あなたは私の名前すら知らない

第1錠 私の日常



『お前なんて、産まなきゃ良かったッ!』


私の心をむしばむ、あの女の言葉。


ヒステリックな声と、ボヤけた顔。

振り上げられた手と、頬に走る痛み。

泣く事も許されず、うずくまって耐える日々。


これは夢だ。

最低だった、あのころの夢。


そんな悪夢にうなされて、気づけばベッドから飛び起きていた。


途端とたん、低血圧と寝不足でズキズキと痛む頭。


心臓はバクバクと暴れていて、呼吸は荒く、手は震えていた。


すがるように、震えるその手をベッド脇のサイドチェストの上へと伸ばすと、そこに無造作に置いていた精神安定剤と睡眠薬をザラザラと適当数てきとうすう手のひらに出して、口に含む。


コップに入っていた水で流し込むようにゴクゴク飲み込むと、そこでようやく息をついた。



(また、やっちゃった……)


バツの悪い顔で、うつむく。


もう薬には頼らないって何度決意しても、あの女の夢を見るたび、パニックになってすぐ薬に頼ってしまう。


いや、そもそもサイドチェストの上に薬を出しっぱなしにしている時点で、私は弱くてダメダメな人間なんだって、自己嫌悪にさいなまれて死にたくなる。


いっそ死んでしまったほうが楽なんだろうなって、無意識に手首をする。


──ボコボコとした感触。


手首から肘にかけて無数に出来た、躊躇い傷リストカットあと


両腕共にボロボロで、人様には見せられない……私の生きてきた証。


死にたい。

死ぬのは怖い。

でも、生きているのはもっと怖くて、苦しい。


そんな矛盾むじゅんの狭間で、今も私は生きている。



「ふぅ……」



ようやく精神安定剤が効いてきたようで、だいぶ気分は落ち着いてきた。


もっとも、睡眠薬の効き目はイマイチみたいで、てんで眠気の来る気配は無い。


チラリと時計を見ると、2時10分。


夏とはいえ、外はまだ真っ暗だ。


街灯も無い、田んぼや畑や山や川に囲まれた、町と表記するのも烏滸おこがましいほどの片田舎。


1番近いコンビニやスーパーまで車で1時間は掛かる、そんな場所。


この町に引っ越してきて、だいたい8年になる。


人生の約半分をここで過ごしているのだから、多少不便だけど、もう慣れた。



「苺ミルク……」



ふと、つぶやく。


気落ちしたときは、甘いものが欲しくなる。


ならばと、寝汗でグッショリしている寝間着から薄手のワンピースに着替えると、小銭の入ったがま口財布をポケットにつっこんで部屋を出た。


出来るだけ音を立てないように階段を降りると、おじいちゃんもおばあちゃんも寝ているようで、家の中は真っ暗だった。


2人共21時に寝て4時には起きる生活サイクルなので、当然といえば当然。


暗い中、抜き足差し足と壁伝いに玄関まで進んで、サンダルを手に取ると居間へと向かう。


そのまま玄関から出ようとすると、昔ながらの引き戸がガラガラと音を立てて2人を起こしてしまうので、夜中に外出する場合、居間の大きな掃き出し窓から出るようにしている。


唯一この作戦の欠点を挙げるとしたら鍵を開けっ放しにしちゃう事だけど、田舎はどこの家も鍵など掛けないので問題は無い。




「んッ、ん〜……」



居間の窓から抜け出して、軽く伸びをする。


星空を見上げつつ『虫除けスプレーするの忘れちゃったなぁ』なんて呑気な事を考えて、今更いまさら家の中に戻るのも面倒臭く、目的地の自販機までそのまま歩く事にした。


虫やカエルの声がうるさい田舎道をサクサク進む。


街灯は無いけど、夜目はくし通い慣れてる道だから迷う事も無い。


なんて、夜空を見ながら歩く事10分ちょっと。


神社の鳥居のそばにある自販機に無事到着。


家の近くにも自販機はあるけど、苺ミルクを売っているのはココの自販機だけなので、私のおすすめは断然この自販機だ。


100円玉を入れてボタンを押すと、ガコンとピンク色のアルミ缶が受取口に落ちてきて、オマケのルーレットがクルクル回る。


何十回も買っているのに当たった試しは無いけど、それでもルーレットの結果にちょっとだけワクワクして『今日もハズレかぁ』なんて苦笑い。


あとは、少しだけ寄り道して帰るのが私の楽しみ。


ほてった体を冷ますように首筋にアルミ缶を当てながら、鳥居をくぐって古い石段を登っていった。


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