第6話「緊急結成! 恐怖のオーディション会場に潜入せよ!」

 とある日の午後十四時。通い慣れた喫茶店のボックス席で、俺は情報屋のケイから渡された一枚のチラシを見つめていた。

「バンドの……オーディション?」

 そのチラシには、大きな文字で「バンドオーディション開催」と書かれており、その下には、「オーディションに受かったバンドはレコード会社から即デビュー!」とも書いてあった。ただのオーディションのチラシにしか見えないが……と言おうとした所で、今度はケイからとあるオカルト系の雑誌が俺の方に差し出された。

 付箋の貼ってある場所を開くと、そこには「恐怖! 失踪事件相次ぐライブハウス」というおどろおどろしい見出し。読んでみると、そのライブハウスが定期的に開催するオーディションで人が失踪する事件が起こっているそうだ。失踪者はオーディションに参加したバンドの人間だけではなく、見に来たお客さんまでいなくなっているという。どうにも怪しい話だ。

 ケイがこの話を持ってきたという事は、黄金原財閥や怪物が関わっている可能性が高いということだろう。調べてみる価値はある。

「うーん、とはいえオーディションに参加する訳にもいかないしなあ」

「すればいいだろ」

「でもまずメンバーが……ってウワァーッ!」

 何処からか声が聞こえてきたと思ったら、机の下からぬっと出てきた人影に思わず叫ぶ。お化けか? 怪物か? 俺が身構えると、現れたのはマゼンタ色のジャケットの男。

「三代木、出かけるなら俺を起こしてからにしろ」

 誰かと思えば机の下から出てきたのは嵐だった。一体いつからそこにいたんだと言いたくなったが、神出鬼没な彼にそういった言葉は無意味だと言葉を飲み込む。いや、でもいつからいたのかは普通に気になるな……。

「で、そのオーディションとやらに参加すれば何かが分かるんだろう? 三代木が行けばいいじゃないか」

 言いながら、席に座り直した嵐が俺のコーヒーを横取りする。そして、机にあった砂糖の瓶を引っ掴むと、瓶の中にあった砂糖をほぼ全部コーヒーの中にぶち込んだ。コーヒーに盛られた白い砂糖は、まるでエベレスト。いや、盛り塩みたいにも見える。もうこれにツッコむのはやめよう。

「あのな、嵐。バンドオーディションっていうのは、まずバンドを組まないと始まらないんだよ。少なくとも三人から四人、楽器が出来るメンバーがいないと……」

「リコーダーなら出来るぜ」

「嵐が吹くのいつも蛍の光ばっかじゃないか! それにバンドって言ったらやっぱり、ギターとかベースとかドラムとか……そういのが出来ないとだなあ……」

 そう言うと、トントンと軽く机が叩かれる音がした。俺と嵐が音の方……ケイに顔を向ければ、ケイがいつもの無表情な顔でじっと俺達を見ていた。何か考えがあるのかと尋ねようとした時、ケイがまた一枚の紙を渡してくる。

 紙の一番上には「バンド・BLOOD STORM LILYについて」と書かれている。詳しく読んでみるとそれはバンドの結成企画のようで、コンセプトや演奏する音楽のジャンルなどが事細かに記されている。そうか、ケイは架空のバンドを作りオーディションに潜入させて事件の実態を暴こうというのか。

 では、肝心なメンバーは誰なんだろうと下を見ていくと……。

「え……こ、このメンバーって……!」

 ケイの方を見ると、ケイは静かに頷いた。俺は信じられない気持ちで唖然とし、隣にいた嵐は「ほう、面白い」とにやりと笑う。

 BLOOD STORM LILYのメンバーとして記されていたのは、俺と嵐、そしてケイ。つまり、俺達でバンドをやるという事だ。

「で、誰が何を担当するんだ?」

 嵐がさらに俺の方に寄りかかって資料を覗き込む。資料によると、ベースは俺が担当し、ギターには嵐、ケイは二人目のギター兼ボーカル担当と書かれている。この時点で驚きしかないのだが、ふとドラムの担当が書かれていないことに気が付きケイを見た。

