第7話 魔物

 ゾワァァ……


 今まで触れたことのないような冷たい空気。

 今まで見たことのない漆黒の暗闇。

 今まで聞いたことのない呻き声。

 今まで嗅いだことのない獣臭。

 今まで吸った空気の中で1番不味い。


 五感全てから取り込む"負の空気"が、俺たちを恐怖のどん底に突き落とす。


 もうどのくらい歩いただろうか?


 熊と戦ってから、魔物と会っていない。

 この森には魔物が沢山いると聞いていたのに。


 サァァァーーーー


 不気味な空気が俺たちの背中を押し、暗闇へと誘う。


 今更戻ることもままならない俺たちは、風に運ばれるがまま、森の奥へと進んでいく。


 「はぁ、はぁ、さ、さっきから、息が苦しくないか?」

 「う、うん……魔素が濃い……苦しい」


 【魔素】というものは、この世界に循環する力の塊のようなものだ。


 魔物はこの魔素から生まれる。

 人間もこの魔素というものを使って【魔法】を使う事ができるらしい。


 リューが言ったようにここは魔素が濃い。

 つまり、魔物が近くにいる可能性が高いという事だ。

 

 近くに来ただけでわかる、この威圧感……

 そもそも、まともに戦う事なんて出来るのか?

 

 そう思った瞬間、近くで枝がパキッと折れる音がした。

 誰かが、何かが、枝を踏んだんだ。

 目の前に、誰かが、何かが、いるんだ。


 手に持っていたランタンを少し前の方へと差し出し、音がしたところを照らす。


 「う、うわああ!!」

 「きゃー!!」


 目の前に猿のような魔物がいる。

 大きさは2メートルほど。


 さっきの熊よりは小さいが、その体から発せられる殺気はあの熊とは比較できない。

 動物ではない、魔物だ!


 俺の頭の中で"死のイメージ"が構築されていく。

 

 今まで味わったことの無いような恐怖心が俺を襲い、身体中から冷や汗が吹き出る。


 それと共に、震えも止まらなくなる。


 こんなの、戦うどころの問題じゃないぞ……


 逃げるか……


 いや、無理だ。

 すぐに追いつかれてしまう。

 では、ここで死ぬのか?

 

 嫌だ、死にたくない……嫌だ、嫌だ……


 絶望の淵に立たされ、精神状態が崩壊しようとしていたその瞬間、


 ギュッ……


 俺の左の手を何かが握った。


 左を向くと、そこにはリューが震えながらも剣を構えようとしている姿が見えた。

 恐怖心を紛らわせるためか、片方の手で俺の手を握っている。


 「はぁ、はぁ、そうだった、君を守ると、誓ったんだよなぁ、俺が、リューを守るって誓ったんだ、こんな魔物一頭にビビってられるかよ!」


 俺も剣を抜く。


 相手は今にも襲いかかってきそうなほどに前傾姿勢をとっている。

 

 さぁ、どう勝つ?

 パワー、スピード、フィジカル、何を取っても目の前にいる敵には敵わないだろう。


 状況は絶望的……でも、勝ちたい、勝たないと。


 目の前にいる女の子を救う為に!

 リューの命を守る為に!


 『じゃあ、僕のことを受け入れてよ……』


 いつからか聞こえなくなっていた少年の声!


 なぜ今、このタイミングで聞こえたんだ?


 『僕の力を、使うかい?』


 僕の力?

 どういうことだ?


 意味がわからない。でも……

 

 「なんでもいいから、力をくれ!それでリューを救えるなら!」


 『もし、君が犠牲になっても?』


 うっ……


 一瞬躊躇ってしまう、がすぐに


 「ああ!なっても!」


 心からリューを助けたいと思った。


 『じゃあ君の魂の一部を委ねて』


 魂の一部を委ねる。


 普通の人が聞いたら何を言っているのか分からないだろう。

 だが何故か、それが当然のことのように出来る気がした。


 頭と心臓を繋いだ線の丁度中心、そこにある塊のようなものの一部を"少年"に委ねる。


 「よし、やったぞ!」

 『ありがとう』


 少年の言葉に続いて電子音のような声が脳に響いた。


 〔ピピッ、勇者との結合1%突破。特典としてスキル【勇者覇気】を獲得〕


 「ん?」意味がわからない。


 勇者?

 結合?

 スキル?

 勇者覇気?


 だが、この力は俺たちを救ってくれる。

 そう思わせてくれるような安心感を持っている。


 『僕は僕を救ってくれた君の力になりたいんだ、僕の力で、あの村に帰ろう』


 「ああ。こんな所で死んでしまっては父さんたちに顔負けできないな」


 俺は再び剣を構え直し、相手の様子を伺う。


 相手の魔物はマントヒヒのような顔立ちをしていて眼力が凄まじい。

 口の中に伺える牙は20センチほどにもなるだろうか。

 その口からはヨダレが垂れており、今にも俺たちに襲いかかって食い散らしてきそうだ。


 魔物と戦うのは初めてだ。

 明確な殺気が俺の体を強張らせる。


 「【勇者覇気】!」


 そう叫ぶと、俺の体の周りには黄金色に輝くオーラのようなものが纏わり付いた。

 心なしか、体が軽く感じる。

 これが勇者覇気……やはりあの少年は、俺は勇者だったのか?

