39 残された者

 月曜日になり、また一週間が始まった。掃除機をかけて、少ししたら買い物に行こうと考えていると、インターホンが鳴った。


「よっ。しばらく経ったから来てみたよ」


 花梨だった。俺は彼女をリビングに通した。そういえば、鷹斗には彼女が来ても無視しろと言われていたっけな、と思ったが、いとこを無下にすることはできなかった。


「ねえねえ、志鶴くんネストやってるでしょ。絵、見たよ。もー、なんで描いてること言ってくれなかったの?」

「あはは……」

「絵画教室とか通ってたっけ?」

「いや、独学」

「それであの絵は凄いよ」


 花梨が生の絵を見たがったので、俺はスケッチブックと色紙を出してきた。特に鷹斗の絵を彼女は気に入ったようだった。


「志鶴くん、美大に進む手もあったのにね」

「今からじゃ無理だよ。それに、俺のはただの趣味でとどめておこうって思ってるから」

「勿体ないねぇ」


 それから花梨が聞いてきたのは、やはり生活のことだった。


「大丈夫? 困ったことない?」

「ないよ。今はほとんどの家事を俺がしてる。料理だって、けっこう作れるようになったんだよ」

「じゃあ……あとは就職だね」

「うん」


 花梨と会うと、現実を突き付けられる。やはり俺はこのままじゃいけない。働く必要がある。


「じゃあ、その話は外でしようか。ファミレス行こうよ。あたし、お腹減っちゃった」

「いいよ」


 俺は髪を束ねた。外は初夏の訪れを感じさせる爽やかな風が吹いていた。花梨とコンビニへ行ってから半年以上が過ぎた。その間に俺も外出に慣れたものだ。


「今の志鶴くん、いい顔してるね。全然オドオドしてない」

「そう? なら良かった」


 俺はハンバーグを、花梨はパスタを注文した。タブレットへの入力は俺がやった。配膳ロボットにも、もう驚かない。


「まずは髪切らなきゃじゃない?」


 花梨が言った。


「でも、鷹斗がこの髪型気に入ってるからなぁ……」

「もう、何でもすぐ鷹斗くんじゃない」

「この髪のまま働けるところにするよ」


 実は、目星はつけていた。日払いの倉庫バイトなら、どうやら学歴も髪型も不問のようなのだ。


「それより花梨、同棲の話はどうなったの?」


 そう切り返してみた。俺の話ばかりされるのも嫌だったのだ。


「あー、それなんだけどね、別れた」

「ええっ?」

「元彼に借金あってね。けっこうな金額だったの。結婚なんてとんでもないって感じだったから、スッキリ振ったよ」


 花梨はストローを噛んだ。


「実は俺もさ。彼女と別れてさ。その後……自殺しちゃった」

「えー!?」

「花梨、声大きい」


 俺は淡々とミナのことを話した。彼女がデリヘルで働くようになってしまったことも。


「俺のせいで彼女を色々と狂わせたんだ。俺が殺したようなもん」

「そんなことないよ。いくら志鶴くんのためだからって普通はそこまでしない。元々病気だったんでしょう? 仕方ないよ」


 ミナは遺書も何も遺さず逝ってしまった。だから、本当のところは永遠にわからない。罪悪感を感じてもいいのかすら不明だ。

 ただ、俺はずっと後悔し続けるだろう。ミナが死を選ぶことのなかった世界線は確かにあったはずなのだ。


「今の志鶴くんに、何て言ってあげたらいいかわからないけど……。彼女の分も、精一杯生きよう。叔父さんや叔母さんだって、そう願っているはずだよ」

「そうだね」


 花梨と解散してから、俺はスーパーに寄って食材を買い、下ごしらえをしてからミナを描いた。

 ミナの時間は止まってしまった。花梨はああ言ってくれたが、やはり俺が止めてしまったのだと思う。

 来世というものはあるのだろうか。自殺したらもう生まれ変われないというのも聞いたことがあった。ならば、ミナは永遠に閉じ込められているのか。

 俺は完成した絵をネストにあげた。通知欄はハートでいっぱいになっていて、数を確認することもやめていた。


「兄ちゃん、ただいま」


 鷹斗はずいぶん疲れた様子で帰って来た。


「おかえり。どうした、しんどそうだな」

「先週やっちゃったミスがまだ響いててさ。何とか終わらせてきた」


 ブリの照り焼きを食べながら、鷹斗は言ってきた。


「またあの女描いてるんだな。ネスト見たよ」

「ああ……うん。罪滅ぼしみたいなもんだよ」

「僕もさ、あの女には生きていて欲しかった。ずるいよ。死んだら恨みをぶつけることすらできやしない」


 鷹斗も鷹斗なりに、ミナの死について思うところはあるのだろう。俺は話を切り替えた。


「そうだ。今日花梨と会ったよ」

「ふぅん。また働けってうるさかった?」

「まあね。実際、兄ちゃんそろそろ働こうと思う」

「……そっか。そうだよね」

「止めないんだな」

「うん。兄ちゃんをこの家に縛ることはもうやめたんだ」


 ミナの死から、俺は学ばねばならない。それが残された者のやるべきことだ。

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