第7話「妹よ聞こえるか、怪物の唄 前編」

 久しぶりに仕事が休みになった日。午前中にケイとの情報交換などの仕事を済ませ、昼に嵐に飯を作ってやっと一息ついた午後の事。

「ぐ、ぬぬぬぬぬ……」

 俺は、テレビの前で唸っていた。それは何故かというと、嵐と一緒にテレビゲームをして……苦戦を強いられているからである。

 きっかけは、俺が食器を洗っている時に嵐がテレビ台の下からゲーム機を見つけた事から始まった。嵐はテレビゲームが何なのかわからないと言うので、テレビゲームというものが何かを説明してやると、すぐに「やってみたい」と目を輝かせた。

 まあ休みの日だし偶には良いかとテレビゲームを起動し、とりあえず持っていた対戦型の格闘ゲームで遊ぶことにしたのだが……。

 嵐は最初こそ使い方がわからないようだったが、俺が基本的な操作方法を教えてやるとすぐに技の使い方を覚え、挙句の果てに見た事ない必殺技やハメ技なんかを繰り出してきた。たこ焼きの時といい……嵐の吸収力は凄まじい。

 俺の方がずっとやりこんでいる筈なのに……と悔しくて何度も嵐と対戦しても、全然勝てない。何故だ。何故なんだーッ!

「勝ったな」

 ハッとした途端、また大技をかまされて俺の操作していたキャラクターは撃沈する。俺は畳の床をぶん殴りたい気持ちになりながらコントローラーを握り締めた。

「くそ、もう一回……もう一回だ、嵐ッ!」

「もういいだろ三代木、何度やっても同じだぜ」

「同じじゃない! 次こそは必ず……!」

 俺が唇を噛むと、珍しく嵐が呆れたような顔をする。大人げないのはわかっているつもりだが、やっぱり俺のプライドが負けっぱなしを許さない。

 絶対に次は勝ってやると俺が再戦を始めようと、ボタンを押そうとした時だ。突然部屋に置いてあった固定電話が鳴り響く。何事か、とすぐに電話の方へと歩いていき受話器を取った。

「はい、三代木です」

「……もしもし、信彦? 私だけど」

「母さん?」

 受話器越しから聞こえてきたのは、俺の母さんの声だった。怪事件を追い始めてからしばらく実家に帰っておらず、実家に電話をする事も少ない中、久々に聞いた母さんの声に驚く。

「ごめんなさい。今、仕事だったかしら……」

「いや、今日は休みだよ……何かあった?」

 少し身構えながら恐る恐る聞いてみると、母さんは静かに「……誠子の事なんだけど」と話を切り出した。俺はすぐに、「ああ……」と何が起きたかを察する。

 誠子というのは、俺の妹だ。蘇芳にある高校に通う高校二年生で……世間一般でいう「不良少女」である。誠子は中学の頃から蘇芳で有名な不良グループと関係があり、学校や街で仲間と問題行動を起こしては警察の世話になっているようだ。

 なっているようだ……というのは、ここ数年俺は誠子とは殆ど話をしていないからである。離れて暮らしているからというのもあるが、俺は元々刑事課で学生の補導などの仕事はしていなかった。しかも今は警察署の追い出し部屋で事務仕事の毎日だ。だから、誠子とは会う事はない。だが、何度か署内で見かけた事はあるし、同僚から「お前の妹をなんとかしろ」となじられた事もある。

 父も母も誠子には手を焼いているようだったが、俺にはあまり迷惑を掛けたくないと思っているのか、実家を離れてからはあまり俺に誠子の事を相談してくれなかった。俺も俺で、怪事件を追うのに必死で、誠子の事についてはあまり触れてこなかったのだ。

