第8話「妹よ聞こえるか、怪物の唄 後編」

 カラオケの件があった数日後の夕方。生徒たちが続々と下校していく時間、俺と嵐は学校の校門から少し離れた電柱で例の男子生徒が現れるのを待っていた。

「町岡雄介。誠子と同じ高校に通う高校二年生。成績優秀で無遅刻無欠席。教師からの信頼も厚くて悪い噂の一つもない。まさに絵にかいたような優等生だ」

 俺は自分の手帳を片手に調べた情報を読み上げた。嵐は「ふうん」と言いながら、俺が買ってやった菓子パンを頬張っている。

「で、何処か怪しいとこでもあるのか」

「ああ……まず、彼の優勝した機械工学に関したコンクールの主催はやっぱり黄金原財閥だったよ。しかもな、このコンクールで優勝すると、将来的に黄金原財閥の下で働くことが出来る権利がもらえるんだ。現に、過去のコンクール優秀者はほぼ全員黄金原財閥の何らかの運営に関わっていることが調べて分かった。きっと、雄介君もその一人になると見える」

「……財閥がコンクールに関わっている事はわかったが、それだけじゃあ怪しいとはいえないだろ」

「そうだな。だが、問題はここからだ。雄介君の父親は、なんと黄金原財閥の運営する部品工場の責任者だった。またこの部品工場ってのがキナ臭くて……表では車の部品なんかを作っているみたいだが、裏では銃や爆発装置の部品を製造しているようなんだ」

「ほう、証拠はあるのか」

「ケイから貰った工場の出荷記録だ。出荷先はほとんど大手の企業だが、その中に聞いた事がない企業が混じっていてな。調べてみたら、ダミーの企業だった。つまりな、この工場は実体のない企業に、車の部品と称した何かを出荷しているんだよ。きっとそれが、武器の部品に違いない。俺はそう考えている」

「怪しい工場に勤める父親に、財閥の大会で優勝した息子か。確かに、なにかあってもおかしくはないな」

「だろう? もしかしたら、これをきっかけに蘇芳で暴れてる化け物が何処で作られてるかもわかるかもしれないからな。証拠を掴んで……財閥の闇を暴かねば」

「……そう、上手くいくと良いが」

 嵐の呟きに首を傾げる。いつもだったら「なんとかしてやる」って顔をするのに。どうしたんだと声を掛けようとした時、嵐が「三代木、来たぞ」と顎で合図した。

 校門の方を向くと、資料でみた雄介君が出てくるのが見えた。幸い、誠子は一緒ではない。これはチャンスだ、と俺は嵐と共に雄介君の後を追った。

 雄介君は行き交う生徒たちと挨拶を交わしながら、道を歩いていく。このまま、彼は普通に家に帰るのだろう……その前に少しでも話が出来れば。なんて思っていると、ふいに雄介君が歩いていた大通りから外れ、細い路地に入っていくのが見えた。裏道でも通って帰るのか?

 俺と嵐は雄介君を追って細い路地へと入っていく。さっきまで人の声や車が通る音などがしていた大通りとは違い、路地は不気味なほど静かだ。雄介君は特に目立った様子も見せず、当たり前のように路地を進んでいく。

 それからしばらくして、雄介君が路地の途中にあったビルに入って行った。こんな人気のないビルに何の用があるというのだろう。俺は雄介君が入って行ったビルをまじまじと観察したが、人が住んでいるような気配はなく壁もボロボロで、それが廃ビルだということは一目瞭然だった。

「……なにかあるな」

 嵐が呟いた。俺達は顔を見合わせてから、ビルの中へ入ることにした。

 がらんとした廃ビルの中、窓がベニヤ板で塞がれている所為でほとんど日の光が届いておらず、薄ら寒い空気が漂う。所々朽ちたコンクリートの壁や床や置きっぱなしの廃材は、この建物が人から見放されて随分経つことを物語っていた。

 雄介君は何処へ行ったのだろう? そう思って辺りを見回していると、ふいに嵐が俺の肩を掴んだ。振り向くと、嵐がある場所を指さしている。視線を向けると、嵐の指さした方向に、コンクリート状の階段が目に入った。静かな足取りで嵐が階段の方へ向かうのを追う。

