第一章 黄昏の姫君 5

 ある日のことだった。マリエンフェルデの宮に、第二王妃アルマンソラの徴をつけた女官が、恭しげに小箱を掲げしずしずとやってきた。

「第五王妃様へと言づかって参りました」

 口元に薄く笑みを浮かべ、伏しがちの瞳もなぜか謎めかしている。ティリアは警戒した。 国許を出る時、マリエンフェルデの良き友、良き相談役、そして良き守り手であれと言い含められて育ってきた。マリエンフェルデに何かあれば、それはこの上もなく自分の責任で、自分の代わりはいくらでもいるがマリエンフェルデは唯一無二の存在なのだ。箱に何か入っているかもしれない。

「何なの?」

 できればマリエンフェルデの目に入れぬ内に処分してしまいたかった。こんな漆塗りの箱、嫌がらせ以外の何ものではないに決まっているのだ。

 しかしあの女官、よほど慣れているのだろう、若く気の利かない女官に目を留めると贈り物でございますとあでやかな声で言うので、その知らせはあっと言う間に知られて今知った。

「申し訳ありません姫様、それが……」

「贈り物ですって? 一体誰から?」

 贈り主を聞いてマリエンフェルデも眉を寄せた。親しくしているつもりはない。なにか贈られるようなことをしたことも言ったこともない。

「…………」

 マリエンフェルデの瞳がキラリと光った。

「いいわ。開けなさい」

 脇息にもたれかかって、彼女は件の女官に箱を開けさせた。毒針が仕掛けられているかもしれない。ティリアに万が一のことがあってはならないが、頭の弱い女官の一人や二人いなくなってところで、マリエンフェルデは痛くも痒くもないのだ。何も知らずににこにこと満面の笑みを浮かべて、件の女官は箱を開けた。

 蠍でも入っているか------------

 一瞬の緊張が奔った。しかし、それは杞憂であった。

 入っていたのは毒針でもなければ百足でもなく、一枚の良い香りのする紙であった。それは、陽に透かすと第二王妃アルマンソラの紋章が透かしで入っているものだった。

 それには優美な文字でこう書かれていた。


  どんなものでも食べつくす

  鳥も

  獣も

  木も草も

  鉄も

  巌も

  噛み砕き

  勇士を殺し、

  町を滅ぼし、

  高い山をさえ、

  塵となす。


  それは何?



 まったくもって意味がわからなかった。マリエンフェルデとティリアは考えあぐねた。

 趣旨はなんなのだ。新手の嫌がらせか? いや、こちらが不愉快になっていないのでは、嫌がらせは失敗といえる。では一体なんのためのものなのだ。 

 文そのものの内容も、滅茶苦茶でよくわからない。

「一体これはなんなの?」

 マリエンフェルデの呟きに、ティリアは答えることもできにないほど戸惑っていた。こんなものは、どの書物にも載っていない。だいたい、書かれているようなものなど存在するのか? 

 小箱は数日の間、まるで忌々しいものが入っているかのように、離れた場所に放っておかれた。しかしそれはそれで解決したわけではなかった。とにかく、不気味だった。

 チチチチ……

 小鳥の啼くある午後の晴れた日、マリエンフェルデは思いついた。

「時間よ」

 ティリアは初めなんのことを言われているのかわからず、

「は?」

 と答えてしまった。

「あの文よ。あれは時間だわ。どんなものでも食べつくす。鳥も獣も、木も草も。鉄も巌も噛み砕く。町をほろぼし、高い山をさえ塵となす。それは時間よ」

「あ……」

 ティリアもようやく合点がいったようだった。驚きのあまり、口に手をやっている。

「あれは謎かけだったんだわ」

 マリエンフェルデは顔を上げた。

 なるほど、これは嫌がらせだ。しかし楽しい嫌がらせといえる。アルマンソラという女、なんと雅な心得のある女なのだ。

「それでは……どうお返事致しましょう」

「そうね……」



 最初の謎解きから二週間目のある日だった。

 もうそろそろあの娘は諦めたのか、やりがいのない、と退屈していたアルマンソラであったが、そんな彼女の心を見透かしたかのように、マリエンフェルデの宮から、彼女の紋章をつけた女官がしずしずと大きめの箱を持ってきた。六角形の箱で、丁寧に紐で封印されていた。