 だが、母がわざわざ電話を寄こしてきたということは、もう母も限界なのかもしれない。

「昨日ね、高校の先生から呼び出されて……次に誠子が問題行動を起こしたら退学だって言われたの。でも、私とお父さんだけじゃ……もうね……」

「いや……いいんだよ、母さん。俺も、今まで誠子の事についてあまり話が出来なくてごめん。俺から、誠子に会いに行ってみるよ。実家にも……そのうち帰るから」

 俺の言葉に、何処かほっとしたような声で母さんが「わかったわ。じゃあ……お願いね」と言った。

 電話が切れると、俺は受話器を元の位置に戻して小さくため息をついた。

「……何かあったか」

 声に気づいてテレビの方を見ると、嵐がテレビ前で俺をじっと見つめていた。俺は「いや、たいしたことじゃない」と言いながら、着ていたラフな服を脱いで壁に掛けてある仕事用のシャツを着ると、ジャケットを羽織る。

「ちょっと、用事が出来たから出かけてくる。夕方には何とか戻ってくるから……ま、ゲームでもして待っててくれ」

 慣れた手つきでネクタイを締めた。そのまま足早に部屋を出て行こうとすると「三代木」と嵐に名前を呼ばれる。

「なんだ?」

「……夕飯、オムライスがいい」

 何を言うかと思えば夕飯のリクエストか。拍子抜けして、少し笑う。「わかった。材料買って帰ってくるよ」と言うと、嵐が静かに目を輝かせた。

 嵐に見送られてアパートを出ると、俺はすぐに誠子の所属する高校へと向かうことにした。学校に行って得られる情報がどれくらいかはわからないが、とりあえず話を聞こうと思ったのだ。

 誠子とは、昔から仲が悪いというわけではなかった。俺が警察学校に入る前はよく話もしたし、誠子も俺を慕ってくれていた。だが、警察官としての仕事が忙しくなってからは殆ど会うことが出来ず、たまに実家に帰っても誠子は家にいないことが多くなった。だがまさか、俺が会っていないうちに「退学」を迫られるほど誠子の素行が悪くなっていたとは思わずに俺は困惑していた。

 せめて高校くらいは卒業させてやらないと……と、きっと父や母も思っているに違いない。だから、どうにかしたくて最終的に俺に電話をしてきたのだろう。俺もあまり会っていないとはいえ、出来る事はしたかった。だって……誠子は俺の家族なのだから。

「いや、それはありえないっしょー!」

 甲高い笑い声に我に返る。顔を上げると、道の向かい側からブレザーを着崩した派手髪の女子生徒達が歩いてくるのが見えた。多分、高校生なんだろうその集団の中……一人、見覚えのある顔がいる事に気づく。

「誠子……?」

 立ち止まると向かい側から来た女子高生達が訝し気な表情で俺を見る。その中で、一人驚いたような顔をする、長い茶髪の少女。

 誠子だ。化粧をしているが、まだ幼さの残るその顔に懐かしさを覚える。俺が思わず「誠子」と名前を呼ぶと、誠子は我に返ったようにハッとしてから険しい顔を作った。

「誰、このヒト。誠子の知り合い?」

 集団の中にいた女子高生の一人が誠子に尋ねる。すると誠子は「知らない、こんな人」と呟いて俺の横を通り過ぎようとした。

「誠子! 待て、お前に話が……」

 通り過ぎようとする誠子の腕を掴むが、強い力で振り払われる。誠子は振り返ると俺をキッと睨みつけて「触んな」と吐き捨てるように言った。憎しみや悲しみの籠った瞳に驚いて固まっていると、誠子は言った。

「アンタと話す事なんてないから」

「誠子……」

 強い拒絶をみせる誠子に、俺は何も言えなくなった。でも、母さんから頼まれたのだから俺が何とかしなければならない。俺が意を決してもう一度、誠子に話しかけようとした時だ。

「おい、三代木」

 俺の背後から聞き慣れた声がした。声の方に振り返ると、そこには……何故か一輪車に乗った嵐がいた。

「嵐、どうしてここに……っていうか、なんでお前、一輪車に乗ってるんだ」

「さっき、金次郎と練習してな。ついでに迎えに来てやった」

 金次郎って誰だ。俺の知らないところで嵐の交友関係が広がっている。何から突っ込めばいいかわからなくて当惑していると、誠子たち女子高生集団もひそひそ話始めているのが聞こえた。う、まずい。嵐が変質者だと思われる!