 階段を上がっていくと、一階の薄暗さが和らいでいるのを感じた。それは、二階の窓のベニヤ板が剥がれて日の光が差し込んでいるから……ではなかった。もっと青白い、人為的な光だ。

「三代木」

 先に階段を上がり切った嵐が俺の名前を呼んだ。俺はじりじりと焦る気持ちを抑えながら階段を上がる。

 そして、そこで驚きの光景を見た。

「……これ、は?」

 一階のがらんとした雰囲気とは打って変わり、そこは簡易的な実験施設のようになっていた。工事現場で使うような照明が何個も設置され、無数の太さの違う色とりどりのケーブルが床を這っている。そのケーブルが何処に集まっているのかを目で追うと、空間の中心ともいえる部分に彼と……ソレはいた。

「やっぱりついて来ていたんですね」

 声と共に、雄介君の眼鏡のフレームが鈍く光る。俺達の事に、気が付いていたのか。一体いつからなのだろう。

 ……いやそれよりも、彼の後ろにあるものが気になってしょうがなかった。

 なんだ、あれは。

 俺は信じられない思いで、雄介君とその後ろ手でケーブルに繋がれた「怪物」を見る。妙に温かい色のライトに照らされた二メートル程はあるその怪物の容姿は、ロボットの様に機械的な部分を要所要所に持ちながらも、人間の様な生々しい滑らかな皮膚を身にまとい自立している。

 生き物と機械がぐちゃぐちゃに混ざり合ったような、歪で奇怪な姿。見ているだけで、悪寒がする。

「……お二人は、探偵さんかなにかですか?」

 雄介君が不思議そうな顔をする。俺はハッと我に返って、乾いた喉からなんとか言葉を捻りだした。

「俺は……警察だよ。蘇芳で起きている怪物絡みの事件を追っている。……君は、ここで一体何をしているんだ?」

 聞かずともわかっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。まだ幼さの残る顔をした高校生が、あんな不気味な化け物を作っていると、信じられなかったのだ。

「警察……ですか。なるほど、まあいいや。ええっと、僕はここで、新しい人工生命体を作っているんですよ」

「人工、生命体?」

「はい。死や老いに囚われない、新しい不死のカラダです」

 雄介君は言いながら、何かの準備を始めた。何をしているのか分からず、身構える。しかし雄介君は俺達に目を向ける事はない。

「僕、ずっと夢でした。死ぬ事もなく、老いに怯える事もなく生きる事が。でもそれを研究できる場所が中々なかったんです。だけど、コンクールで優勝して、父が黄金原財閥に掛け合ってくれたおかげで、僕は研究を始めることが出来た。すごく、嬉しかったなあ。初めて父さんの事を好きだと思えました。それまで、ずっと仕事の事しか考えてない人だと思ってたから……」

 雄介君は話しながら、自分の手首や首にケーブルが繋がっている黒いベルトのようなものを巻き付けていく。俺も嵐も何が起きるのかまるでわからないから手が出せない。緊張感と、妙な不安感が空気を満たしていた。

「……ここらで暴れていた怪物は、お前が作ったのか?」

「いえ、僕は少し手伝っただけです。財閥の人が、研究を続ける代わりに手伝えというので……」

「失踪事件が相次ぐのも財閥の仕業か」

「ええ。彼らは新たな生命体開発のために人間を誘拐しています。何に使うかは……まあ、ご想像にお任せしますが」

 嵐の問いに対する雄介君の言葉に俺は目を見開いた。欲しかった証言が、今手に入ったのだ。俺は慌てて、雄介君に再び問いかける。

「つ、つまり、財閥があの怪物を作ったことに間違いはないんだな?」

「そうですよ。理由は知りませんが、財閥は怪物を暴れさせています。まあ、彼らは暴れているというよりは、命令通りに動くかテストされている……という方が正しいみたいですけれど……」

