38 渇き

 目を覚ますと鷹斗の姿はなかった。俺はベッドをおりることはせず、そのまままどろんでいた。少しして、トレイにパンとコーヒーを乗せて彼が戻ってきた。


「食べさせてあげる。はい、あーん」


 俺は千切られたパンを一口ずつ食べた。タバコも吸わせてもらった。


「なあ鷹斗、トイレ……」

「わかった。ちょっと待ってて」


 ロープを外されたが、手錠はそのままだった。俺は鷹斗の目の前で排泄させられ、処理された。


「いいね。僕がいないと本当に何もできなくてさ。ふふっ、楽しいよ」

「……俺も、楽しい」


 鷹斗のいいように扱われ、世話をされ、俺は考えることすら少なくなっていった。シャワーのときだけは、手錠も外された。しかし、自分で洗うことは許されなかった。


「ほら、どうして欲しいか言ってみてよ」

「もっと先……こすって……」

「出したい?」

「うんっ……」


 欲望のまま素直になっていればそれで良かった。口に突っ込まれても、悦んでそれにしゃぶりついた。そうして日曜日の夜になった。


「やだ……僕、もっともっと志鶴と過ごしたい」

「また次の週末すればいいよ。なっ?」


 鷹斗は猫のように俺の肩に頭をすりつけた。それから、手錠とロープを外した。


「楽しかったけど、今は虚しい。朝なんて来なければいいのに」

「明けない夜はないんだよ」

「その言葉、嫌い。僕はこの夜を永遠に続けたい」


 ちょっとした監禁ごっこは、かえって鷹斗を不安定にさせてしまっただけだったようだ。俺は彼を腕の中に入れた。


「僕だってわかってるんだ。兄ちゃんの世界には僕以外の人間が必要だ。兄ちゃんは他の人との繋がりを求めてるでしょう?」

「それは……そうだな」

「それを止めるなんてできない。やっちゃいけない。そう思うのに、兄ちゃんが僕以外の人間と話すのがどうしても嫌なんだ」

「鷹斗……」


 俺は自分の胸の傷に鷹斗の手をあてさせた。


「証なら、ここにあるだろ。兄ちゃんは鷹斗のものなんだから」

「足りない。まだ足りないよ」


 鷹斗はすすり泣いた。これ以上彼を安心させられるような言葉が思い付かなくて、俺は彼の涙をぬぐうばかりだった。

 これが歪んだ関係だということはわかっている。けれど、歪んだ者同士が寄り添ったところで、それしか方法が見当たらないのだ。

 こうなったのは、やはり俺のせいなのだと考えた。ミナとの一件で、鷹斗はより繊細になっている。


「ごめんな、鷹斗。兄ちゃんなんかを好きになって、お前も苦しいよな……」

「そうだよ。なんで兄ちゃんのことを好きになっちゃったんだろう。働いてないし、浮気もするし、虫けら以下の存在なのに」


 キッと俺を睨んだ鷹斗は、ゆるやかに首を絞めてきた。気持ちいいと感じるくらいの圧迫感だ。それでも酸素を求めて俺の口は動いた。


「ああ、でも、苦しむ兄ちゃんはやっぱり綺麗だ……」


 涙がぽとり、ぽとりと俺の頰に落ちた。鷹斗は手を離し、ごしごしと目をこすった。


「兄ちゃん、僕を描いてよ」


 俺は色紙に笑顔の鷹斗を描いた。羽根を生やし、天使にした。筆を動かし、美しく仕上げた。これまで描いた中でも一番の出来だった。

 鷹斗はタバコを吸いながら、満足そうに絵を眺めた。


「兄ちゃんの絵はどこまでも優しいね。兄ちゃんが優しい人間だからだ」

「でも、弱いよ」

「それでいいんだよ。兄ちゃんは弱いけど優しい。だから人が集まるんだ。あの女にしたって、小学生にしたって、そんな兄ちゃんだからこそ惹かれたんだ。もちろん僕もね」


 それから、鷹斗はスマホでネストを開いた。


「フォロワー、また増えてるね」

「ああ……そうみたいだな」

「兄ちゃんの絵は認められてる。兄ちゃんは社会に必要とされている。だから、僕だけが一人占めしていい存在じゃないんだ」


 鷹斗は灰皿に吸い殻を入れると、俺にぴったりとくっついてきた。


「兄ちゃん、愛してる。いつか兄ちゃんに捨てられるまで、僕はずっと愛し続けるから」

「捨てたりなんてしないよ。不安になるなよ」

「僕はきっと、一生渇いたままなんだ。こうして監禁しても、絵を描いてもらっても、潤わない。こんな僕のことを、兄ちゃんが見離す時がきっと来る」


 俺は言葉の代わりに口付けで応えた。愛していると想いながら。


「志鶴……抱いて……」


 熱を帯びた肉体がしなだれかかってきた。この世でたった一人の、俺の弟。

 俺は鷹斗を満たしたかった。俺で満たしたかった。肌を重ねて、呼吸を合わせて。奥の方まで存在を刻み付けたかった。

 眠ってしまった鷹斗の前髪を撫で、俺はこれからのことを考えた。兄弟である垣根はとっくに超えているというのに、それだけじゃまだ不十分な気がした。


「鷹斗……愛してる」


 胸に耳をあてて、鼓動を確認した。

 ミナは死んだ。鷹斗は生きている。

 俺が鷹斗と生きることを選んだ結果だ。ならば、貫いてみせようじゃないか。

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