 これは一旦仕切り直しかと思った時、女子高生の一人が「あのぉ」と声を上げた。

「お兄さんたちぃ、この後暇スか?」

「……え?」

「一緒に遊びません? ウチらお兄さんたちと遊びたいな~」

「ね? いいでしょー?」

 誠子以外の女子高生たちが俺と嵐を囲む。逃げ場のなくなった俺と嵐を女子生徒たちがキラキラした瞳で見ている……というより、皆嵐の方しか見てない感じもする。なんでだろう、すごい負けた気分だ。

「誠子もいいよね?」

 女の子の一人が、誠子に同意を求める。誠子は「え」と戸惑った顔をしてから、ちょっと嫌そうな顔で「……別に、いいけど」とだけ言った。

「じゃあ、決まり! とりあえずカラオケいこカラオケ」

 一人の女子高生の言葉に「賛成~!」ときゃっきゃと誠子以外の女の子たちがはしゃぐ。本当は断るべきだし、真昼間から学校にも行かずに遊び歩いている彼女達を注意すべきなのだろうが、もしかしたら誠子と話せるチャンスかもしれない。今日の所は目を瞑ろう。

 俺がどうしようかと嵐の方をちらりと見ると、嵐は一輪車から降りて「カラオケとはなんだ」と女子高生に質問していた。質問された女子高生達は「えー! お兄さんカラオケしらないの? イマドキ珍しー!」だのなんだの言って嵐にひっついている。やっぱり嵐はモテるんだな……。なんて思っていると、誠子に突然服を引っ張られる。

「……アタシの友達に手出したらぶっ殺すからね」

 誠子に至近距離で睨まれた。そんなことするわけないのだが、俺は鬼の形相に圧倒されてただただ頷いた。

 そうして俺たちは、女子高生達に引きずられるようにしてカラオケに行く事になったのだった。



 ****



 狭い個室に、女の子たちの楽し気な歌声とタンバリンの音。嵐の両脇には女子高生が陣取り、嵐に忙しなく話しかけたり時たま歌ったりしている。嵐は流行の曲なんかがほとんどわからないらしくて、女の子達やカラオケのモニターの事を不思議そうな顔で見ていた。

 女子高生たちが皆嵐の傍にいたがるので、俺と誠子は蚊帳の外とでもいうかのようにちょっと離れた席で二人で並んで座っていた。さっきから、一言もお互い話していなくてただただ気まずい。そんな俺たちを置いてけぼりにして、カラオケは盛り上がっている。

「……カラオケ、よく来るのか」

 色々考えた結果、当たり障りのない事から聞いてみることにした。誠子は「別に」と答えたきりまた黙り込む。俺とは話したくない、という感じの空気が出ていた。久しぶりに会ったのだから、話したい事なんて沢山あるのに、そのどれもを言葉にすることが出来ない。何を言っても、誠子には届かないように思えたからだ。

「てかさ~! ずっと思ってたんだけど、嵐さんって超美形だよね? アイドルとかモデルとかやってないの?」

「わかるわかる! でも雑誌で見た事ないしぃ……もしかして俳優のタマゴ的な?」

 俺と誠子の気まずい空気を知らない女子高生達が、なにやら嵐に話しかけているのが聞こえた。嵐は「……俺はタマゴじゃないが?」と首を傾げている。

「じゃあいつも何のオシゴトしてるの?」

「俺は驚飆のガデンというヒーローを……」

「わあああー!」

 俺の叫びに女の子達が一斉にこっちを向いた。誠子も「なにこいつ」みたいな顔で見てきている。いや、今はそれでいい。俺は女子高生に挟まれた嵐を引っ張り出して部屋の隅に慌てて連れて行った。

