31 決断

 気がつくと、自分のベッドの上に横たわっていた。身体には毛布がかけられていた。俺が目を開けて身じろぎをすると、バッと手を掴まれた。


「兄ちゃん! 兄ちゃん! 良かったぁ……」


 鷹斗は泣きそうな顔で俺の目を見つめてきた。どうやら俺は生きているらしい。とりあえず、薄く笑った。


「やっぱり兄ちゃんのこと殺せないよ。僕にとってたった一人の兄ちゃんだもん。どんなことをされたって、僕には兄ちゃんしか居ないから」


 鷹斗、と言おうとしたが、声がかすれて上手く出なかった。


「ねえ、兄ちゃん。僕が悪かったんだよね。だから女なんかに手をつけたんだよね。ごめんね兄ちゃん。僕が殴るからいけなかったんだよね。やめるから。直すから。だからお願い。ここに居て……」


 鷹斗の手は熱かった。昼間に帰ってきたということは、体調不良か。俺は鷹斗の額に手をあてた。案の定、発熱しているようだった。


「……た、鷹斗。熱、ある」

「うん……それで帰ってきた」

「おいで」


 俺と鷹斗はベッドの上で固く抱き締め合った。彼の息は荒く、鼓動が高鳴っていた。


「大丈夫か、鷹斗」

「実は頭痛い」

「薬飲むか?」

「うん……」


 俺は服を着て、鷹斗とリビングに行った。彼は戸棚から薬を取り出して飲んだ。それからタバコに火をつけた。そんなことをしている場合じゃないだろうに。


「兄ちゃん、あの女とはずっと連絡取ってたの?」

「いや……自販機に行った時にたまたま再会した」


 鷹斗のタバコが終わるまで、俺はミナとの経緯について話した。彼女がデリヘルで働いてお金を貯めているということも。

 灰皿に吸い殻を放り投げた鷹斗は、さすがに身体がキツくなってきたのか、ソファに座った。


「ははっ……兄ちゃんもよくやるよな。怪しいなんて思わなかった。僕だけを見てくれてるって信じてた」

「ごめん」

「死んだ方がいいのは僕だ。兄ちゃんを繋ぎ止めることができないくらい、価値のない存在なんだから」

「それは違う!」


 俺は鷹斗の頬を両手で包んだ。やはり熱い。


「このまま死ねたらいいのに。まあ、ただの熱じゃ死ねない……か……」

「鷹斗? 鷹斗!」


 俺は鷹斗の身体を揺り動かした。何とか彼を歩かせ、ダブルベッドまで連れていった。体温計で熱をはかると、三十八度を超えていた。

 薬が効いたのだろうか。鷹斗は眠った。俺は彼の真横にぴったりとくっついた。彼は段々汗ばんできて、うめき声を漏らした。

 病院に行った方がいいのだろう。しかし、今の鷹斗にはその体力すらない。俺にできることなんて何もない。

 一つ、できるとしたら、料理だ。俺はダブルベッドから抜け出して米を炊いた。卵が無かったので、買いに走った。

 鷹斗が起きてきたのは夜の七時半頃で、俺は彼を座らせ、雑炊を作った。


「鷹斗、食べられそうか?」

「何とか……」


 長い時間をかけて、半分ほど食べた鷹斗は、カランとスプーンを器に立てかけ、両腕を身体の横に垂らした。


「あのさ、兄ちゃん。あの女の言ってたこと、多分合ってるよ。全部僕の一人よがりだったんだ」

「そんなことない。俺は俺の意思で鷹斗を抱いた」

「じゃあ、どうして女とやったの?」

「それは……」


 明確な答えがすぐに出なかった。ミナに迫られたから。押しに負けたから。いや、そうじゃない。彼女だって、俺の意思で抱いた。


「ごめんな鷹斗。兄ちゃんはクズ野郎だ。両方とも、手に入れたかったんだ、きっと」

「……ははっ、本当にクズだよね」


 鷹斗はタバコを吸い始めた。そして、長く強く、煙を俺の顔に吐いた。


「ごめん。もう殴らないって決めたけど、意地悪はしたくなっちゃった」

「いいんだよ。兄ちゃんは最悪なことをしたんだから」


 わかっている。俺は決めなければならない。それがこの俺に唯一残った誠意なのだ。ミナの眩しい笑顔が脳裏に浮かんだ。彼女の無邪気な約束も。


「あの子に、きちんと別れを告げてくる」


 それが、俺が下した決断だった。


「俺は鷹斗になら殺されてもいいと思った。俺の生死は鷹斗に握っていてほしい。キッパリ別れる。そして、二度とこんなことはしない。約束する」

「……信用できないよ」

「本当に監禁してくれてもいい。俺が愛しているのは鷹斗だから」


 鷹斗は俺の手を弱々しく握った。


「できるの? 彼女はデリヘルに身を落としてまで一緒に居ようとする女だよ?」

「できる。やってみせる。信じてくれるまでどんなに時間がかかっても構わない。俺は鷹斗と共に生きたいんだ」


 つうっ、と鷹斗の目から涙がこぼれた。俺はそれを指でぬぐった。


「ありがとう。僕を選んでくれて。絶対に幸せにするから」


 そして、鷹斗はとびっきりの笑顔を見せた。そのまま寝かせ、俺はキッチンの後片付けをした後、ミナに連絡をした。早い方がいい。翌日、会うことにした。

 俺はもう決めた。弟を。鷹斗を。彼だけを愛することを。

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