 テスト、とは一体何のことなのか。俺は気になったが、それらの詳細はまたあとで聞けばいい。俺は雄介君に向かって言った。

「雄介君、頼む。君の証言があれば財閥の悪事を暴けるんだ。俺達に協力してくれないか?」

 俺達の存在を無視して、脇に置いてあるコンピューターをいじる雄介君は、モニターの青白い光に照らされながら「悪事、ですか」と笑った。

「財閥は『悪事』を働いているなんて思っていないですよ。彼らは当然の行いをしていると思っている。だってここ……蘇芳はあの人達の所有する庭なんですから」

「庭、だなんて……! ここには数え切れないほどの一般市民が住んでいるというのにか!」

 確かに黄金原財閥は蘇芳のインフラを支える柱と言えなくもない。だが、だからといって好き勝手に化け物を暴れさせていいはずがなかった。許されるはずがない。

「……なんだか、珍しいですね。貴方みたいな人はもう蘇芳にはいないと思ってました」

 雄介君の視線が、俺の方に向く。どういうことなのだろうと見つめ返すと、雄介君は目を細めた。

「蘇芳にある警察組織は裏で黄金原財閥が管理していると教えられてきたので。貴方みたいな人はすぐに消されてしまうものだと……ああ、もしかして隣の人が理由ですか?」

 隣の人、と聞いて俺は横を向く。横にいた嵐は、いつもと違った険しい顔をしていた。俺がぎょっとしているのにも気づかず、嵐は雄介君の方を睨んでいる。

「俺の事を知っているのか」

「ええ。ひょっとしてそうかなあ……と思ったんですが。驚飆のガデン、でしたっけ。財閥の人が手を焼いているって聞きました。迂闊に手が出せない、とも。……何でかは知らないし、興味もないですけれど。でも、ガデンが傍にいては確かに迂闊に刑事さんに手は出せない。なるほど、財閥が抱えている問題が少しわかってきました。ふふ」

 雄介君は独り言のようにぶつぶつと喋りながらモニターに再び目を移す。「……さっきから、一体何をしているんだ?」と俺は訝しげに尋ねた。

「最終調整です。僕の番が回ってきたので」

「僕の番?」

「はい。次にテストされるのは僕なんです。僕が、命令通りに動くのか……財閥にテストされるんだ」

 雄介君はコンピューターに接続されたキーボードを叩き終えると、怪物の方へと歩いていく。それから、そうっと手の平で佇む化け物の皮膚を愛おしそうに撫でた。空いた片方の手が、ブレザーのポケットを漁る。

 ブレザーのポケットから取り出されたのは、黒いなにか。よく見ると、それは小さな四角いリモコンだ。真ん中に、血の様な真っ赤な丸いボタンがついている。

「やっと、生まれ変われる」

 雄介君が呟き、天を仰ぐ。とてつもなく、嫌な予感がした。

「やめろッ!」

 俺が声を発する前に、嵐が聞いた事もないような鋭い声を上げた。だが、遅かった。

 雄介君が手元のリモコンのボタンを押すのが見えた。その瞬間、備え付けられた機械やケーブル、そして照明にまでバチバチと火花が散る。

「うああーーッ!」

 火花はケーブルを伝い、雄介君の腕や首についた黒いベルトへと到達する。その途端、雄介君は酷く苦し気な叫び声を上げ、がくがくと身体を震わせた。

 感電しているんだ! 俺は雄介君を助けるために駆け寄ろうとした。だが、嵐に腕を掴まれそれを止められてしまう。

「離せ嵐! このままじゃ雄介君が死ぬ!」

「駄目だ! お前まで巻き込まれるぞ!」

 確かに嵐の言う通り、今近くに行ったら俺も確実に感電するだろう。だけど、助けなければならない。それは、大事な証人だからというだけではない。誠子にとって大事な存在でもあるからだ。俺の脳裏には、写真の中で笑う誠子と雄介君の姿が浮かんでいた。