「嵐! むやみやたらに正体を明かすな!」

「別にいいだろ」

「よくない! これからの捜査にだって支障をきたしかねないし君自身が危険だ! なるべく君がガデンってことは内密にしないと……」

「……ふん、そうか。わかった」

 俺の言葉を聞き終える前に、嵐はさっさと席に戻ってしまう。すぐに嵐の傍に女子高生達が集まり「なんの話してたの?」とか「で、お仕事は~?」と嵐に聞いている。

「俺に仕事をする必要はない。」

「え? どういうこと?」

「簡単だ。俺はセンギョーシュフというやつだからな。」

「……さらにどういうこと?」

 女子高生達が頭にハテナマークを浮かべている。俺もハテナマークを浮かべた。嵐、何を言ってるんだ君は。

「金次郎が言っていた。家を守るのがセンギョーシュフの役目だと。俺はそこの三代木という奴の家を守る使命がある。だから俺は三代木のセンギョーシュフなんだ。」

 ……沈黙。嵐、もっとマシな嘘とかつけなかったのか? そしてどうして金次郎から余計な情報を得ちゃったんだよ。女子高生達が俺をちらちら見ながら嵐に尋ねる。

「え、つまり嵐さんってあの人とデキてんの?」

「……? まあ何でもしてきた仲だしな。出来ない事はないだろ」

「マジか」

 女子高生達、絶句。完全に食い違いが起きてる! 違う! 俺は別に嵐とそういう関係じゃない! 弁明したかったが時すでに遅く。女子高生達はスッと嵐から離れていき、俺は何故か睨まれた。もう嫌だこの空気。

「ね、ねえ! 嵐さんも歌わないの~?」

 一人、気が利く女子高生が声を上げた。この葬式みたいな空気を何とかしようと思ったのだろう。ありがとう、と心の中で感謝したくてその子に視線を向けたがすぐに目を逸らされた。流石に泣いた。

 嵐が「わかった」と言って、女の子たちに説明されて覚えたのであろう機械を器用に操作する。一体、嵐はなにを歌うのだろう……と、そんな場合じゃないのに気になってしまう。何かせめて、この空気を打破する明るい曲を歌ってくれ。

 机に置かれたマイクを持った嵐を観察していると、曲が静かに始まった。なんだか物静かで、何処か聞いたことのあるイントロだ。

 いや……ていうか、これ……。

「これ、『蛍の光』じゃないか!」

 俺の叫びなど知らず、穏やかで聞き心地の良い低音を響かせて嵐が蛍の光を歌う。歌が上手いのはそうなんだが、こいつはどんだけ蛍の光が好きなんだよ。この前もリコーダーで吹いてたし。

 女の子達はまさかの選曲に唖然としながらも、嵐の心地いい歌声に静かに耳を傾けていた。なんだろう、このしんみりとした空気は。さっきの盛り上がりは何処に行ったんだろうか。

 嵐が歌い終わると、場が更にしんと静まり返る。だがその沈黙は、先ほどの様な気まずいとかしらけた空気といった感じではなく、家に帰って大切な人とご飯が食べたくなるような、なんとなく懐かしくて切ない気持ちになる沈黙だった。

「……私、帰ろっかな。なんか、お母さんに会いたくなったかも」

「私も。妹と喧嘩した仲直り、しなくちゃ」

 女子高生達が口々にそう言って、帰り支度を始める。気づけば皆が「じゃあねー」とか「また遊ぼうね」と言い、手を振って帰っていく。あどけない挨拶が交わされていくのをぼんやり見つめていると、気づけばカラオケルームに残ったのは、俺と嵐と誠子だけだった。