「あら…………」

 アルマンソラは脇息にもたれ、側にいた女官に

「お開け」

 と命じた。

 開けると中をそっと取り出すと、果たしてそこには、精巧な細工も見事な、中の歯車の動きが覗き窓から見ることのできる時計が入っていた。時間というわけだ。

「ふふふふふふふふ……」

 アルマンソラは優美に笑った。なかなかやるではないか。こうでなくては。

 退屈になってきたと思っていた宮廷の暮らしであったが、なかなか、これからは楽しくなりそうだ。

 アルマンソラはその時計を自分の見えるところに置くよう命じて、次の謎かけを何にしようか考え始めた。



 第四王妃トリゴリアが動きだしたのもその頃だ。たかが小娘と高を括っていたら、いつの間にか政の大部分に関与し、今ではほとんど実権は彼女が握っている。マリエンフェルデの実力を一年かけてやっと思い知ったのだ。そしてその時には、もう遅かったと言ってもいい。彼女は地団駄踏んで悔しがり、手に傷をいくつも作って扇の悉くをすべて壊してしまった。そして青(緑)の入っている襲をすべて取り出すと、それ自体がマリエンフェルデの化生でもあるかのようにびりびりに引き裂いて燃やした。すべてが終わってようやく少々の落ち着きを取り戻したトリゴリアは女官の一人に今自分がしたことを罪として被せ、毒を自ら押さえつけて飲ませ殺してしまうと、やっと人心地ついたのか、ふうとため息をついて椅子に座った。その瞳が危険に冷たく光る。

「-----------」

 クククククク、と押し殺した笑いがもれてきた。それは次第に大きくなり、憚らなくなり、宮の外にまで聞こえるほどの大音声になった。

「ジェローナ」

 扉の影で真っ青になってそれを怯え聞いていた専属女官ジェローナは、突然名を呼ばれてぎくりとなった。

「は、はい」

「これから言うことをきちんと聞いていてちょうだい。あの小娘……私が怯え殺してやるわ」

 そしてまたくつくつと笑う主人を見て、ジェローナは自分はつくづく恐ろしい女に仕えているということを実感した。

 翌朝のことである。

 マリエンフェルデの朝食に、蛇が混入していた。彼女がいつものように箸を入れ掴んだものが蛇だったという事だ。

「ひっ」

 給仕の女官が青ざめて後じさった。蛇の中でもっとも醜く恐ろしいと言われる種のものである。食事に入っていて何の害があるかはよくわからないが、怯懦し気分が悪くなるというのだったら、こんな強力な布石は他にはないだろう。

「…………」

 マリエンフェルデはしかし、眉も動かさずそれを箸でつまみあげてじっと見つめると、乱暴に皿の上にそれを放り出し、

「下げて」

 とだけ言いベットに寝そべった。慌てて周囲の女官が片付けるのを尻目に、ティリアが近寄ってくる。

「姫様」

「ふん……やっとって感じね。よほど舐められていたようだったわ。誰かは知らないけれど慌ててやったんでしょう」

 それから誰も見たことないような強い光を瞳に浮かべ、

「 -----ティリア」

 恐ろしいまでに低い声で言った。

「誰の仕業か調べてちょうだい。第何王妃かをね。ついでに他の王妃のこともある程度わかるようなら尚いいわ。今後の動向に関わるようでは困るもの」

「お時間かかると思いますが」

「構わないわ。でもできるだけ早くね」

「かしこまりました」

 しかし嫌がらせは間断なく次々にやってきた。

 マリエンフェルデの普段よく着る襲を、いったいどこで知ったのか、気に入っているそれらすべての随所随所に、悉く針が仕込まれていた。

 またある日には、やはり彼女がよく口にする葡萄酒の中に細かく砕いた玻璃(ガラス)が幾つも入っていた。細かいだけかと油断していると、食べ物には大きな破片が入っているのだ。さすがのマリエンフェルデもこれには気付かず、一度だけそれを噛み砕いてしまい口中が血だらけになった。

