日本の教育の根幹を問い直してみましょう。

 再び、良識ある日本国民及び全世界の皆さんに申し上げたいことがございますので、この場を借りて一席、述べさせていただきたく存じます。


 先日の滋賀県内において行われたとある公の会議の席上に置かれまして、世にも素晴らしい発言で昭和の郷愁を味わわせてくださった東近江市長閣下は、実に学校教育に造詣の深いお方であると拝察申し上げました。

 各種報道に触れて分析の上総合いたしますに、市長閣下の仰せの論旨は、以下の通りであります。


 フリースクールという存在が日本にはびこると、小中学生諸君がなし崩し的に楽な道であるフリースクールに走ってしまう。そうなれば、国家の基盤が崩れてしまい、学校教育が立ちいかなくなってしまう。

 そもそも人は安易な道に進んでしまうものである。

 フリースクールなどというものは、その最たるものである。

 であるから、国家の根本たる学校教育はおよそ神聖なるものであるからして、苦しくても悲しくても、我慢して通うのが筋というものなのである。

 親も、それを子どもらにしつけねばならんのである。

 そうです。そして、辛抱の木に花も咲こうというものであります。


 いかがでしょうか。

 おおむねこのような筋と認識いたしましたが、これまさに、昭和末期から平成初期にかけての、当時「登校拒否」という言葉でくくられていた事象に対し、世の中の多くの人々が抱いていた思いの典型と言えはしませんでしょうか。


 学校というのは、何も勉強するだけのところではない。

 同世代の友達と出会い、尊敬できる先生に学び、そして、その中で豊かな情緒と人間関係を気付いていく場所なのである。

 だからこそ、学校というものは、自己の目的のためだけに利用するような場所ではないし、そんな態度は、よくない。第一、あまりに寂しい話ではないか。


 こんな調子の論法を、大学受験に向けて大検を取得して進んでいこうとした人物に事あるごとに分かったように述べて来た、養護施設(現在の児童養護施設)の当時30代の男性職員がいました。

 もっともそれを聞かされた側である彼、当時定時制高校に通っていたそうですが、その職員さんに対し、こんなことを思っていたそうです。


 何をこの期に及んで、くだらん郷愁論などホザきやがるんじゃ。

 テメエの道は、テメエで切り開かねばならん。

 寂しいだクソだ、実にくだらん郷愁論に過ぎん。

 うさぎ追っかけて小鮒釣って日が暮れるような、

 子どもだましの極めの牧歌の世界じゃねえ!

 わしは、わしの道を突き進むまでである。

 ケッコーな御意見、ありがとさんよ。


 どうでしょうか。

 こんな人でもないようなことを思い、さらに実践して、その養護施設では初めて大学に進学した人物となった彼は、今や、作家を名乗って活動しております。

 それだけではありません。

 彼は、学生時代から、大検(現在の大学入学資格検定)、不登校さらには高校中退問題に対し問題意識を抱き、悩める青少年を救う活動をされている大先輩とともにさまざまな活動をしていたそうです。

 そんな方には東近江市長閣下の発言など、馬の耳に念仏どころか、掃きだめの中の反故紙ともいうべき紙切れの中にだらだら書かれた戯言に過ぎないのでしょう。


 ですが、ここではそんな大それた人物を敵に回してはなりません。

 東近江市長閣下は、辛い思いをしながらも学校に通わせる、「普通」と自他ともに認める御家庭のために、あえて、あのような発言をされたのであります。

 かの作家さんは、そんな市長閣下の弁を「わかった口」とのたまっておいででありますが、わかってもない口より、わかった口のほうが、「普通」の、「一般」の人たちにとって、どんなにありがたいものでしょうか。


 さて、良識ある日本国民及び全世界の皆さん、少し考えてみてくださいませ。

 先ほどの東近江市長閣下の発言内容と、くだんの作家氏に自らの思うところを述べた養護施設職員さんの発言内容には、大きな共通点が見られないでしょうか。


 そうです。この一点に尽きるのではないでしょうか。

 学校というものへの、絶大なる信頼感。

 それを設立している行政庁への、さらに絶大なる信頼感。

 その学校というものをなし崩し的に崩壊させかねないものへの恐怖心。

 それを裏打ちするのは、わしゃたる人物の経験則のようなものに基づく感覚であり、それを人は感想とも申しますが、ま、そういうものであります。


 それが、かの市長閣下の「国家の根幹を揺るがしかねない」という、真に天下国家を思う発言につながっていると言っても、過言ではないでしょう。

 教育は国の根幹である。

 そのことが心底からわかっていないと、このような言葉が出てくるわけもありません。東近江市長閣下は、実に、教育への熱い思いにあふれた政治家であることがこのことにおいても明白であると言えるのではないでしょうか。