 何やかんやあったが……話をするなら、今かもしれない。妙に広くなったカラオケルームで、俺は誠子の方を見る。

「誠子」

 俺に呼ばれて誠子が肩を震わせた。こちらを向かないまま、小さな声で「なに?」と返事をしてくれたのにほっとして、俺は話を始める。

「俺はな……お前を怒りに来たわけじゃないよ。ただ、話を聞きたいんだ。」

 うつむく誠子は、何も言わない。俺はそれでも話をつづけた。

「もちろん、悪いことはしちゃだめだと思う。それは、怒りたい。でも……ちゃんと理由を聞きたい。定められた規則を破るってことは、何か反発したい事や嫌な事があるからなんだって俺にはわかるよ。だから、誠子が嫌だとか、辛いと思う事があるなら俺に言ってくれ。俺は……これでも、お前の兄貴なんだから」

 そこまで言ったところで、誠子が勢いよく立ち上がる。そして、机にあったグラスを引っ掴むと、中に入った飲み物を俺の顔にぶちまけた。

「ふざけんな! 今までアタシの事、散々無視してきた癖に! 仕事の方が大事な癖に! 今更現れて兄貴ヅラするな! アンタの事なんか、一度も兄貴だなんて思ったことない!」

 誠子は俺に向かって怒鳴りつけ、はあはあと肩で息をした。冷たい液体が頬を伝って、服を濡らしていく。

 誠子の言う通りだ。俺は忙しさにかまけて、誠子の面倒を見てこなかった。それは忙しいというだけじゃなかった。

 不良になってしまった誠子に、どう対応していいかわからなかったのだ。恥ずかしかったのだ。警察官の俺の妹が、規則や法律を守れないということが。だから、見ないフリをしていた。俺には最初から妹なんていなかったみたいに、振舞っていた。それは多分、誠子にも伝わっていたんだろう。

「……誠子、すまない」

「うるさい。もう、二度とアタシの前に現れないで」

 誠子は鞄を乱暴に胸に抱えると、振り返らずにさっさと部屋を出ていってしまう。ふいに、誠子の鞄から何かが落ちたが、それを渡す暇もなかった。

 バタンと大きな音を立ててドアが閉まり、個室には顔に飲み物を浴びた俺と嵐の二人。俺は静かにため息をついてうなだれた。

 こうなることはわかりきっていたが、やはり現実に起こると、ショックだ。家族に拒絶される事が、こんなに辛いとは思っていなかった。でも、これは俺への罰だろう。妹をないがしろにしてきた、罰。

「三代木、そんな風に肩を落とすな」

 スピーカー越しに、嵐の声が響く。顔を上げ、嵐の方を見ると、嵐はマイクを持ったまま画面を見つめていた。どうやら、まだ歌う気らしい。音楽が流れ始め、嵐が何か曲を選んで入れたのだろう事がわかった。慰める気があるのだかないのだか、よくわからない。

 嵐が、また綺麗な声で歌いだした。これもまた、子供の頃に聞きなれたメロディーだ。曲を聞いた途端、夕焼けの中を妹と一緒に公園で手を繋いで家に帰った記憶がふと蘇ってきて、胸が締め付けられる。

 少し涙腺が緩みそうになるのを誤魔化すように下を見ると、先ほど誠子の鞄から落ちた何かが目に入ってきた。床からそれを拾い上げると、それは生徒手帳だった。

「これは、誠子のか」

 俺は生徒手帳をぱらっと何気なくめくった。すると、とあるページになにかが貼り付けられているのが目に入る。どうやらそれは写真のようで……。

「な、な……」

 俺は目を見開いた。ハートの枠のついた小さな写真には誠子とブレザー姿の眼鏡をかけた真面目そうな男子学生が写っている。写真の中では誠子が男子学生の腕に抱き着いてピースサインをしており、男子学生は眼鏡の奥で照れたように目を細めて笑っている。

 な、なんだこれは……!