 

 「でも、これで戦える!リューを守れる!」

 「クラッシュ、その力って……勇者の」


 リューの声からは恐怖と困惑を感じ取れる。


 いきなり魔物が現れて、いきなり訳の分からない力を見せられるんだ。

 困惑するのも当然だろう。


 俺は目の前の化け物に真正面から向き合った。


 ⦅グワァフ、ギュッラージ、バーーァフ……⦆


 いやいや、鳴き声気持ち悪いな……

 その声は俺たちを威嚇しているように感じた。

 だが、全然立っていられる。威力が足りないな。

 そう思ったのだが、


 「う、う、ぅ……」


 隣にいるリューが、いきなりガタガタと震え出し、蹲ってしまった。

 

 そうか、俺には勇者覇気が纏わりついているから、多少のダメージは防げるということか。

 

 「次は俺の番だ!うぉおおお!!」


 魔物までの距離を一気に詰める為に、思いっ切り踏み込んだ。

 俺と魔物の距離は一瞬で詰められ、拳一つ分前に進めばぶつかる距離まで近づいた。


 「えっ、速っ……」


 俺は衝突しないように思い切り剣を振り、相手の首に直撃させた。


 バッキンッ!!


 「えっ……」


 魔物の皮膚は思っていた何倍も硬く、俺の剣は魔物に触れた瞬間に折れてしまった。

 かなり根本の方から折れてしまったので、もう使い物にはならないだろう。


 まさか武器が折れるとは思っていなかった。

 強化された俺の身体と相手の硬さについていけなかったか。


 俺の両腕にはジーーンッと痛みが残っている。

 これだけ腕が痺れたのは初めてだ。


 腕がとても熱い。

 膝の辺りを中心に、内側で何かを燃やしているみたいだ。

 指先が痛い。

 身体の隅々までまで痛みが広がっていく。


 なんだよ、これが、魔物?

 こんなの、勝てるのか?


 武器はもうない。


 魔物は俺に対して攻撃体制に入る。

 

 もう、俺を守る防具もなければ、足も痺れて動けない。


 あっ……これ……死ぬやつだ……


 嫌だ、こんなとこで死ぬわけには行かない。

 怖い、この攻撃が当たったら99%死ぬ。

 憎い、こいつら魔物のせいで……

 

 鋭い爪を持つ腕が振り下ろされる。


 嫌だ、怖い、動けない、憎い、悔しい……


 何も出来ずに、ギュッと目を瞑った。


 「クラッシュ、危ない!」


 キィィィィンという音がしたかと思えば、俺と魔物との間には剣を盾にして踏ん張っているリューがいた。


 ザクッ!


 「うぐっ……!」


 リューが腕を引っ掻かれ、流血した。

 猿の魔物はリューを蹴り飛ばし、リューは暗闇の中へと飛ばされてしまった。

 

 「リュー!」


 リューが作ってくれた僅かな時間。

 でも、手足を動かせるようになるには十分な時間だった。

 

 俺が何かしなければ、2人とも死ぬ。

 

 たとえ、戦う術がなくとも、武器が壊れようとも。

 この魔物を倒さなければならないんだ。


 「【勇者覇気】!」


 俺は途切れていた勇者覇気を再び展開する。

 

 何も武器がなくても、素手で戦ってやるよ!

 殺すか殺されるか。

 ならば俺は殺す側に回ってやる。


 ⦅グルッグゥ、グリャーァウー!⦆


 相手も俺の殺気を感じ取ったようで、牙を剥き出しにしながら襲いかかってくる。


 なぜか俺には、その一連の動作がとてもゆっくりに見えた。

 

 「うおぉぉぉ!!【勇覇拳ゆうはけん】!」


 何故かは分からないが、技名とそのやり方が頭の中へと流れ込んできた。


 俺の拳は相手の腹に直撃し、直後、猿の魔物はお腹から爆ぜた。


 あたり一面に血の雨が降り注ぎ、四方八方からパラパラという音がする。


 「あぁ……倒したのか? 勝ったんだ!」


 対魔物初勝利を賞賛するように、日の光が木々の間から俺を照らす。


 「あれっ、もう朝になって、たんだ」


 ふぅ、と一息ついた俺の目線の先に、倒れているリューか映り込んだ。


 「リュー!!」


 俺は全速力でリューへと駆け寄り、必死に名前を呼んだ。


 「う、うぅ、う……」

 「リュー、無事か?」

 「う、腕が、痛い……体が、熱い……」

 「う、腕…………はっ!!」

 

 リューの腕は傷口が紫色に染まり、腕全体が何色かも判断できないような色をしている。


 体温を測ろうと首の辺りに手をやると、とても熱かった。


 熱まである。

 なんでだ?

 引っ掻かれただけで、こんなに?

 雑菌?だとしても短時間でここまで酷くはならないはず。

 まさか……


 「毒……」


 父さんがいっていた。

 一部魔物には毒を持つものもいると。

 毒の強さは魔物によって違うが、最悪の場合……


 ……死に至る……と。


 「わ、たし、もう、無理……かも……」


 「大丈夫だ!さっき約束しただろ、君を死なせないって!今から急いで村に帰るから、な?」

 「う、うん……」


 リューは返事だけすると、目を閉じた。

 息はある、気を失っているようだ。


 早く帰らなければと思い、来た道を辿ろうとしたのだが、


 「ここ、どこだ?」

 

 四方八方どこを見ても同じ景色。

 

 たくさんの木と霧が俺たちを覆い囲んで森から出させない。


 一刻も早く帰らなければならないこの状況で、俺は、

 道に迷った。


 

 

 


 

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