28 クローバー

 ミナは直接俺の家に来ることもあったが、外を散歩することを望むときもあった。その日、俺たちは缶コーヒー片手に、中学の通学路を歩いた。


「懐かしいね、しづくん。一緒に帰ってたら、よくはやしたてられたっけ」

「そうだったな。中学生の恋愛って、可愛いよな」


 季節は春に向かおうとしていた。風は冷たく、息は白かったが、何かが芽吹くようなそわそわとした感じがしていた。


「ねえ、手、繋ごうか。わたし、しづくんの彼女だし」

「いいよ」


 俺たちは坂を上り、中学校の校門を見た後、また下って、いつもの公園まで来た。ベンチに座ると、ミナは俺の腕に抱きついてきた。


「しづくん、あったかーい」

「そういえば、何でミナはしづくんって呼ぶようになったんだっけ?」

「二人しかしない呼び名を考えてたら、そうなったんだよ。ミナっていうのもしづくん以外の人からは呼ばれないもん」

「そうだったんだ」

「もう、忘れちゃったの?」


 端から見れば、俺たちは仲の良いカップルに映るのだろう。幸い、遊具も何もない小さな公園には、他に人は居ないのだが。

 ミナは俺との未来を夢想しているようだった。もう何回目かわからない彼女の計画を聞かされた。


「二人でこの街を出て遠くに行こうね。仕事ならわたしがする。しづくんは、わたしたちの家で待ってて。帰ってきたら抱き締めて」

「ミナ、そのことだけど……」

「まだ迷ってるの? ねえ、しづくん。弟さんのことは忘れるんだよ。わたしが忘れさせてあげるから」


 なぜミナがここまで俺に尽くそうとしてくれるのか、よくわからなかった。俺はいくつかの言葉を選ぼうとして、やめた。彼女は続けた。


「今のしづくんはラプンツェルなんだよ。あの家を出たら、わたしが髪を切ってあげるね」


 外に出るときは、髪をまとめるようにしていた。ミナは一本の束になったそれを愛おしそうに触った。

 俺は予感していた。いつか、この髪を切るか切らないか、選ばなければならないときが来る。

 けれど、今はこうして先送りにしたい。時間はまだあるだろう。俺はミナの小さな手を軽く握った。


「しづくん、好きだよ。もう少しだから。もう少しだけ、待っててね」

「……うん」


 俺の部屋に行き、キスを重ねた。出しっぱなしだったスケッチブックにミナが気付き、勝手にパラパラとめくりだした。


「しづくん、絵描いてるんだ。最近?」

「そうだよ」

「中学のときも上手だったもんね。これは……弟さん?」

「うん。鷹斗ばっかり描いてるな」

「わたしも描いてよ。ねっ、お願い」


 ミナはベッドにぺたんと足を崩して座った。その様子が可愛らしくて、俺は全身を描くことにした。肩から腕にかけての曲線や、丸みを帯びた胸は、女性にしかないものなので楽しかった。

 俺はシホさんを真似したくなった。彼女のように、女性と花を描くのだ。


「ミナ、何の花が好き?」

「そうだなぁ……花っていうか、クローバーが好き」

「じゃあ、クローバー畑に座っていることにするよ」


 下書きを終え、俺は一度ミナに見せた。彼女は手を口で覆った。


「どうしよう、凄く綺麗。わたしじゃないみたい」

「間違いなく、ミナだよ」


 俺はスケッチブックを床に置いた。そして、両腕でミナを包んだ。彼女のシャンプーの香りがふわりと入ってきた。それだけではない。女の子特有の甘さが漂ってきた。


「しづくん、わたしね、今凄く幸せなの。しづくんに出会えて良かった。わたしの全てはしづくんのためだけにあるの」


 押し倒して、服を丁寧に脱がせていった。下着姿になったミナは、身をくねらせて俺をくわえこんだ。


「あっ……ミナ……」

「ふふっ、しづくん、可愛い」


 ミナが帰った後、俺はさっきの絵に色を塗った。彼女の柔らかい頬を少し桃色に染めた。途中でやめて、夕飯の準備に取りかかった。

 俺の料理もずいぶん上達した。タマネギを切るのもテンポ良く、鮮やかだ。フライパンを焦がすなんてこともない。鷹斗の帰宅時間に合わせるのももう慣れた。


「兄ちゃん、すっげーいい匂いする」

「豚の生姜焼」

「わあっ、美味しそう」


 ミナを抱いた後、コンドームは生ゴミに紛らせて捨てていた。ゴミの処理も俺がするようになったし、バレることはないだろう。


「兄ちゃん、今日も絵を描いてたの?」

「うん」

「見せて」


 俺はミナの絵を見せた。


「女の子? 珍しいね」

「シホさんに影響されたの」

「ふぅん」


 鷹斗は何も疑問を抱いていないようだった。いつも通り俺の料理を平らげ、タバコを吸った。


「あのさ、兄ちゃん。今度は僕の用事に付き合って欲しいんだけど」

「いいよ。何?」

「映画。兄ちゃんと観たいやつあるんだ。行こうよ」


 次の土曜日に、行くことに決まり、鷹斗はチケットを予約した。映画館に行くのなんて、何年ぶりだろうか。小学生のとき、母に連れられて行った以来か。


「兄ちゃん楽しみだよ」

「いい一日にしようね」


 鷹斗は俺の頬をさすって笑った。

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