「申し訳ありません姫様」

「いいのよ。大した傷じゃないわこんなの……それよりわかったの?」

「はい……」

 ティリアは周囲をはばかるような視線を一瞬辺りに向け、誰もいないことを再確認すると、これ以上ない用心深さでマリエンフェルデの側に寄り、耳元で囁いた。

「どうやら一連の嫌がらせは第四王妃トリゴリアの仕業のようで」

「第四王妃? ……どんな人間なの」

「それが……城内の女官でトリゴリアを良く言う者はおりません。何度となく自分の女官を殺したことがあるとか」

「ふふ……怖いこと」

「姫様。冗談ごとではございませんわよ」

 さすがに青くなり叱るティリアに、しかしマリエンフェルデは余裕綽綽だ。

「何しにここに来たのかもう一度よく考えなさい。他妃の嫌がらせなんて最初から覚悟していた事よ。どうせ辿る道はどうしたところで同じなんだから、放っておおき」

「-----------」

「他の妃のことは?」

「まだ充分に調べがいっておりませんで……」

 しかしティリアはその場で知るかぎりのことをマリエンフェルデに報告した。第一王妃リンカニアの事、彼女がどれだけ高潔で誇り高い女であるか、第二王妃アルマンソラの事は、マリエンフェルデも知っている。何度も難しくて訳のわからない謎掛けの文書を送ってきているからだ。マリエンフェルデは最初こそ訝ったが、じきにアルマンソラの雅びな意地悪だとわかり、最近では彼女の宮の制服を来た女官が来るのを楽しみにしている。

「第三王妃は?」

「それがまだ…………」

 マリエンフェルデとティリアがそんな会話をしていた時のことだ。

 見知らぬ女官用唐衣を来た女官が、畏まって宮にやってきたという。マリエンフェルデは一瞬眉を寄せ、

「通して」

 と言った。他ならぬ第三王妃ダエトの元からやってきた女官であった。

「-----------」

「主ダエト妃がマリエンフェルデ様を茶会に招待したいとの旨でございます」

「茶会?」

「はい。明後日……第三の宮の庭にてお待ち申し上げております」

「…………」

 マリエンフェルデはしばらく女官を見下ろしていたが、しばらくして

「-------わかったわ。了承したとお伝えなさい」

「それではそのように致します」

 女官が下がってからティリアがマリエンフェルデに眉を寄せて何か言いかけた。

「姫様」

「わかってるわ。行くわけないじゃない。どうせ何か企んでるに違いないのよ。その手には乗らないわ」

 マリエンフェルデはつ、と立ち上がった。

「それより調べを進めてちょうだい。……庭を歩くわ」

 庭の散歩はマリエンフェルデの気に入りの日課である。その広さは警備の兵士も思わず息を飲んだ程で、地味だが味わいのある方亭、水院(中庭の池)を雅びに臨める方鑑斎、月を見るだけにしつらえられたとっておきの臺、庭の中央部に造られた大池の真ん中に字のごとく虹のように美しい線を描いてたたずむ橋横虹臥月、あらゆる技術を駆使して造られた人工の石丘、それらに絵のごとく合うかのように植えられた柳や木々の数々。

 その広さは庭だけで第一王妃の宮の五倍はあると、専らの噂だ。 マリエンフェルデはティリアのみを連れ、後は警備の兵を従えて庭を歩いた。

「……」

 ふと吹いた風。その風に、何か不快な匂いを感じ取ったマリエンフェルデは眉を顰め、そちらの方向へ足を向けた。

「あっ……」

 ティリアが思わず声を上げた。兵士も立ちすくんでいる。

「---------」

 なんと庭の一画、大きな柳の木の枝に、血にまみれた馬の首が掛けられていたのである。 これにはティリアも度胆を抜かれ、腰を抜かしてしまった。マリエンフェルデは気丈なもので、なんとか立ってはいたが、怒りのためか恐怖のあまりか、唇をわなわなと震わせていた。