 嵐の手を振りほどき、駆け出そうとした瞬間。一層強い火花が散り、まばゆい光が辺りを包み込んだ。

「くっ……!」

 眩しさに思わず顔を逸らす。光はすぐに止み、冷たい暗闇が部屋に広がった。焦げ臭い匂いが鼻を掠め、弾かれたように俺はすぐ雄介君のいた方へと走り出す。

「雄介君!」

 駆け寄ってみると、雄介君は床にぐったりと倒れ込んでいた。雄介君を繋いでいる装置からは白い煙が小さく上がっており、相当な電流や熱が雄介君に流れ込んだことを知らせている。サッと血の気が引いて、俺はすぐに雄介君の身体を起こす。重い。雄介君の身体には、全く力が入っていない。

 まさか、そんな……。俺は震える唇を噛み知る事も出来ずにいた。雄介君の顔を覗き込んでも、息をしているようには見えない。閉じられた瞳が開くことはない。

 悔しさ、怒り、悲しみ、驚き。様々な感情がミキサーにかけられてひとつになったような気分だった。ただ目の前の死に呆然として、何も考えられない。

「三代木ッ!」

 何も考えられずにいる俺の背に、嵐の声が投げつけられる。それと同時だった。ギギギと鈍く金属が擦れ合うような音がして、顔を上げる。

「……っ!」

 俺は息を呑んだ。雄介君の後ろにいた怪物が、動き出していたのだ。ギチギチと不快な音を立てて動く怪物を呆然と見つめていると、怪物は自身の身体に繋がったケーブルを次々に引き千切り、ゆっくりと歩き始めた。ガチャガチャとした雑音の中に、キューンとモーターが回る音が時折聞こえる。

「ヤ……タ……ケ、ン、キ、ウ……セ、イコ、ウ…」

 怪物が、歩きながら何かを喋っている。ノイズが多く、よく聞き取れなかった。怪物は俺達を無視し、窓に貼られたベニヤ板を軽々と剥して捨て去る。光を浴びて、深呼吸でもするかのように身体を動かすと、化け物はその場に少し立ち止まってから、ひょいと窓枠から飛び降りた。

