第一章 山奥での出来事⑦


 その後、なんとか二人で車が見える位置まで辿たどり着いた。迷子にならなくてよかったとあんする。もう早く帰りたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 しかし突然、一ノ瀬悠が足を止めた。転びそうになったのをこらえて私も立ち止まる。彼がどこかをじっと見つめていることに気が付き、私もそちらへ目を向けてみると、幹が太い木の陰に、誰かが隠れるようにしゃがみ込んでいた。少しだけ髪の毛が見える。黒髪のロングヘアのようだった。どう見ても、女性である。

 じっと目を凝らしてみるけど、隠れてよく見えない。でもこんな場所に一人でいるのだ、生きている者じゃないのは確実だろう。私が一ノ瀬悠を見上げると、彼は考えるように目を細め、私に小声で言った。

「少しだけ近づく。俺は近くに行きすぎると逃げられるかもだから」

 そしてそっと足を踏み出した。私はもう耐えきれず、一ノ瀬悠のシャツのそでを強く摑む。彼は集中しているためか、特に何も言わなかった。

 少し女性に近づいたところで立ち止まる。木までほんの二メートル、というところか。髪以外に、スカートのすそらしきものが少し見えた。

「あんたそこで何してんの?」

 隣にいる男が突然そう声を掛けたため、私はギョッとした。まさか、直接いちゃうの!? そもそも会話が可能なのか……って、そういえば一ノ瀬悠は元は幽霊なんだから、幽霊同士なら出来るのだろうか。

「何で死んだの? 何がしたくていんの?」

 さらに質問を重ねる。すると、向こうからボソボソッと声が漏れてきた。が、ここまでは届かない。耳を澄ましてみるも駄目だった。彼は、はあと息を漏らすと、私にささやいた。

「お前聞いてきて。俺が近寄るといなくなるかも。お前なら聞ける」

 信じられない提案に口があんぐりと開いた。この鬼畜、私一人で近づいて、幽霊の声を聞いてこいって言ってんの!? そんなの怖くて出来ないに決まっている。

 私は無言で首を振った。一ノ瀬悠はあごで指示する。また首を振る。顎で指示される。またまた首を振る。

 一ノ瀬悠は無言で私を見下ろした。その威圧感のすごいこと、身長が高いイケメンがにらむだけでこうも迫力があるものなのか。先ほど一応助けられたこともあり、私は泣く泣く従う。足音を立てないよう、そうっと木に近寄る。脚がプルプルと震えて躍っていた。

「あ、あのう……ここで何してるんでしょうかあ~?」

 情けないぐらいひっくり返った声で尋ねてみる。木まで辿り着き、ひんやりしたそれに手を添えた。流石に回り込んで幽霊の顔を見に行く勇気はないので、なんとかここで声だけ拾えればと思う。近づいたことで、しゃがんでいる女の人の頭頂部が見えた。やはり黒髪のロングヘアに水色のスカート。顔は一切見えない。

 じっと沈黙したまま時が流れる。これ以上近づく余裕もなく、どうしていいのか分からない。そのまま硬直していると、突然目の前の女の人がすうっと音もなく消えた。

「あれ!?」

 まばたきをする暇もなかった。慌てて向こう側に回り込んで見てみるも、やっぱり女性は消えてしまっている。

「何も聞けなかった……」

 伝えたいこと、なかったのだろうか。いや、途中で何かを呟いていた。一体何が言いたかったんだろう、聞き逃してしまったのが悔やまれる。

 そう考えていると、突然耳元で声がした。


『私は 殺された』


 全身全霊で叫んだと同時に、鳥が何羽か飛び立った。誰もいない山中に私の叫び声だけが響き、私はそのまま両手を挙げて地面をった。近くで待っていた一ノ瀬悠の下へ飛び込む勢いで走る。

「ききき聞こえたあああ!」

 喉を痛めそうなほど絶叫しつつ彼の隣に辿り着くと、なぜかやつはお腹を抱えていた。

「笑わせるなよ、何で両手挙げてんだ。漫画かよ」

「私は無害ですよって霊に教えてんでしょうがあ! 聞こえましたよ、おお、女の人の声が!」

 笑っている彼にしどろもどろに説明する。すると一ノ瀬悠は、笑いを止めて真剣な顔つきになった。殺されたという発言を聞き、考えるように腕を組みじっとしている。私はそんな彼に詰め寄った。

「ねえ! 殺されたっていうのなら、可哀想な相手じゃないですか。あの浄霊の部屋に連れてってあげましょうよ!」

「まあ、待て」

 一ノ瀬悠は冷静に私を制するが、その態度に納得がいかず、さらに訴える。

「女の人が殺されたんですよ!? 事故を起こすのは良くないにせよ、助けてあげたいじゃないですか! 水城さんだって、死因が可哀想だったりする霊は救ってあげたいって」

「判断するのは時期尚早だ、お前は本当に単純なんだな。幽霊が噓をつかないとでも思ってるのか?」

「え。噓つくんですか?」

 一ノ瀬悠は小馬鹿にしたように笑う。

「お前より上手うまくつけるかもな。お前は絶対顔に出るタイプだ」

 最後の嫌みは置いておいて、霊が噓をつくなんてこと考えた事がなかった。今まで抱いていたイメージが変わってくる。思ったよりずる賢いやつもいるってこと?

