34 ツバメ

 シロップさんとぼくは、ネストのメンタルヘルスアカウントで繋がっていた。

 最初にその投稿を見たとき、エロ釣りのアカウントに乗っ取られたのかと思った。だって、文面はこうだったのだ。


「童貞くん募集します。限定一名。筆下ろしします。顔審査あり。ダイレクトメールに写真を送ってください」


 不安になったぼくは、普段メッセージを送りはしていなかったが、シロップさんにダイレクトメールをしてみた。


「大丈夫ですか? いつものシロップさんの投稿じゃなかったので心配です」


 返事はすぐに返ってきた。


「乗っ取りとかじゃありませんよ。ツバメさんは童貞? だったら応募資格ありですよ」


 ぼくは迷った。確かに二十歳にして童貞だ。女の子と付き合ったこともない。既読をつけたままにしていると、シロップさんから写真が送られてきた。


「わたしの写真が無いと不安ですよね。加工とかはしてません」


 それは、くりくりとした瞳が印象的な、黒いボブヘアーの女性だった。ダメ元だ。ぼくも写真を送った。


「合格です。すぐ会いたいです。行ける範囲は……」


 何の因果か、シロップさんとぼくは割と近くに住んでいた。そして、あっという間に会う日時が決まってしまったのだ。


「こんにちは。ツバメさん?」


 写真通りの女性が声をかけてきた。ぼくはゆっくりと頷いた。五分も歩かないうちにラブホテルが見えてくる閑散とした駅前。シロップさんはぼくの腕に手を絡めてきた。


「そうだ。わたしの本名は美奈子っていうの。ミナって呼んで」

「ミナ……」

「そう。美奈子、じゃなくて、ミナだよ」


 シロップさん――ミナは慣れた様子で部屋のパネルを押し、料金を前払いした。


「せめて半分は出しますよ」

「いいの。要らないよ」


 部屋にはダブルベッドがぎゅうぎゅうに詰まっていた。申し訳程度の二人がけのソファとローテーブルもあった。ミナはさっさとソファに腰かけた。


「一服させてもらうね」


 ミナはカバンからタバコを取り出した。ぼくはおずおずと隣に座った。狭いので膝がどうしても当たってしまった。

 焦げ臭い紫煙が狭い室内を包んだ。ぼくはタバコには慣れていないので、正直キツかった。


「ごめんね。歯磨きはするからさ」


 宣言通り、ミナは歯を磨いた。ぼくもならってそうした。今からぼくは彼女に抱かれる。ネットで知り合っただけの関係の人と。その状況がぼくを高ぶらせた。


「シャワー、一緒に浴びたい?」

「はい」


 するり、するり、とミナは服を脱いだ。下着も構わず取っ払った。初めて生で見る女性の裸に、ぼくの鼓動はどくどく早くなっていった。

 すっかり見惚れていると、ミナがぼくの服を脱がしにかかった。母親に入浴させられる幼児のように、ぼくは従順になった。


「可愛い。本当に童貞なんだよね?」

「はい、そうです」

「敬語じゃなくていいから。楽にして?」

「うん、わかったよミナ」


 ぬるめのお湯で互いの身体を洗い合った。ミナは時折笑顔を浮かべながら。ぼくはどんな顔をしていたのかわからない。

 バスタオルで身体を拭くのもミナがやってくれた。まるで神聖な儀式のようにぼくは感じた。だからただ、黙っていた。


「あなたは何も考えなくていい。全部わたしの言う通りにして。わたしに預けて。そうすれば気持ち良くなれるから」


 ぼくはベッドに仰向けに寝転がった。ミナの指が、舌が、ぼくをいざなってくれた。コンドームも彼女がつけてくれた。

 痺れるような快感がぼくを襲った。そして、包まれているという安心感も。ぼくはミナの中に確かに母性を感じた。ぼくは胎内に戻ったのだ。


「童貞卒業、おめでとう」


 ミナは下着姿でソファに座ってタバコを吸った。ぼくはベッドの上であぐらをかいていた。


「ねえ、何でミナはこういうことしたいと思ったの? 凄く慣れてるよね?」

「知りたい? ふふっ。人生最後のセックスは美しいものにしたかったからだよ」

「人生最後?」

「わたし、もうすぐ死ぬんだ。だからあなたともこれでおしまい」

「そんな、死なないでよ、ミナ……」

「もう決めたの」


 ミナの茶色の瞳には、確固たる意思が宿っていた。それを打ち砕けるほど、ぼくは強くもなく、泣いてすがるほど、弱くもなく。迷っているうちに、時間がきてしまった。

 最後にミナは、ガムテープで封をした紙袋を渡してきた。


「これ、帰るまで開けないでね。大切にして。わたしからの贈り物。最後にいい思い出を、ありがとう」


 帰宅して、身体中にミナの感触が残ったまま、ぼくは紙袋を開けた。丸めて筒状になった紙と、分厚い封筒が入っていた。ぼくはまず、紙を広げてみた。

 それは、ミナの絵だった。水彩画だろう。クローバー畑に彼女が座っていた。ぼくを見つめて、微笑んでいた。

 封筒の中身も確めた。札束が入っていた。ぼくはすぐにスマホを取り出した。ミナのネストのアカウントは、削除されていた。

 そして、翌日、あのラブホテルがあった駅で、人身事故があったというニュースがあった。

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