 ……怪物がいなくなってから、どれくらい経ったのかわからない。

 冷たくなった雄介君の身体を抱えたまま光の差す窓を見つめていると、すぐ傍に嵐がしゃがみこんでくる。

「三代木、大丈夫か」

「……」

 上手く答えられずにいると、嵐がぎゅっと顔を顰めた。また、嵐が見た事のない顔をした。

「……行くぞ。あの怪物が暴れてるかもしれない。」

「で、も……雄介君が」

「どうせ財閥の奴らが回収しに来る。だから、もう……」

 嵐が黙り込む。その瞬間、俺は無性に腹立たしくて、許せなくなって、どうにもならなくなって俯いた。涙すら出なかった。

「嵐、俺は……俺は絶対に……」

「わかってる。俺も……同じだよ」

 嵐が俺の肩を叩いた。俺は静かに雄介君を冷たい床に横たえると、着ていたジャケットを彼の身体にそっと被せた。どうか安らかにと、静かに願いながら。

「三代木、ほら」

 先に立ち上がった嵐が、しゃがんだ俺の方に手を差し伸べる。俺は躊躇わずに、その手を強く握って立ち上がった。

 それから廃ビルを出てすぐのことだ。

 ポケットに入れていた携帯電話が鳴り、開いて見てみると知らない電話から電話が来ていた。一体誰だと俺が携帯電話を耳元に当てた直後。

「お兄ちゃん助けて!」

「なっ……もしもし?」

「お兄ちゃん! アタシ! 誠子!」

「誠子……?」

 いきなり電話越しに何度も叫ばれてびっくりする。まさか妹から掛かってくるとは思わず、俺は慌てて「誠子なのか?どうしたんだ?」と尋ねた。

「い、今っ! ゲームセンターにいたらっ! 変な怪物みたいなのが来てっ……!」

「怪物?まさか……」

 俺はすぐに嵐の方を見る。嵐も何かに気が付いたように神妙な面持ちになった。

「誠子、場所は何処なんだ?」

「学校の近くのとこでっ……きゃあーーっ!」

 誠子の悲鳴と共に、ガシャン! と大きな音が電話越しに聞こえてくる。心臓を掴まれた様な緊張が走った。

「もしもし? 誠子!」

 俺は何度も誠子の名前を呼んだ。だが、無常にも電話はブツリと音を立てて切れてしまう。冷たい汗が背筋を伝い、俺は助けを求めるように嵐を見る。

「嵐……誠子が……化け物に……っ!」

「落ち着け三代木、場所はわかったのか?」

「が、学校の近くのゲームセンター、だと……」

「よし、ならすぐに行くぞ。三代木、走れるな?」

 嵐の力強い瞳に射抜かれて、俺は頷いた。きっと俺は今、頼りのない顔をしているんだろう。嵐がむっとして、俺の頬を両手で引っ掴む。そして何をするかと思えば、俺に頭突きをかましてきた。

「痛――ッ!」

 あまりの痛さに俺が頭を抱えると、嵐が「少しは目が覚めたか?」と俺に尋ねてくる。俺は痛む額を押さえながら嵐を睨みつけて叫んだ。

「も、もっとやり方があるだろ! せめてビンタとか……!」

「ほう、ならビンタもしてやる。頬を出せ三代木」

「い、嫌だッ! って、こんな事してる場合じゃないだろ!」

 誠子の命が危ぶまれているかもしれないというのに! 俺は路地を走り出す。後ろで、嵐が「……それでいい」と呟いたのが聞こえたような気がしたが、構ってられなかった。

 無事でいてくれ、誠子……そう祈りながら、俺はひたすら路地を走り続けた。



****



 誠子が電話で言っていたゲームセンターはすぐに見つかった。ゲームセンターの外に多くの人だかりが出来ていたからだ。ゲームセンターは思った以上に大きいらしく、いつもだったら怪物の事件には知らん振りな警察の姿まであった。

「皆さん下がって下さい!」

 交番から駆け付けたのであろう警察官が、ゲームセンターの中を覗こうとする群衆を制している。中にはカメラで写真を撮ろうとしている人間もおり、あれがマスコミの類であろうことはすぐにわかった。

「誠子!」

 俺は群衆を押しのけ、中に入ろうとした。すると、俺を見つけた警察官の一人が慌てて俺を止めに来る。

「現在立てこもり事件が発生中です! 危ないですから入らないで下さい!」

 俺は乱暴な手つきでポケットから警察手帳を取り出し叫ぶように言った。

「俺は三代木! 警察署の刑事だ!」

 俺の言葉に、警察官が顔色を変える。それから「ま、まさかあの、三代木巡査……?」と呟く。俺は今や署内じゃ有名な鼻つまみ者なのだ。関われば警察を牛耳る黄金原財閥に目を付けられかねない危険な存在。警察官はすぐに俯き、さっと黙って道を開けた。

「……君は俺に無理矢理従わされた、そういうことにしといてくれ」

 俺はそう言って警察官の肩を叩いた。警察官は苦々しい顔で俺を見ると、また群衆の方へと歩いて行ってしまった。しかし、俺には聞こえた。彼が小さな声で「お願いします」と言った声が。

「三代木、行くぞ」

「……ああ」

 俺と嵐はすぐにゲームセンターの中へと入った。

 ゲームセンターの中は、酷い有様だった。ゲームセンターに並べられていたんだろうゲーム筐体は無残に倒され、椅子なども散らばり放題だ。逃げた客がこぼしたんだろう飲み物が床にぶちまけられ、誰かの荷物も置きっぱなしになっている。突然の襲撃に、物を持って逃げる暇もなかったのだろう。

「誠子、どこにいるんだ!」

 俺が叫ぶと、ゲームセンターの奥から「お兄ちゃん……」とか細い声が聞こえてきた。俺はすぐに声のした方へと向かった。

「……誠子ッ!」

 店内の一番奥、まるで巣でも作るかのようにひしゃげたゲームの筐体で囲われたその場所の中央に、誠子はいた。それも……あの怪物と一緒に。

「お兄ちゃん、助けて……!」

 埃で顔を汚した誠子が、片膝をついた怪物に抱えられたまま俺の方に手を伸ばす。俺はその手を掴みたくて一歩踏み出した。しかし、その瞬間、キリキリとつんざく機械の咆哮を受けてたじろいだ。怪物が、俺を威嚇している。