「ケイ、ドラムって……」

 俺が言いかけた所で、そっと俺の座る席にコーヒーカップが置かれた。顔を上げると、そこにはカウンターでいつも俺達を見守るマスターの姿が。

 すると、マスターは俺を笑顔で見つめたまま後ろ手から何かを取り出した。

「そ、それは……!」

 マスターがどこからともなく取り出したのは、二本のドラムスティック。まさか、マスターがドラム担当だというのか……⁉ 訳の分からない展開に頭が追い付かずに混乱していると、嵐が席を立つ。

「よし、やってやろう。目指すは日本一のバンド……いや、宇宙一のバンドだ」

「お、おい嵐! 俺達は怪事件の調査をするのであって、バンドで世界一になる事が目標じゃないからな⁉」

「そんなのわかっているさ。だが、やるからには徹底的にやっていかないとな。そうだろケイ」

 嵐の問いかけに、ケイが立ち上がる。真剣な眼差しのケイが頷き、そっと手を前に出した。そこにマスターが手を差し出し、嵐も手を重ねる。

 え、これって皆で「えいえいおー!」的な事をやろうとしているのか? 俺が困惑していると、三人の視線が俺に向く。どうやら俺もやらないといけないらしい。

「……やるしかないのか」

 おもむろに席を立ち、三人の手の上に自分の手を重ねる。嵐の言う通り、やるなら徹底的にやろう。そうでないと、事件の手がかりが掴めないかもしれない。

 こうして俺達BLOOD STORM LILYは、結成の狼煙をあげたのだった。



 *****



 BLOOD STORM LILYが結成されてすぐ、楽器の練習は始まった。各楽器や披露する曲の手配は全てケイがやってくれたので助かったが、オーディションの日までは一ヶ月も猶予がなく、とにかく必死で毎日練習に励む。

 俺は中学の頃少しだけあるアーティストに憧れてベースに触れていた事があったけれど、警察学校に入ってから楽器には殆ど触っていなかったので感覚を思い出すのに苦労した。しかし、弾いていくうちにベースに触っていた頃の楽しさが呼び起こされ、気が付けば夢中になって練習に取り組んだ。

 一方嵐はリコーダーしか吹いた事がないというので、ギターを覚えるのが大変なのではないかと心配したが……やはりそこは嵐。すぐに弾き方を覚え、ケイから渡されていたオリジナル曲のギターパートを完璧にこなす。君は本当に何でもできるんだなと言うと、嵐は「俺は天才だからな」と誇らしげに言われた。そこまで包み隠さず言われると、いっそ清々しい。

 それからしばらく個人練習が続き、本当は全員で音を合わせる日が必要だったのだが……俺は俺で仕事に行かなきゃいけないし、ケイやマスターも仕事があるおかげで予定が中々噛み合わず。

 無情にも時間だけが過ぎていき、結局全員が完璧に揃う日はなんとオーディション当日だけになってしまった。しかも、リハーサルなしのぶっつけ本番だという。こんなの前代未聞だと頭を抱えたが、一応俺と嵐は音合わせが出来るのだけが唯一の救い。あとはマスターとケイの二人と合わせられるかどうか……だ。

 正直、俺は内心ドキドキしていた。自分が誰かと音を奏でる事への緊張もあるのだが、それよりもかなり気になることがあったからだ。

 それは……ケイの歌声だ。俺はケイと出会ってから、彼女の声を一度も聞いた事がない。基本的に彼女は全く喋る事がなく、彼女がどんな声質なのか、はたまた歌が上手いのかすらすらわからない。最初、ボーカルがケイだと書いてあったときはすごく驚いたし、今も本当に彼女の声が聞けるのか半信半疑だった。渡された曲にも、ピアノでメロディーは入っていたがケイの声は入っていなかったし。不透明な事が多すぎて、果たしてオーディションでうまくやれるのか……いや、潜入さえできれば何でもいい所はあるんだが。

 あの後オーディションを開催するライブハウスについて調べてわかったことがある。ライブハウスを作ったのは名もそんなに有名ではない会社のようだが、その会社に資金提供しているのが……なんと黄金原財閥なのだ。一体何処まで黄金原財閥の手が伸びているのか分からなくなってくるが、何故子会社に金を出してライブハウスを作らせたのかが謎である。しかも、そのライブハウスで失踪事件を起こして、黄金原財閥は一体何をしているというのだろう?