 一ノ瀬悠はポケットからスマホを取り出した。が、すぐに顔をゆがめる。

「圏外だ。お前は?」

「え? あ、私も……」

「殺されたっていうなら事件として何か情報をつかめるかもと思ったんだけどなー。電波がつながるところまで山を下りるか、運転よろしく」

 そう言った彼はだるそうに車に戻っていく。私を運転手扱いだと? さっき霊の声を聞いたりしてこっちは疲れているというのに。ムッとして、私は後を追いながら文句を言った。

「山道の運転、疲れるんですよ! 一ノ瀬さんは免許持ってないんですか!?」

「持ってない」

「うわーださ~い、女にモテな~い」

 私がここぞとばかりに馬鹿にしてやると、くるりと彼が振り返る。明らかにうつとうしそうな顔をして私を見た。

「いい根性だ。チビ、さっきお前を遭難寸前で助けてやった恩人は誰だ」

「言っておきますけど、私しか運転できない時点で立場はこっちが上です。置いて行っちゃうことも出来るんですよ?」

 どや顔で返してやるが、一ノ瀬悠は涼しい表情で続けた。

「やれるもんならやってみろ。体は春斗の物だ、俺は痛くもかゆくもない」

「性格悪い! 鬼畜! 口も悪いし本当に失礼な人だ!」

「お前も負けてねえよ。チビで色気もないんだからせめて性格ぐらい女らしくあれよ」

 全く反省するそぶりのない男にメラメラと怒りが燃え上がる。つい数時間前に出会ったばかりの人間に、なぜこんなことを言われなくてはならないのだ。本当に置いて行ってやろうか。私は声の限り非難した。

「私だってあなたが失礼なこと言わなきゃもっと大人しくしてるし、なんなら水城さんみたいなかっこいい人の前なら言われなくても女らしく頑張るしっ、てゆうか水城さんの顔で変なこと言わないでよ、ほんと!」

「あ」

「せっかくのイケメンが台無し! 鼻毛出てるくらい台無し! いやそっちの方がマシかもしれない、鼻毛出てても水城さんなら全然大丈夫だもん!」

 息を荒くしてそう叫ぶ。周りに人もいないので、やけに声が反響した気がした。でも間違ったことは何も言っていない、これで少しは反省してほしい!

 ぐっと睨みながら見上げると、どこか困ったように私を見ている人の顔が目に入った。彼は少し首を傾けて、私の顔をのぞき込む。あれっ、と思っていると、彼は言った。

「ええっと、ごめん……その水城の方になりました」

 同じ声だけど柔らかさが違うその言い方に、意識を手放しそうになった。実際、一回昇天したかもしれない。

 なんつーとこで入れ替わってるんだ、あの男! 水城さんの前で鼻毛とか言っちゃったじゃん、めちゃくちゃ大きな声で言っちゃったじゃん……!

 一気に顔が真っ赤になった。顔から火が出る、という表現は今みたいなことを言うんだなと学んだ。私はしゃがみ込み、ひざに顔を埋める。頭上から水城さんの申し訳なさそうな声が降ってきた。

「ごめんね、悠のこと説明する前に替わっちゃったから……戸惑ったよね。しかもあいつ口が悪くて」

「……はい、最高に」

「でもあんなに言い返してたの、藤間さんが初めてで……ぷっ、本当に面白……ははは」

 笑い声が聞こえて来て顔を上げる。目を細め、笑いをこらえるように震えている水城さんがいた。少しして、ついに大きな声で笑い出す。お腹を抱えている彼の笑顔は、ドキッとしてしまうほど可愛らしい。どこか子供みたいな笑い方に、またしてもれてしまった。

 しばらく笑い続けた水城さんは、涙をきながら言った。

「ごめん、笑ってる場合じゃないのにね。でも二人の様子が本当に面白くって。藤間さん、無茶苦茶な事ばかりだったのに付き合ってくれてありがとう。ほら、立ち上がって。霊の情報も少し手に入ったし、休憩しに行こうか。僕は免許あるから帰りは運転するね」

 そう言って手を差し出してくれる。さっきまで憎らしい言葉を放っていた人が、あんまりにも優しい顔で微笑むものだから脳が混乱する。同じ体なのに、中身が違うと、こうも雰囲気が変わるものなのか。私はそう考えながらおずおずと手につかまる。大きくて熱い手にドキドキが止まらない。立ち上がった私たちは、そのまま車に乗り込んだ。

 置きっぱなしの漫画をどかして助手席に座る。ちらりと隣を見ると、ミラーの位置を直している水城さんが目に入る。それだけの様子があまりに絵になるものだから、ああ水城さんはやっぱり素敵だ、と痛感した。

「ずっと運転させてごめんね。とりあえず下って、どこかで食事でもしない? 霊のことはそこで調べよう」

「あ、はい!」

「動くね」

 スムーズに車が動き出す。やはり水城さんらしい安全運転で、心がほっとした。来た時とはまるで違う穏やかな車内。リラックスして息を吐いた。

 ただ、私は気づいていた。

「水城さん」

「うん? 確か来るまでの道に小さな喫茶店があったと思うんだけど」

「道、反対です」

 下って、って言ったのに、なぜこの人は上がっているのだろうか。一ノ瀬悠が言っていた言葉を思い出す。ドがつく方向音痴……あながち噓ではないらしい。私の言葉を聞いた水城さんはゆっくり停車する。そして頭をきながらナビを操作した。

「ほぼ一本道だから大丈夫と思ったんだけどなあ」

 残念そうに言う横顔が面白くて笑った。イケメンにも弱点ってあったんだ。可愛いから全然いいや。


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★この続きは10月24日発売の『ただいま、憑かれています。』(角川文庫刊)にてぜひお楽しみください!

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ただいま、憑かれています。 橘 しづき/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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