「ワ、ワ、ワ、タ、サ、ナ……イ」

 雑音交じりに、機械が喋る。渡さない……と言ったのだろうか。俺は怪物を睨みつけたままどうしたものかとその場で奥歯を噛む。

「嵐、どうする……これじゃ、手が出せない!」

「……説得しか、ないな」

「せ、説得? 相手は化け物だぞ。何を説得しろっていうんだ」

「三代木、お前は勘違いをしているぜ。……あれは化け物じゃない。町岡雄介だ」

「……なに?」

 嵐の言葉に眉を顰める。何を言ってるんだ? 雄介君は、死んでしまったんじゃないか。俺は、彼の息絶えた身体を抱えたんだぞ? 俺の不信に気づいたように、嵐が静かに口を開いた。

「……アイツは最初、『不死のカラダ』の話をしていただろう。不死のカラダを、夢見ているってな……。そして最期にアイツはスイッチを入れる前に言った。『これで生まれ変われる』と。つまりアイツはな、自分の意識をあの怪物の器に入れ込んだんだ。自らを犠牲に、不死の化け物になったんだよ」

「そんな……馬鹿な!」

「なら、アイツに直接聞いてみればいい」

 嵐はスッと怪物を指さした。怪物はキリキリと機械じみた音を立てながら誠子を抱え込んで俺達を警戒している。俺はぐっと息を呑みこんで、怪物に話しかけた。

「き、君は……町岡雄介君、なのか?」

「……ソ、ウ。ボ……クハ……マ、チオ……カ、ユ……スケ……」

 怪物は金属の擦れ合う音を立てながら、ノイズ交じりの声を吐く。確かに良く聞くと、それは雄介君の声にも似ていた。俺は冷や汗を滲ませながら怪物を見る。どう見ても、それは彼の姿には見えない。そこには、青白い皮膚を持った歪な怪物しかいない。

 だが、その歪な肉体の中には町岡雄介君の魂があるのだろう。もし、それが本当なら……。

 俺はある事を思い出して、ポケットを探る。まさか走っているうちに落としていやしないだろうかと不安になったが、すぐにそれは見つかった。

 俺はそれを手にして、静かに一歩、怪物……否、雄介君の方へと出た。機械が軋む嫌な音で威嚇されても、俺は怯まなかった。

「雄介君、君が……君が本当に雄介君なら、わかってほしい。こんなことをしても、誰の為にもならないことを。誠子だって……望んでないことを……」

 雄介君が、小さく反応を見せる。それを見逃さず、俺はすかさず手に持ったそれを雄介君に見せた。

 それは、俺が拾った誠子の生徒手帳だ。誠子が大事そうに持っていた、雄介君と誠子が笑っている写真を、彼に見せた。

「君が大事にしている事、夢を見ている事を否定はしない。俺は……君に夢を見ていて欲しい。でも、それ以上に……君に誰も傷つけてほしくないんだ! 君の夢が、誰かの悪夢になっちゃいけないんだ! 雄介君、頼む……自分の夢を、これ以上壊さないでやってくれ……」

 それは切実な祈りだった。君の夢を、君自身が壊してしまってはいけない。誰かを傷つけてはいけない。言いたいのはそれだけだった。元に戻れなんて言わないし、言えない。

 彼はもう新しい肉体を手に入れてしまったのだ。戻れない事をきっと承知のうえでああなった。なら、俺が言えるのはただ「これ以上自分や自分の大切な人を悲しませないで欲しい」ということだけだ。

 俺の言葉の後、機械の軋む音が、静かに止んだ。しんと辺りが静寂に包まれると、あの息苦しい切迫感が和らいだ気がした。

「……セ、イコ、サ……ン」

 雄介君が、抱えたままの誠子を呼んだ。誠子が、ゆっくりとそれに反応し、顔を雄介君の方に向ける。

「雄、介君……?」

 誠子が静かに怪物の顔の部分に土埃で汚れた手を持っていく。慈しむような、愛おしむようなその誠子の手は、雄介君が自身の器となるカラダを撫でている時の事を彷彿とさせた。