「ついにオーディションは明日か」

 俺が資料を読んでいると、嵐が言う。顔を上げると、嵐はギター……ではなく、リコーダーを片手に俺を見ていた。

「余裕そうだな」

「三代木こそ、練習はいいのか?」

「はあ、だから言っただろ。俺はオーディションに受かるのが目的じゃなくて失踪事件の方を調べに行くんだ」

 忘れたつもりはなかったが、たまにベースを弾くのが楽しいという気持ちが勝ってしまいそうになる事は何度かあったのは事実。だが、これはあくまで仕事だ。俺は別に宇宙一のバンドになりたい訳ではない。

「駄目だ、三代木。例え目的が違うにしても、本気で向き合わなければ意味がない。生半可な気持ちじゃ真実には辿り着けないぜ。お前だってわかってるだろ」

「ぐっ……」

「図星ならそんなもん読むのやめて練習だ、練習。今からスタジオに行くぞ」

「飛び込みじゃ無理だろ……と、言いたいところだが、君はスタジオの店長に気に入られているんだったな」

 小さく笑う。俺達が練習用に借り始めた音楽スタジオのいかついスキンヘッドの店長と嵐は何故か通い始めてすぐ大の仲良しになり、今じゃ予約しなくてもスタジオが空いていたらすぐに通してくれるのだ。嵐も人たらしにもほどがあるというかなんというか。

「ほら三代木、とっとと支度しろ」

「はいはい、わかったよ……」

 俺はやる気満々の嵐に引きずられて最後のスタジオ練習に向かった。練習出来る最後の時間というのもあってか嵐にいつも以上に叱咤を飛ばされ、たまに言い合いになりながらも練習に没頭した。まるでバンドマンみたいだが、俺は警察で嵐は無職。異色にもほどがあるよな。

 結局ほぼ明け方まで二人で練習をした後、集合時間である十六時ギリギリまで家で爆睡してから向かった。

 通された楽屋に向かうと、既にケイの姿があり「来るのがギリギリになってすまない」と挨拶する前に、ケイがこちらにきて俺と嵐に紙袋を押しつけてくる。

 紙袋をよく見ると「三代木用衣装」という紙が貼り付けてあった。ちらりと嵐の方を見ると、嵐の紙袋には「嵐用衣装」と書かれている。なるほど、これに着替えろという事か。多分すぐに時間になってしまうからとっとと着替えた方がよさそうだと、俺はさっさと一人用の更衣室に入って訳も分からぬまま衣装を着た。ちょっと薄暗くてあんまりわからないが、何だか……妙にヒラヒラフリフリしてないか? そんな一抹の不安を感じながらも、慌てて更衣室から出る。

 そして、壁際に設置された鏡を見てすぐに叫んだ。

「なんじゃこりゃアァー⁉」

 更衣室の中が暗くてあんまりわからなかったが、気づけば俺は西洋のドレスみたいな服を着ていた。ベロア調の真っ黒な生地にやたらフリルやレースが散りばめられた可愛らしい服を着ている俺は、どう見ても不審者である。

 俺が唖然としていると、ケイが俺を引っ張って楽屋の鏡台の前に俺を座らせる。今度は何が始まるんだと思えば、ケイがものすごい速さで俺の肌を整えて化粧を施していく。抵抗や抗議の隙もなく顔を白く塗られ、ケイと同じような口紅やアイシャドウが顔に乗せられると、何処からともなく持ってこられたカツラを被せられた。