「どうかしたのか」

「うわあ!」

 突然すぐ近くで声がして飛び上がる。いつのまにか、音もなく俺の隣に座っている嵐。曲が終わったことに気づいていなかった俺の手元を、嵐が覗き込んだ。

「へえ、随分アツアツだな。まるで出来立ての揚げ豆腐みたいだ」

 写真を見つけた嵐が言う。謎の例えに突っ込むよりも、俺は手帳の写真の方がめちゃくちゃ気になって仕方がなかった。

「ま、まさか、こいつ、誠子の、こ、こここ恋人? な、は、あわわぁ……」

「どんだけ動揺してるんだ三代木」

 嵐が何とも言えない顔で俺を見る。なんでそこまで動揺しているんだという顔だ。

「動揺するだろ! 子供の頃、俺にあどけない笑顔を向けてくれていた無邪気な妹がッ! どこの馬の骨かもわからない男と一緒に写っていやがるんだぞ!」

「……お前、結構妹の事、好きなんだな?」

 嵐の言葉に俺はハッとする。ずっと、妹を腫れ物みたいに扱ってきたのに、見知らぬ男が現れただけでとんでもないほどの動揺や怒りが湧いてきている。俺は、言葉に迷いながらも、嵐に言った。

「……誠子の事は、ずっと大切だったよ。でも、兄として、どう行動したらいいか……わからなかったんだ。どうしたらいいかわからなくて、不安で……だから仕事を言い訳に、俺は誠子と向き合う事から逃げた」

 ぎゅっと拳を握り締める。俺はなんて弱いんだと、言葉にする度に情けなくなった。本当は、誠子に恋人がいることに動揺する資格なんて俺にはないのかもしれない。だけど……。

「誠子に……幸せになってほしいんだ……それだけは、嘘じゃない……」

 独り言のように零した。俺は何もできなかったし、してこなかった。けれど、誠子の幸せを無責任に願っている。身勝手に、願っている。嘘偽りない本心だと言える。きっと、誠子にはわかってもらえないだろうが。

「……全部、嘘じゃないだろ。不安も、後悔も、大切だと思う気持ちも……全部嘘じゃないから、苦しい。違うか?」

 嵐の問いかけに、俺は黙って頷いた。嵐はポケットを漁ると、綺麗に畳まれたハンカチを取り出し、俺の濡れたままの顔や首元を拭ってくれる。

「一つも投げ出さずに、全部抱えて突っ走ってきたお前は偉い。だから、必要以上に自分を責めなくてもいい。それに……お前の妹が本当にしてほしい事は、お前が自分の罪に苦しむ事ではないはずだ」

 嵐の言葉が、優しく響く。慈しむようなルビーの瞳は本物の宝石のようで、見つめていると吸い込まれそうだった。

「嵐、ありがとう」

 素直に礼を言うと、嵐は「礼なんていらない」と俺の肩を叩く。いつもは傍若無人な癖に、今日はやけに嵐が大人に見えた。

「で、妹にもう一度会いに行くのか」

「ああ……でも、その前にこの写真の彼が気になる。誠子の……か、彼氏かもしれないということは置いておいてだな、何処かで見た事がある気がするんだ」

「ほう」

 俺は何処で見たのかを思い出そうと必死に目を凝らした。そして、記憶の糸を手繰り寄せ……思い出す。

「そうだ。彼は確か……新聞に載っていたんだ。機械工学に関するコンクールかなにかで一位になった、とかで。しかもそのコンクールを開催していたのは……黄金原財閥だった」

 黄金原財閥に関する情報を追っている際に見かけた新聞記事……。現物は確か、家に資料として残っているはずだ。単に彼はコンクールで優勝しただけかもしれないが……もしかしたら、何か怪事件に関連することがわかるんじゃないだろうか? 調べる価値はありそうだ。家に帰って、早速確認しなければ。

 俺はまだ歌いたそうな顔をする嵐を連れて、カラオケを出た。


つづく

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