 雄介君は機械と白い皮膚の継ぎ接ぎになった大きな手で、そうっと誠子の乱れた髪を直した。とても繊細で、まるで人間の様な優しい手つきだった。

 それから雄介君は誠子を抱えたままゆっくりと立ち上がり、奇怪な音を立てて動き出す。フラフラとした足取りで俺の方にまで歩いてくると、俺の腕の中にそうっと誠子を下ろした。俺は誠子を横抱きにして、雄介君を見上げる。不思議と、もう恐怖はなかった。

「アルケマイズ、ガデン」

 これから彼をどうするべきなのか、俺が悩んでいた時だ。嵐の平坦な声が聞こえて振り返る。気づけば嵐はガデンへと姿を変えていた。まさか……俺はドキリとする。

「ガ、ガデン、待ってくれ。彼は……!」

「……」

「ガデン!」

 俺の悲痛な叫びも聞かず、ガデンは黙って俺を押しのける。俺は堪らず叫んだ。

「君がさっき言ったんじゃないか! 彼は雄介君なんだって!」

「ああ、言ったさ。でもな、人の道を捨てた時点で……こいつの末路は決まっていた。本人だって、わかっていたはずだ」

 ガデンが雄介君を見上げた。雄介君はキュキュルと機械音を立てながら、静かに頷いた。そんな……! 俺はそれでもガデンを止めたくて言葉を探した。するとそんな俺の気配を察知したように「三代木!」とガデンが怒鳴る。

「とっとと出ていけ。あとは、俺の仕事だ」

「……っ」

 俺はそれ以上何も言うことが出来なくなった。いや、ガデンの背中が、俺に何かを言わせることを許さなかった。俺は唇を噛んで、誠子を抱えたまま静かにガデンと雄介君に背を向けた。

「……雄介君、すまない……」

 君を許す権利も、裁く力も俺にはない。無力感と悔しさに苛まれながら、俺は静かに出口へと向かった。

 機械が無残にひしゃげて壊れていく音を、背に聞きながら。



****


 あれから数日。蘇芳には何事もなかったかのように平穏な日常が戻っていた。

 ゲームセンターでの一件は「強盗の立てこもり事件」として処理されたらしく、結局いつものように怪物の存在は伏せられたままだ。マスコミにも圧力が掛かっているのか、強盗事件として以外は報道されない。怪物の存在は単なる「ウワサ」として囁かれるだけ。

 何もかもがいつも通りで、吐き気がした。

 俺はといえば、あの立てこもり事件以来「非番」を言い渡される日が多くなり、出勤する事すら拒まれてしまっている状態だ。もはやクビ同然である。むしろ何故俺をクビにしないのか不思議でならない。まあ、クビにする方がリスクが大きいと上の連中は判断しているのだろう。

 ……嵐はあれから変わらず、いつものように気まぐれでいる。あの事件の事を気にしている素振りもないし、俺にも何も言ってこない。俺もまた、何も言わない。それで平穏を保っているのもどうかと思うが、あまりにやるせない事件だったから……上手く口に出せないのだ。

「三代木、腹が減った」

「ああ、うん……」

 俺はぼんやりテレビを見ながら適当な返事をした。すると、畳に寝転んでいた嵐が起き上がって俺の頬を抓る。

「いひゃい」

「何を間抜けな顔してる。とっとと飯を作れ」

 亭主関白な旦那かよ……なんて突っ込む余力もなく。俺は嵐に頬を抓まれたまま、ぼけーっとする。あの事件以来、非番が多くなったこともあって何だかとても無気力になってしまっているのだ。ケイとも連絡が付かない日が続いており、大きな事件もない。真相を掴んだのだから、こんなんじゃいけないなと思いながらも、嵐に頬を抓まれる生活を送っている。

 そろそろ嵐の平手が飛んできそうな頃。ピンポーンとインターホンが軽快な音を立てた。俺はめんどくさい気持ちに負けずゆっくりと立ち上がると、のそのそとキッチンを通り抜けて玄関のドアを開ける。