 俺みたいな何処にでもいる普通の男が化粧にカツラなんてしたところで不審者に変わりなんかないんじゃないかと恐る恐る目を逸らしていた鏡に視線を向けてみる。

「な、なん……エッ⁉」

 鏡の前にいたのは、黒の巻き髪のとてつもない美少女であった。まるで人形みたいに可愛い、これが俺? 本当に⁉ 俺がこんな可愛くていいの⁉

 驚きのまま横を向くと、隣には……赤い長髪の女性。え、この人誰? と俺が目を丸くしていると、女性がにこりと笑い、親指を立てる。見覚えあるぞこの笑顔……ってこの人、マスターだ! 笑った顔で分かったけど、ぱっと見じゃ全然わからない! すごい……これが化粧の力だっていうのか⁉

「二人共もう準備が終わったのか」

 うっとりしていると、嵐の声がして振り返る。そこには……これまたフリフリヒラヒラのシャツに、短パンロングブーツの嵐が立っていた。

 嵐は元々顔も美形な部類に入るから、化粧なんて一ミリもしていないのにもう既に出来上がっている感じがする。もうこのままでいいんじゃないのかなと思うくらいだ。足もスラリと長いからブーツがよく映えるし……やはり元から容姿が完璧な奴には勝てない……ぐぐぐ……。

「まあ、そんな悔しそうな顔をするなよ三代木。お前も十分可愛いさ」

 そんな誇らしげな顔されて褒められても俺は一ミリも嬉しくないぞ、嵐。

 俺が一人嫉妬の炎を燃やしているうちに、嵐が鏡台の前でケイにメイクを施されカツラを被る。メイクが完了し、俺と同じ黒髪をリボンで二つ縛りにした髪型の嵐は正直世界で一番可愛かった。負けたよ。

 俺が完全敗北を噛みしめているうちに時間になり、各々準備をしていく。ステージに立つと、潜入捜査とはいえ緊張した。しかも今日のオーディションは一般公開される予定になっており、更に緊張が増す。

 潜入捜査は、隠している正体がバレたら終わりだ。最初こそ乗り気ではなかったが、ここまで来たら本気でやらねばならない。

「次、お願いしまーす」

 スタッフの声が聞こえ四人でぞろぞろと舞台袖へと向かって行く。舞台袖まで来ると、張り裂けそうなほど心臓が高鳴った。人前に出て何かを演奏する日が来るなんて思ってもみなくて、俺は息を呑む。

「……」

 俺の横にいたケイが、俺の服を引っ張る。ケイの方を見ると、ケイがそっと俺の手を握る。大丈夫だ、と言いたいのだろうか。ケイの眼差しは力強く、俺を勇気づけてくれた。俺はその眼差しに小さく笑って、細い指先を握り返す。

「スタンバイお願いしますー」

 スタッフの声。嵐が「行くぞ」と言ってステージへと歩いていくのにならって俺もステージへ向かう。眩しいライトの中に歩みを進めていくと、狭いライブハウスの中は人でいっぱいだった。こんなに大勢のお客さんがいるとは思わず一瞬怯んだが、俺はケイの眼差しを思い出してすぐに準備に入る。

 俺達は顔を見合わせて、「じゃあ、マスター……よろしく」と声を掛けた。

 美女と化したマスターが頷き、一拍置いてドラムスティックを規則正しく打ち鳴らす。それを合図にして一気に音の渦が爆発した。滑り出しは悪くない。ドラムのテンポに遅れまいと、食らいつくように弦を弾き、それに二色のギターが乗ってくる。もうすぐ歌が入ってくるタイミングだ。俺はケイの方を見た。

 ケイがギターを弾きながら、マイクの前に立つ。息を吸う肩の動き。

 そして、その声は放たれた。

「……!」

 思わず弦を弾く手が止まりそうになったが、嵐に睨まれて慌てて意識をベースに戻す。言いたいことは後で言う事にして、今は演奏に集中だ。そう言い聞かせて、ケイの歌声を聞きながら演奏を続けていく。

 滑らかに激しく紡がれていく音。観客の盛り上がりが心地良い。気づけばケイの歌声への衝撃も忘れ、俺はひたすらに音楽を楽しんでいた。もうこの際上手い下手なんてどうでもいいなんて、そんな事すら思った。

