18 しばらく

 鷹斗を送り出した後、俺は自分のベッドに横になった。結局一睡もできなかった。なんとなくネストを見ながら、眠りが訪れるのを待った。いつの間にか、スマホを手に持ったまま、意識を手放していた。

 目が覚めたのは、インターホンの音のせいだった。また花梨か。予想は的中し、俺は彼女を家の中に入れた。


「鷹斗くんが居ると話にならないと思って。さっ、ファミレス行こうか?」

「いや……ここで話そう。外に出る気分じゃないんだ」

「具合悪い?」

「昨日寝れてなくてさ」


 何とか花梨を説得し、俺と彼女はダイニングテーブルに向かい合った。飲み物は緑茶だ。


「あっ、羊羮ありがとう。美味しかったよ」

「和菓子の方がいいと思ってね。良かった」


 今度は何の話をする気だろう。俺は身構えた。


「志鶴くんさ。あたしに何か、隠してることない?」

「いや……別に?」

「鷹斗くんがあそこまで志鶴くんを外に出したくないの、よくわからないよ。何か理由でもあるの?」


 夫婦同然の仲だから、なんてことはもちろん言えない。俺は精一杯取り繕った。


「鷹斗も、今はまだ余裕が無いんじゃないかな。俺に余計なことしてほしくないと思ってるっぽい。とりあえずは今の生活を続けるよ」

「じゃあ、やっぱりあたしが手伝う。引きこもりの人同士の自助会とかもあるみたいだし、そういうの頼ってもどうかな?」

「いや、いいよ。花梨こそ、どうしてそんなに俺を構うの?」


 花梨は緑茶を一口飲んだ。


「……あたしの初恋の人ね、志鶴くん」

「えっ?」

「好きだったんだ、小学生のとき。いとこ同士ならギリギリ結婚できるし、夢見てた。今の彼氏と同棲の話も出てるから、もうその想いは断ち切ったけどね。でも、今も志鶴くんは大切な人」


 俺は花梨から目線をそらした。今も昔も、彼女にはいとこ以上の感情は無かった。彼女は続けた。


「鷹斗くんから、引きこもってるって聞いてショックだった。何であたしたち家族に相談してくれなかったのかな、とも思った。今からでも力になりたいの。お願い」


 沈黙が落ちた。無性にタバコが吸いたかった。花梨の想いはわかった。けれど、もう踏み込んでほしくないのが本音だった。


「しばらく、そっとしておいてくれないか」


 そんなことを言った。


「花梨の言うとおり、隠してることはある。でも言えない。俺たちの兄弟の問題なんだ。俺は鷹斗と静かに暮らしたい。それだけだ」

「しばらく……しばらく、ね。でも、本当にちゃんと考えて。もっと歳をとったとき、後悔するかもしれないよ」


 花梨が帰ってから、俺はタバコに火をつけた。もし、鷹斗が心変わりして、所帯を持ちたいと願ったとき、俺のせいで踏み出せないのは困る。

 もし、本当に鷹斗が俺に冷めてしまったら――。

 俺はテーブルに灰を落としてしまった。慌ててティッシュで拭いた。いや、鷹斗に限ってそんなことは無い。そう信じたい。

 昼食をとる気にはなれなかった。俺はベッドに横たわり、ネストを見た。シホさんが自分で作ったオムライスの画像をあげていた。


「美味しそうですね! オムライス、難しそうです」


 返信はすぐにきた。


「慣れれば簡単ですよ! 志鶴さんも挑戦してみて!」


 そうだ、料理だ。鷹斗を繋ぎ留めておくもの。そのためには、買い物くらいもできないといけない。スーパーに行くことを許してもらおう。

 俺はそのまま、夕方まで寝てしまった。鷹斗が帰ってきて、揺り動かされた。


「兄ちゃん。ただいま。起きてよ」

「ん……お帰り。ごめん、今日は何もできてないや」

「いいんだよ。兄ちゃんが家に居てくれさえすればさ」


 キッチンに行った鷹斗は、シンクに湯飲みが二つあることに気付いたのだろう、舌打ちをした。


「もしかしてまた花梨きた?」

「うん。しばらくそっとしておいてくれって追い返した」

「もう来ても入れるなよ。あんな奴放っとけよ」


 その日の夕食は唐揚げ丼だった。鷹斗は何度もため息をついていた。


「寝不足だよな、鷹斗。今日は早めに寝よう」

「うん、そうする」

「あっ、そういえばさ。欲しい画材が見付かったんだ。買ってもいいかな?」

「うん、もちろん」


 俺はシホさんと同じ画材を買うことにした。当然鷹斗には彼女のことは言えないが。自分で調べたことにしておいた。


「それとさ、鷹斗。兄ちゃん、もっと料理頑張りたいから、スーパー行きたいんだけど……」

「まあ、いいよ。週末一緒に行ってみようか」


 シャワーを浴び、鷹斗はすぐに眠ってしまった。明日は金曜日。それさえ越えればゆっくり過ごせる。

 俺は自分の部屋に行き、スケッチブックを取り出した。そして、自分の手を描いた。我ながら、頼りない細い手だ。

 ネストに画像をあげた後、鷹斗の眠るベッドに戻った。願わくば、この日々が一日でも長く続きますように。そう思いながら、彼の手を握った。

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