「……おはよ」

「……せ、誠子?」

 ドアの前にいたのは、ブレザー姿の誠子だった。俺が驚いていると、誠子が俺の前に袋に入った何かを突き出してくる。それを受け取って中を見て見ると、そこにはタッパーがいくつか段になって入っていた。

「お母さんから……お兄ちゃんに届けてって。肉巻きとか、肉じゃがとか……色々入ってる」

「……肉ばっかりだな」

 言いながら、中身が母さんの手料理だとわかって、頬が緩む。こうして母の手料理が食べられる事が嬉しいし……誠子が家に来てくれる事が嬉しい。

 誠子とは、あのゲームセンターでの事件があってから少しずつ話せるようになった。あの事件で怪我をして入院した誠子の世話をしているうちに、お互いに歩み寄りを始めたのである。

 誠子は……あの事件当時のことをあまり良く覚えていないらしい。怪物が建物の中で暴れ出し、必死に逃げ惑っていた記憶しかないという。それを聞いて、俺は少しだけほっとしてしまった。……もし、誠子が怪物の正体を知ったら、それこそ何が起こるか分からなかったから。

「……どうしたの?」

 ぼーっとしていた俺の顔を、誠子が不思議そうに覗き込む。俺はハッとして顔を上げた。

「いや、なんでもないよ。料理、届けてくれてありがとう……誠子。そういえば学校、今からか?」

「……うん」

「遅れるなよ」

 俺が微笑むと、誠子が何かを言いたそうな顔で俺を見る。どうかしたのかと首を傾げると、誠子が恐る恐ると言った感じで俺に言う。

「また、来るね?」

「……ああ、待ってるよ」

 俺の返答に誠子が嬉しそうな顔で微笑んだ。可愛くてあどけない表情に、幸せな気持ちになる。でも、少し胸が痛んだ。この笑顔をもっと彼に見て欲しかったと、そう思ってしまう自分がいた。だけどその事を表に出すことは……多分もうない。

「じゃあ、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

 誠子が照れ臭そうにはにかむのを見送って、俺はドアを閉める。

「上手く話せたか」

 振り返ると、嵐がキッチンに腕を組んで佇んでいた。俺は誠子から渡された料理を胸に抱えながら「……話せたよ」と笑って見せると、嵐が静かに俺の方に近づいてくる。渡された料理を寄こせとでも言いたいのだろうと思っていると……彼は言った。

「……俺にはそんな風に、笑わなくていい」

 優しい声色で囁かれた言葉が、胸に刺さる。取り繕おうと言葉を口にする前に、嵐のルビー色の瞳が、その姿が、視界の中でぼやけていった。

 ……脳裏で、冷たい機械になった彼の姿が浮かんで剥がれない。あの時からずっと。色濃く温かな世界が自分を包むたびに、冷たい彼の身体を思い出す。平穏な日常をもっと彼に送って欲しかったと、そう思う度に胸が苦しかった。俺に、もっとできることがあったんじゃないかと、ずっとそう思っている。

「……きっと今でも、夢を見てる。夢の中で、生きること……それが、望みだったんだ」

 そう思うしか、もう俺達にできる事はない。

 それはひどく優しくて、それでいてとても残酷な言葉だった。帰らぬ人の影を追うなという、嵐なりの叱咤でもあるんだろう。嵐の言葉に「そうだな」と少し声を震わせ、俺は俯いたまま鼻をすすった。

「これ以上、財閥の好きにはさせない。そうだろ、三代木」

 顔を上げると、嵐が真剣な顔つきで俺を見ていた。強い眼差しは、怒りに燃えているようにも見えた。泣いている場合ではないと、俺は目元に滲んだ水滴を乱暴に拭う。

「ああ……俺は必ず、蘇芳に平和を取り戻したい。だから、一緒に戦ってくれ。嵐」

 そっと片手を差し出す。俺だけでは、この巨悪には立ち向かえない。嵐の……ガデンの力が必要だ。

「当たり前さ」

 嵐は俺の差し出した手を強く握りしめる。手の平に嵐の熱意を感じて、胸が熱い。

 こうして俺達は、必ずこの都市を守って見せると決意を新たにしたのだった。

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