 ……演奏が終わり、あっという間に次のバンドの演奏が始まるからと楽屋の方へと追いやられる。歓声を背に、舞台を去るのが切なかった。

 楽屋に戻ると、俺は一気にその場でずるずるとへたりこんだ。緊張の糸が切れ、身体に力が入らない。心臓が興奮で高鳴って止まない。

「おいおいしっかりしろ、三代木。そんなんじゃ宇宙イチのバンドは目指せないぜ」

「だ、だから……! 俺はバンドを目指してる訳じゃないって……」

 嵐の方を見れば、彼は随分楽しそうな顔をしていた。酷く満足そうな顔に呆気に取られていると、嵐は楽屋の中を歩き回りながら、「にしても、バンドっていうのは楽しいものだな……」とか「次の曲、どんな曲にするか……」とかぶつぶつ言い始める。おいおい、ガデンはどうするんだよ。

「はあまったく……って、アッ! そういえばケイ! 君は……!」

 俺はハッとしてケイを探す。だが、楽屋の中にケイがいない。ついさっきまで一緒にいた気がするんだが……。俺は何とか力を振り絞って立ち上がると、マスターと嵐を楽屋に残して廊下へと出る。

「……?」

 不思議なことに気づく。さっきまで、廊下には多くの人がいたのに今は出演者もスタッフも全く人がいない。がらんどうの廊下にはステージの方からの音が微かに聞こえるだけだ。皆ステージの方に行ってしまったのか、はたまた自分の出番が終わったから帰ってしまったのか。

 俺は不思議に思いながら、ケイを探す。それほど大きくないライブハウスだし、すぐに見つかるだろうと歩いていると、突き当りから誰かの声が聞こえる。

「……だからね、貴方に来て欲しいの」

 俺はそっと壁に身を隠し、声のする方の様子を窺う。行き止まりになったそこには衣装を着たままのケイと……赤いスーツの女性が立っていた。赤いスーツの方の女性には捜査資料で見覚えがあった。確か、彼女はこのライブハウスのオーナーだ。一体、オーナーがケイと何の話をしているというのだろう。

「貴方には才能があるわ。だから、うちの専属ボーカルになって。報酬は弾むわよ」

 どうやら、ケイを勧誘しているようだ。ていうか、それじゃあオーディションの意味がない気が……と思っていると、ケイは静かに首を横に振った。

「そう、ダメなの……なら、仕方ないわね」

 オーナーが身を屈める。途端、オーナーが着ていたスーツがむくむくと膨れ上がったかと思えば、バリバリと音を立てて服が弾けた。

「ビィーット!」

 奇声を上げ、女性オーナーが蜂の姿をした怪物へと変化してしまった! まさか、オーナーが怪物だったなんてと驚く間もなく、怪物が言う。

「こうなったら強硬手段ビィ! お前には問答無用でこのライブハウスで仕事をしてもらうビィ!」

 素早い手つきで怪物ハチビットーに首筋を掴まれたケイ。俺は慌てて壁から身を乗り出し、「ケイ!」と叫んでハチビットーへと突進する。

「ケイを離せーッ!」

 俺に体当たりされたハチビットーが、ケイの首から腕を離す。その隙にケイがハチビットーから距離を取り、けほけほと咳き込む。

「ビィ~? お前は下手くそベーシストじゃねえか! お前はお呼びじゃないビィ!」

 下手くそで悪かったな! 俺はケイを庇うようにしてハチビットーの前に出る。じりじりと迫りくるハチビットーに後退りしながら、叫ぶように言った。

「何故、失踪事件を引き起こしてるんだ!」

「私はこのハコで洗脳ソングを作る仕事をしてるんだビィ~。このオーディションに来た奴らの半分は皆この地下で洗脳ソングを作ってるんだビィ~」

 それが失踪事件の真実か。そんな怪しい事のために人を攫うなんてと俺はハチビットーを睨みつける。ハチビットーは「ビビビ……」と虫の羽音のような気味の悪い笑い声を上げて言う。