 確かに、根拠・証拠となる物的人的ファクターは必要ではありますが、自らの湧き出る思いを、その「両親」ではなく「良心」こそを大事に市政のかじ取りをされている立派な市長さんによって東近江市という自治体が運営されていることに、ワタクシは、涙がちょちょ切れる程に感動の渦に巻き込まれております。

 この感動、ここで皆様に申し上げずにはいられません。


 そもそもですね、学校という場所、とりわけ義務教育と目されている小学校と中学校、さらにとりも分けても、公立の小中学校は、勉強だけでなく、運動だけでないことはもちろん、何より、情緒を大事にするところでないといけないのです。

 それと同時に、国家の根幹をなすものの一つが、この学校教育というものであることは申し上げるまでのことでもなく、それを崩しかねないものに対する恐怖心を他者に与えているものがあるという、世にも貴重極まる問題点を、この東近江市長閣下は市長会という公の場において、ありがたくも、御指摘くださいました。


 これは、毎日新聞10月18日17:36配信記事内の、この言葉に尽きると言えましょう。その記事の題名、ズバリ、こうです。

東近江市長「フリースクールは国家の根幹崩す」「不登校の責任は親」

 さあ、少しもったいぶったところで、その肝心の言葉を御紹介しますね。


「(フリースクールに頼れば)不登校の雪崩現象が起きる」


 これこそが、市長閣下の発言下において最も象徴的な表現と言えなくはないでしょうか。

 そうです。雪崩現象。

 みんなが学校教育を拒否し、どこの何とかの骨ともわからんような場所に行ってしまうという事態を、古き良き昭和の良さを今に、そして未来に伝えていきたいと切望されている市長閣下には許せないことが、これでよくわかります。


 この雪崩現象は、若く明るい歌声程度では、もとよりどうにもなりません。

 雪崩が消えるわけもなく、花が咲くなんてとんでもありませんぞ。

 東近江市長閣下のような、滋賀県職員として、警察官として長年にわたり国家の安寧秩序を滋賀県の地から守り続けてこられた、百戦錬磨のベテラン公務員でなければ、防ぎえないことなのです。そうです。市長閣下のような立派な政治家のような方でないと、防げないのであります。


 今から32年前の夏、広島県三原市の小島で矯正教育と称して、内観と銘打った実質監禁をしていながら飲食物も与えず、テメエは酒を飲んで酔い食らって、その結果2名の尊い命を奪った、民間施設「風の子学園」の坂井幸夫という園長のような下手にもならぬ手を、この東近江市長閣下がお打ちになるとは、到底思えませんよね、ですよね。皆さん、そうでしょ。

 その坂井幸夫なる人物は、自然に囲まれた場所で子どもたちの心をどうこうと述べていたようですが、そうです、自然ですよ、自然。

 人間ね、人工物ばかりに囲まれていては、だめなのよ。

 自然ですよ、自然。

 豊かな自然の中でこそ、豊かな心は育たないのです。


 その点、この東近江市という場所は、適度に自然に恵まれ、なおかつ、交通の便も良いと来ております。坂井某氏の学園のような、本土から離れた小島なんて場所ではないのね。

 そんな格好の地で子育手ができ、老後を送る。

 かくも素晴らしい人生設計が、他にあると言えましょうか。


 フリースクールの是非云々、それに該当する組織・団体への行政からの支援すなわち資金投入の是非も、この期に及んでは重要な論点であることはわかります。

 しかし、この東近江市長閣下のお述べになられた内容を、是非、皆さん、ここはひとつ耳を傾けて差上げてくださいませ。

 どんな場所で人が人として生き抜く力を得ていけるか。

 その答えの一つが、その中に必ずあるでしょう。


 良識ある日本国民及び全世界の皆さん。

 さあ、是非、この東近江市長閣下の発言を、じっくりと、味わってみようではありませんか。

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