、この問題について、本来どんなことを問題にすべきであるのか、その点について、上記記事の当該部分をここに引用します。
発言の真意は?東近江市長が取材に応じた
一連の発言の詳細について小椋市長は18日午前中、取材に応じました。市長はまず、昨日の会議で示された県の政策に『子どもが学びたいと思ったときに学べる環境を整えます』という一節があり、そこに意見したいと思ったのが発言の直接のきっかけと話しました。
(小椋市長)「子供の気分、感情で、『学校行く気になったから行くわ』、それで環境を整えないといけない、という解釈しかできない。(中略)。国がフリースクールの支援をしてくださいということになると、国がフリースクールに全部ゆだねる動きが出てきたときに、そもそも教育を受けさせる親としての責任や義務、教育基本法、学校教育法の枠組みが崩れるのではという危機感を持っている。」
フリースクールそのものに批判的なのではなく、フリースクールを認める文科省が『安易な判断』で無責任だ、という主旨だと話しました。
(以上引用。原文ママ)
この点については、確かにこのような場において議論すべきことです。
子どもの気分、感情で、~、のくだりについてはここでは論じませんが、フリースクールそのものではなく、それを認める文部科学省の判断が安易であり、その結果として国の制度や枠組に齟齬をきたすことになることへの危機感は、無論、大いに公の場において議論すべきことでありましょう。
本人もこの時点においては、現時点で実在する個々のフリースクール、あるいは全般的に「フリースクール」と名指しされる、もしくは名乗っている組織・団体について批判しているわけではない。
そのあたりも、この時点ですでに批判が殺到しているということが少なからず影響していると思われます。
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