「これまでに何人も歌わせてきたが……そこの奴が歌うのが一番しっくりくるビィ。だから、こいつの声で洗脳ソングを完成させて、この蘇芳を支配するんだビィ!」

「そんなこと……させるか!」

 俺はハチビットーに殴りかかる。だが、ハチビットーはすぐにそれを防いで俺の腹にパンチをかます。重いボディーブローに思わずカハッと喉を鳴らすが、ここで倒れることは出来ない。俺はなんとかハチビットーに掴みかかると、ケイに言った。

「ケイ、逃げろ……ッ!」

 ケイは何も言わない。いや、何も言えないのかもしれない。今は何も言わなくてもいいから逃げて欲しかった。

「邪魔ビィ!」

「うぐぁ!」

 しびれを切らしたハチビットーに吹っ飛ばされ、俺はコンクリートの壁にぶち当たる。激痛が走り、壁を背にその場に頽れると、ケイが駆け寄ってきた。逃げて良いのに、ケイは俺を放っておけないとでも言うように俺を見る。いつもの無表情と違った泣きそうな顔に、大丈夫だと言ってやりたかったが、上手く声が出ない。

「さあ、抵抗はやめて大人しく言う事を聞くビィ~」

 このままではケイが攫われてしまう。俺は何とか痛む身体を動かそうとした。動け、動いてくれ。必死になって心の中で叫んだ。

 その時。

「アルケマイズ、ガデン」

「ビィーッ⁉」

 廊下にやけに通る声が響き渡ったかと思えば、突如ハチビットーが真横に吹っ飛んだ。一体何が起きたのかとぽかんとしていると、視界に鮮やかなマゼンタが映る。

「ガ、デン……!」

「待たせたな、二人共」

 そこには彼……驚飆のガデンがいた。

 ガデンの登場に、何処かほっとしている自分がいた。彼が来てくれたからには安心だ。ガデンはカツカツと靴音を鳴らしてハチビットーの吹っ飛んだ方向に歩いていく。

「お、お前は……驚飆のガデンとかいうやつビィ⁉」

「ああ、そうだぜ。俺は驚飆のガデン。お前みたいな悪さする化け物を退治して回るヒーロー……だったが、引退してバンドをやろうかと思ってるぜ」

 それはダメだろ! 俺はガデンを見た。ガデンは俺の視線に気づく事もなく、何か楽しそうにうんうんと唸っている。まさか本気なのか……。

「驚飆のガデン! お前は出禁だビィー!」

 ハチビットーが叫んでガデンに飛び掛かるが、寸前でガデンが華麗に避けた。そして、手に持っていたハンマーを見事な手さばきでハチビットーの身体に打ち込む。一度にならず、二度三度と目にも止まらぬ速さで打ち込まれるハンマー。音を刻むようにリズミカルで一撃一撃が重く力強い攻撃に、目を奪われる。

「……」

 ハチビットーが声を上げる間もなく、気づけば戦いは終わっていた。どさりとその場に倒れ込んだハチビットーは虫の息。ガデンは「ふう」と息をつくと、ハチビットーをひょいと抱えて俺とケイの方を向いた。

「俺はこいつを処理してくる。あとは頼んだ、ケイ」

 ガデンに声をかけられたケイは、小さく頷いた。そのままガデンが何処かへと歩いていくのを見送ると、ケイは俺の肩を担ごうとした。

「ま、まて……ケイ、それより、地下のひとを……」

 俺が何とか言葉を紡ぐ。するとケイがじっと俺の顔を見つめて……言った。

「……死なないで」

 ケイの声。小さな呟きに、俺は「大丈夫だから、行ってくれ」とケイの肩を叩く。ケイは一瞬迷うような顔をしてから、何かを決意したみたいな瞳で「うん」と言って走り出した。