「…………」

 マリエンフェルデは爪を噛んだ。これは……。

「----------」

 彼女はスッと瞳を細めると、

「片付けておいて」

 兵士に言い残すと、足早に宮へと戻っていった。しばらく庭は歩かないつもりである。

 そして兵士に支えられて腰を抜かしたティリアが戻ってくると、しきりに恐縮する彼女を諌め、話し合いを始めた。

「私の宮に他の妃の女官が入り込んでいるわ」

「姫様……」

「よく考えればわかることだったわ。葡萄酒を飲む習慣や服の細部や、ましてや庭に入ってあんなことをするなんて、外部からだったら到底考えられない。でも内部の人間だったら話は違うわ。これは、少し状況を甘く見すぎていたわね」

 マリエンフェルデは立ち上がって窓の外を見、中央宮、つまり本宮の庭で歌うスキエルニエビツェの声とその姿を見ていた。



   残紅落ち尽くして始めて芳を吐く

       佳名喚びて百花の王と作す

       競い誇る天下無双の艶

       独り占む人間第一の香り



「…………」

 目を細めそれを聞いているマリエンフェルデの顔は、何にも増して冷酷だった。

「あれは私よ」

「そうでございますとも」

「ならばさしずめ私の邪魔をするのは害虫といったところね」

 これ以上ないほどに冷たい声で言うとマリエンフェルデは、振り返って微笑んだ。

「駆除に乗りだしましょ」

 冷たく、凍るようで、それでいてぞっとするほど美しい笑みであった。



 そんな殺伐とした空気を知ってか知らずか、アルマンソラの宮から、また使いがきた。 もう何度目かになる。マリエンフェルデももう慣れたもので、早々にそれを迎え入れた。

 以前のものは確か、「木よりも高いが、根を見た者なし、ぐんとそびえて、のびるはずないもの」であった。彼女は悩み悩んで、とうとう答えを出したものの、どう答えていいよからず、使いの女官に箱を持たせた。中身のない箱を。聞いたところによると、アルマンソラはなにもないじゃないの、と言ったそうだが、すかさずこちらへ、と窓際に誘い、彼方を指して答えでございます、と言わせた。

 アルマンソラは彼方にそびえる山を見て、満足そうに微笑んだという。

 さて今回はなんだろう。

 箱の中の紙はこう語った。



   声がないくせにひいひい泣いて

   羽根がないくせに ばたばた飛んで

   歯がないくせに きりきり噛んで

   口がないくせに ぶつぶつ言う


   これは何?

   

 必ず、前よりも難しいものを送ってくる。つまり毎回、難易度は上がっていくのだ。マリエンフェルデ、これには頭を悩ませた。時にはあの国王に抱かれている最中に答えを考えたりもした。声だけ上げていれば、あの男は満足するらしい。男とはなんと愚かな生き物なのだろう。

 ある日、嵐の前触れか、窓ががたがたと揺れているのを見た時、彼女はぴんときた。今が好機と女官を使いに出した。

 箱の中にはアルマンソラがいつもするように、自分の紋章の透かしの入っている紙を入れ、こう書いてあった。

「窓をお開けください」

 それを見たアルマンソラは、もう答えがなにか知っていて、口元に笑みを浮かべ、

「窓をお開け」

 と女官に命じた。嵐の前のこと、女官はよすようにと諭したが、アルマンソラはいいからお開け、と静かに言った。

 ガタン!

 ヒュウウウウウウウウウ…………

 物凄い勢いで風が吹き込み、部屋の中のものが一瞬にして散らばり乱れた。

「ふふふ……お見事ね」

 アルマンソラは嬉しそうに呟いたという。答えは風であった。

 

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