第4錠 勝者を讃える福音の鐘の音


ズリズリという物音の正体。


それは、一本道の奥から姿を現した1体のスライムだった。


私を獲物だときちんと認識しているようで、ちょっとずつちょっとずつ近づいて来る。


(スライムさんに会いたいって言ったけど……)


まるでナメクジのように、ズリズリと這って近づいて来る実物のスライムはただただ不気味で、『あっち行って!』と塩を投げつけたくなってくる。



ふと、音が止む。


スライムが止まったのだと気づいて、慌てて間合いをはかる。


距離は、たぶん10メートルも無い。


こっちの様子などお構い無しに、突然グググッと体をへこませていくスライムを見て、『玩具オモチャのポッピンアイみたい』なんて場違いな感想を抱くと同時にぎる、嫌な予感。


けるじゃなくけると形容したほうがシックリくるような格好で、地面にせる。


直後。


ポンッ!という、シャンメリーのせんが抜けたような軽快な音を立てて、頭上を高速で通過していくスライム。


顔を上げて後ろを見てみると、スライムはポヨンポヨンと地面を数回跳ねた後、だいぶ遠くの位置でピタリと止まった。


そしてまた、何事も無くズリズリと這って近づいてくる姿に、背筋が凍る。



「ひぇっ……」



あんな速さで顔に体当たりを食らったら、頭がアンパンメンみたいに吹っ飛んじゃうのが容易に想像出来た。


──今まで、死んじゃうかもって思った事はたくさんあった。


『反省してろ』とベランダに閉め出された冬の日も、水道と電気の止まった家で何日もあの女の帰りを待っていた夏の日も。



……どうやって、生き延びたんだっけ。


記憶も朧気おぼろげで思い出せそうに無いけど、確実に言えるのは、誰かしらに助けてもらったという事。


ただ、今は誰もいないダンジョンで1人っきり。

私を救えるのは、私だけ。



(怖い)


でも、このスライムに勝って、私は人生を変えるんだ。



(大丈夫)


痛いのは嫌だけど、痛みには慣れてる。

だったら、あとは勇気を出すだけで良い。


枯れ木の棒を握る手に、力をめる。



丸めた新聞紙で虫を叩く、おばあちゃんの素早さを思い出す。


私は孫だ。

きっと遺伝子レベルで模倣トレース出来るはず。


幸い、スライムの動きは遅いし、体当たりのも長い。


ズリズリと近づいて来た、スライムが止まる。


距離は、さっきと同じく10メートル無いくらい。


足も遅くて体力も無い私だけど、スライムがタメを作る前に、今度はコッチから走って近づく。


近づいてみると、半透明の体内に浮かぶウィークポイントをハッキリ視認出来た。



「えいっ!」


ぺちんっ!


核を目掛けて力いっぱい枯れ木の棒を振り下ろすと、粘土を叩いたような変な手応えと、軽い音。


ダイラタンシー現象によく似た性質で、物理ダメージを受けつけないほど固くなるのは知っていたけど……こんなにスライムボディが理不尽だとは思わなかった。


『叩かず刺したほうが良かったかな』なんて思考もつかの間。


スライムはウゾウゾとうごめいて、枯れ木の棒を包み込んでいた。


もちろん、私の両手も一緒に。


「いやッ!」



両手をブンブン振ってスライムをがそうとしてみても、まるで粘着剤のようにヘバリついて剥がれず、逆にウゾウゾと体の方に侵食して来る。


手を一瞬で溶かすような酸性の強い消化液じゃ無かったのは不幸中の幸いだけど、このままだとどっちみち死んでしまう。


顔をスライムに包まれて、窒息死しちゃう前にどうにかしないと……。


私の頭の中のハムスターが、高速で回し車をグルグル回す。



ピーン!と、頭の上に電球がともる。

妙案みょうあんを思いついた。


正直、生きるか死ぬかの瀬戸際なのでだとは思うけど、勝負に出るしかない。


すぅーっと、出来るだけ息を吸い込み、止める。

見据える先、狙いは核だ。


スライムの体に、顔から突っ込む。

ズブズブと、たちまちメリ込む顔。


目と口は閉じているけど、鼻や耳の穴をねぶるようにうごめく感覚に、肌が粟立あわだつ。


スライムボディで核が守られているのなら、スライムボディのから攻撃するしか方法は無い。


──くちびるに、固い感触。


はじめてのチューがスライムなんて嫌だから、これはノーカウントで良いよね。


意を決して口を開くと、すかさず口内へと侵入してくるゼリー状の液体。


嘔吐えづく前に、どうにか核をくわえる事が出来て良かった。



人体の中で1番固い場所は、歯だ。

爪や骨や石や鉄より固く、硬度こうどは水晶と同程度。


もしも核が水晶よりやわいなら、私の勝ち。

もしも核が水晶より固いなら、私の負け。


一気に、渾身こんしんの力を込めて核をむ。


石を噛んだような食感。

その後すぐに、バキッと何かが壊れるような音。


途端、拘束力こうそくりょくが弱くなったスライムから急いで顔を上げ、ゲロと一緒に核の残骸ざんがいを吐き出した。


指をのどの奥に突っ込んで、もう一度ゲロを吐いた後、ようやく目を開く。



ゼリー状だったスライムの体は、ドロドロに溶けていた。


核は砕けていて、再生する様子は無い。

断末魔だんまつまは聞こえ無かったけど、どうやら無事、倒せたらしい。


皮膚はちょっとだけピリピリするものの……私、生きてる。



「やった……!」



泣きたくなった。

私は、まだ生きてて良いんだって。

世界に、運命に、認められた気がしたから。


今はただ、それが無性に嬉しかった。


「そうだ、ギフト……っ!」



ハッとして、記憶をさぐる。


ゲロを吐いていたとき、頭の中で福音ふくいんかねを聞いた気がする。


たぶん、


詳細は気になるけど、モタモタしてたら次のモンスターがやって来て、今度こそ絶対殺される。


今回は運が良すぎたんだ。


それに、早くダンジョンを脱出して家に帰らないと、おじいちゃんとおばあちゃんが心配しちゃう。


あんまり役に立たなかった枯れ木の棒戦友を拾い上げて、足早に来た道を戻る。


お家に帰ったら、お風呂に入ろう。

睡眠薬をたっぷり飲んで、すぐ寝るんだ。


今日は、良い夢を見れる気がするから。


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