「……頼んだぞ」

 走り去るケイの背中を見つめ、俺は静かに目を閉じた。



 *****



 気を失ってからどれくらい経ったのか、次に目が覚めたのはアパートの自室だった。起き上がると、身体がずきっと痛む。思わず小さく呻いた。

「やっと起きたか」

 声に顔を上げると、隣に敷かれた布団の上に座って雑誌を読む嵐の姿。俺は慌てて「い、今何時だ⁉ ていうか、あれからどうなって……!」と嵐に詰め寄る。俺に詰め寄られた嵐は大して嫌そうな顔をする訳でもなく何ともない顔で言った。

「今は夜中の二時だ。で、何がどうなったかっていうとな、俺があのハチの奴を処理した後、ケイが通報してオーディションは中止。でもおかげで地下にいた失踪者は皆保護されたぜ」

「そ、そうか……」

 ほっとすると、また身体が痛み始めて傍にいた嵐にもたれ掛かる。骨の一つでも折れていそうだが、病院に連れて行かれなかったという事は多分打撲とかで済んだのだろう。頑丈な自分の身体に感謝だ。とはいえ、痛いのに変わりはないが。

「ま、とにかく事件は解決したから安心しろ」

「ああ、でも……黄金原財閥との関係が結局わからなかった。ハチビットーや、あのライブハウスで働いていた人からもっと話を聞いておくべきだったか……って、イタタ……」

「働いていたやつらは何にも知らなかったとさ。結局、ふり出しだな」

「うぐ……」

 少し残念な気持ちになったが、とにかく失踪者が全員見つかって無事なのが一番よかった。黄金原財閥の事は今後改めて調べていくしかないなと思っていると、嵐が「それより三代木」と俺の肩を抱いてニヤリと笑う。何だ? と眉を顰めると、嵐が片手で雑誌を持って俺に見せてくる。

「これを読んでみろ。ここのオーディション、受かればテレビ出演出来るんだ。やってみないか?」

「……君も懲りないなあ」

「当たり前だ。BLOOD STORM LILYは必ず宇宙イチのバンドになるぜ。ここで諦めたら勿体ないだろ?」

「あれは一夜だけの奇跡なんだよ! 俺達の本業は事件を追う事だ!」

「じゃあ、全部解決したらバンドを再開しよう。復活が楽しみだな、フフフ……」

 新たな野望を抱く嵐を、呆れた気分で見つめる。何かと振り回されがちだが、嵐は何に対しても好奇心旺盛で、見ていて飽きない。

 バンドについてつらつらと話し始める嵐を横目に、もし本当にバンドを再開するとなったら、またケイのあの歌声が聞けるのだろうかとふと考える。確かに、ケイの声ならきっと宇宙イチになれるかもしれない。それほど……ケイの声は美しくてカッコよかった。

「おい、聞いてるのか三代木」

「え、うん、聞いてるよ。……まあ、俺がクビになったら、それもありかもなあ」

 そう言うと、嵐が嬉しそうに表情を明るくする。やばい、嵐の事だし「じゃあ今からクビになってこい」とでも言いそうな雰囲気だ。俺はわざと「あ、いたた~。身体痛いから俺はもう寝る~」とふらふら布団の中に戻る。布団に入ると、嵐の視線を感じたが寝たふりを決め込むことにした。

 しばらくすると電気が消えて、隣からもぞもぞと布が擦れる音が聞こえる。嵐ももう寝るのだろう。

 しんと静まり返る部屋。もう嵐は寝たのかな、と思った時だ。

「……叶えたい夢が増えるってのは良いものだな」

 俺が嵐に背を向けたままうとうとしていると、ふいに嵐がそんな事を言った。背を向けているせいで嵐がどんな顔をしているか……嬉しいのか悲しいのか、声だけではわからない。

 嵐の夢は一体いくつあるんだろう。きっと俺が考えもつかない程に沢山あるんだろうな。この前はたこ焼き屋になりたいとか、はたまたテレビで見た仮装コンテストに出場したいとか言ってたし。やりたいことが尽きないなあ君は。

 俺は小さく笑みを零し、嵐の夢の事を考えながらゆっくりと眠りに落ちた。

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