41 新しい日々

 夏になり、俺はとうとう美容院に行った。ネットで予約するとき、会話はなるべく少なくお願いしますと備考欄に書いておいた。


「かなり量ありますね。ガッツリ減らしますか?」

「ええ、お願いします。長さは十センチくらい切ってください」


 担当の美容師さんは、本当に必要なこと以外は話さなかった。サッパリと整えられた髪をなびかせ、俺は帰宅した。

 それから、久しぶりにシホさんのグリーンに参加した。


「十一年ぶりに美容院行ったんですよ」

「えっ、そんなに行ってなかったんですか?」

「俺、高校中退して引きこもってたんで。去年くらいから、ようやく外に出られるようになってきました」

「そうだったんだ」

「バイトも始めようかと思ってて」

「良かったですね」

「シホさんとか、あーこさんのおかげですよ。外の人と話せる機会ができた」

「そんな、私はこうしてくっちゃべってるだけのオバサンですよ?」


 夕方になってトキヤが来た。彼は週に二度ほど家に来るようになっていた。手土産にお菓子を持ってくるようになって、それで面倒を引き受けさせられているのかと思うと、彼の両親に思うところはなくはないが、もうトキヤは俺たちの子供でもある。


「最後はさ、黄金の蜜なんて無かったっていう話にする」

「それはちょっと……悲しくないか?」

「現実なんてそんなものじゃない」


 しかも、探し疲れたチョウとハチは死んでしまうとのことだった。俺はそのラストには納得いかなかったが、これはトキヤの物語だ。地面に落ちた二匹の虫を描いた。

 夕飯は冷しゃぶにした。準備をしていると、鷹斗が帰ってきた。


「兄ちゃんただいま。おおっ、髪いいじゃない!」

「だろ? 軽くなったよ」


 鷹斗は俺の髪を指ですくった。それがくすぐったくて、俺は笑った。


「そうだ、兄ちゃん。父さんと母さんだけどさ、一周忌のときに海にまきに行こうか。もう申込みするよ」

「うん、わかった。区切りだしな。丁度いいよ」


 トキヤが鷹斗の足にくっついて言った。


「お話完成したよ」

「おっ、どれどれ? 見せてよ」


 この短い間に、トキヤの字も上手くなった。子供の成長というのは早い。


「そっか、死んじゃうんだ」

「でも、人間に生まれ変わるんだよ。今度は兄弟になるんだ。シヅルとタカトみたいにね」


 鷹斗はトキヤの顎をさすった。トキヤはこてんと鷹斗の胸に頭を預けた。


「タカト、いい匂いする」

「吸ってきたから、タバコの匂いだぞ?」

「それがいいの。ボクも早くタバコ吸ってみたい」

「やめとけやめとけ。せめて二十歳までは待とうな」


 食卓を囲み、俺は両親の思い出話をした。


「夏はしょっちゅう水族館行ってたよな。母さんがお弁当作って、ペンギンのところでお昼ごはん食べてさ。父さん何度か寝てたっけ」

「あっ、いいな! ボクも水族館行きたい!」

「鷹斗と三人で行くか?」

「うん!」


 そして本当にトキヤを水族館に連れて行った。どうやら家族で外出することも少なかったらしい。彼は物珍しそうに魚を眺めていた。

 そして、次の話の主人公はイルカにすると言い出した。今度はそっちの資料が必要だな、と水族館の土産物コーナーで図鑑を買ってやった。俺は尋ねた。


「今度はどんな話にするんだ?」

「イルカが学校を作るの。海の生き物なら誰でも入れるんだよ」


 両親の初盆が来る前に、俺はバイトを始めた。倉庫の軽作業だ。履歴書も面接もなく、登録だけで済んだ。初めてバスに揺られた時はさすがに緊張したが、作業自体は本当に楽なものだった。

 紙に書かれているのと同じスニーカーの種類とサイズを、二人一組で箱に詰めていった。最初は慎重に、慣れてきたら手早く。

 俺と組んだ五十代くらいの男性は、タバコを吸う人だった。休憩時間に喫煙所で話した。


「お兄さん、倉庫バイト初めて?」

「はい。というより、働くのが初めててます。俺、引きこもりだったんで」

「オレは夜間の警備員やってるんだけどな。時間が空いたときにこっちもやってる。いいもんだよな。身体を動かすって」


 バイトを始めたことは花梨にも報告した。彼女はもちろん喜んでくれた。ファミレスで、互いの近況報告をした。


「あたしもね、新しい彼氏できたんだ。今度こそ結婚しようって思ってる」

「そっか、頑張って」


 順調な日々だった。バイトには週四日入って、残りの一日は絵にあてた。ミナの絵を描いた色紙はどんどん増えていった。

 俺の中でも、ミナとの付き合い方がわかってきた気がした。彼女の死は事実だ。変わることはない。変えるのは、俺の考え方だ。

 ミナが言っていたことは事実だ。俺は彼女を本当には愛していなかった。彼女が生きていても、その想いは揺らがなかっただろう。

 ごめんな、ミナ。受け入れてやれなくて。けれど、大事に想っているから。

 そして、キャンバスを買い、大きな絵を描いた。あのクローバー畑を思い出して。彼女の魂なら、俺がこの場所にいざなってやる。そういう気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る