37 嫉妬
翌日トキヤがインターホンを鳴らしてきた。出ないわけにもいかず、俺は彼を家に招き入れた。
「シヅル、昨日の続きしようよ」
俺はスケッチブックを出した。トキヤが昨日の絵の余白に文字を書き始めた。小学生らしい、ガタガタした不恰好な字だ。
さすがに二日連続夕食を一緒に、なんて言えば、鷹斗も怒るだろう。俺はスナック菓子を与えた。
「コーカサスオオカブトを描いてよ」
「おいおい、そんなに虫は得意じゃないんだぞ……」
とはいえ、リクエスト通りにしてやった。トキヤは上機嫌だ。チョウとハチは黄金の蜜を探して旅をするようだった。この様子だとあれこれ昆虫を描かされる羽目になりそうだな、と思っていると、彼が言った。
「ボク、次は図鑑持ってくるよ。それならシヅルも描きやすいでしょう?」
「まあ、そうだな。でも、あまり入り浸るなよ。俺だってやることあるし」
「シヅルは絵を描くのが仕事なの?」
「うっ……そういうわけではないけど」
就職のことは、常に頭のどこかにはあった。絵を仕事にしようだなんて全く考えていない。
「鷹斗のご飯も作らなきゃいけないし、今日はもう帰りなさい」
「えー、じゃあ音読してから」
「仕方ないなぁ」
ハキハキと教科書を読むトキヤに今回も感心しながら、俺は最後まで聞いてやった。こうしている時間も案外楽しい。
「さっ、帰ろうか」
「うん……」
マンションへの帰り道、トキヤは俺の手を繋いできた。小さく湿った手を俺もきゅっと握り返した。鷹斗が小さい時は、こんな風だっただろうか。もう忘れてしまった。
「タカトが羨ましい。ボクもシヅルみたいなお兄ちゃんが欲しかった」
「俺はそんなにいい大人じゃないよ」
「シヅルはちゃんとボクの顔を見て話してくれる。だから他の大人とは違う」
普段この子はどういう生活を送っているのだろう。深入りするのはよくないと警告音が鳴り響いていたが、興味の方が勝ってしまった。
「……トキヤの親ってどんな感じなんだ?」
「仕事、仕事。二人とも。ボクが熱を出したら、どっちが仕事を休むかで押し付け合い。結局一人にされる日もあった」
「そっか」
マンションに着き、俺たちは手を離した。俺は帰りに公園に寄った。
――子供に懐かれちゃったよ、ミナ。
相手は小学生だ。胸の隙間を埋めるのに使っていい存在じゃない。けれど、どうしてもまた会いたいと思ってしまうのだった。
帰って八宝菜を炒め、鷹斗の帰りを待った。今日はいつもより遅かった。俺はトキヤと描いたスケッチブックを見ながら、過ぎていく時計を眺めた。
「兄ちゃん、ごめん。どうしても抜けれなくて、遅くなった」
鷹斗が帰宅したのは夜の八時頃だった。
「お疲れさま。料理、温め直すから」
急いで帰ってきたのだろう。鷹斗は汗ばんでいた。彼は部屋に行って着替えて戻ってくると、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。明日は土曜日だ。俺も付き合うことにした。
「兄ちゃん、今日は何してた?」
「トキヤが来たよ」
「げっ、また? 兄ちゃん、甘やかしちゃダメだよ。ああいうのを放置子っていうの。ちゃんと線引きしないとつけあがられるよ」
「まあ……もう十分甘やかしちゃってる自覚はあるな」
俺はスケッチブックを見せた。鷹斗はビール片手にトキヤの書いたつたない文章を読んだ。
「まさか、これができあがるまで相手するわけじゃないだろうね?」
「約束とかはしてないけど、そうなるかも」
「……ずるい。兄ちゃんは、僕の兄ちゃんなのに」
「小学生相手に嫉妬すんなよ」
「するよ。兄ちゃんの世界には僕だけいればよかったのに。邪魔な奴がどんどん入ってくる。許せない」
鷹斗はビールを一口含むと、俺に近寄ってキスをした。どろり、と口内の中身が入り込んできた。俺はそれを飲み込んだ。
「やっぱり兄ちゃんのこと閉じ込めたい。手足縛り付けて、部屋から出したくない。僕、これでもかなり我慢してるんだよ。これからも、我慢するけどさ……」
「週末だけだったら、閉じ込めてもいいよ」
「本当に? 手錠とロープならあるんだ」
いつの間にそんなものを用意していたのやら。こわいので聞けなかった。手錠は黒い革とファーがついたもので、確かに痛くはなかったが、自由は奪われてしまった。
「兄ちゃんは週末、ベッドからおりるの禁止ね」
「……トイレは?」
「その時だけおろしてあげるけど、僕が見張ってるからね」
俺は手を拘束されたまま、いつもより乱暴に鷹斗に抱かれた。やめて、と口に出たが、本当にやめて欲しいわけではなかった。俺もすっかり彼の趣味に染まってしまったものだ。
眠るときは、手錠にロープを繋がれ、ベッドに固定された。十分な長さはあるので寝返りは打てる。
「あはっ、捕まってる志鶴は綺麗だなぁ……。昼間は他の男といたんだから、当然の報いだよね」
そんな妬みの感情すら、俺には心地よかった。やはり俺は鷹斗のものなのだと再確認できた。そうして、週末の小さな監禁生活が始まった。
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