第一章 山奥での出来事⑤

「簡潔に説明してやる。俺たちは適当なタイミングで一日何回か入れ替わってる。それは春斗も納得の上。俺自身は結構強い力があるから、他の霊に敬遠される傾向がある。仕事中、霊に隠れられたりするとなかなか進まないもんで、逆に霊を引き寄せやすいあんたみたいな存在が必要でスカウトした」

「そ、そういうこと……入れ替わってるって、多重人格みたいな?」

「似てるけど全然違うな。多重人格者は自覚がないし、別の人格になってる間の記憶は本人は覚えてない。でも俺らの場合は、変わってる間の記憶も把握できる。つまり、俺とあんたの会話は春斗も知ってる、ってことだ」

 信じられない出来事が積み重なって理解が追いつかない。でも確かに、色々な線がつながった気がする。私に声を掛けてきた理由や、部屋に入れないと言っていた理由も。

「それってつまり、水城さんがあの部屋に入っちゃったら、あなたは浄霊されちゃうってこと?」

「まあ俺は悪霊じゃねーからありえるね。でも春斗の体を借りてることであいつの体調に支障が出ることもないし、別にデメリットはない。俺たちは納得し合ってこうしてるんだ、変なこと考えるなよ。あと、基本的に他人には言うな、めんどくさいから。それにしても、春斗が声かけただけあって、霊が好みそうな空気持ってるな。なかなかの逸材。あとはもっと美人だったら文句はなかった」

 あまりにも失礼な物言いに言葉を失くしてしまう。彼は私の体を上から下まで眺め、一つため息を漏らしなおも言った。

「品性、身長、胸、足りないものが多すぎる」

 非常に残念そうに言う一ノ瀬悠とやらを思いっきりにらみつける。ええ、どうせそこいらにいるレベルの女ですよ! 水城さんの隣に並んだら差が激しいでしょうよ! でも、それを初対面の私に直接言うなんて、一体どんだけ失礼な人なんだ。

 一ノ瀬悠はお茶を飲みながら、さっき木村さんが置いていった地図を手に取り見ている。あっと思い出し、私は尋ねた。

「私のお茶は!? 水城さんがおかわり持ってきてくれるって!」

「なんで俺がお前に持ってこなきゃならねーんだ。自分でもってこい」

「キイイ!!」

「ゴリラじゃなくて猿だったか、なるほど」

 私はワナワナと怒りに震える。あの水城さんとは比べ物にならないほどの最低人間、優しさのかけらもない! 一発殴ってやりたい。それでも私の怒りを全く気にせず、一ノ瀬悠は平然と続けた。

「まあ猿でもなんでもいいや、霊さえ引き付けてくれれば。実際、美人が来たら仕事に集中できねえだろうし。そこは感謝する」

「こんないらつお礼あります?」

「そうそう、大事なのは顔でも身長でもない。だからそんな落ち込んだ顔すんな」

「元々落ち込んでないんですが?」

 彼は地図を再度のぞき込んで言う。

「さて。早速この現場に行ってみるか。んー車で一時間ってとこか。お前免許持ってる?」

「へ? 普通免許ぐらいなら」

「よし。運転頼んだ。行くぞ」

 私が同行することを前提に告げ、一ノ瀬悠は立ち上がる。私は慌てて言った。

「私ここで働くなんてまだ決めてない! しかも、水城さんはいい人だからいいかなって思ってたけど、こんな性格悪い人がいるなんてごめんだし」

 私の言葉を聞いて、一ノ瀬悠は少し感心したように言った。

「お前正直だな」

「人のこと言えます? ゴリラだのえないだのチビだの言っといて。紳士な水城さんを見習って!」

「お前は春斗に幻想を抱きすぎじゃないか? 教えてやろう、あいつはな……」

 突然低い声でつぶやいたので、つい身構えてしまった。もしかして、なんかすごい情報が出てくるのだろうか。例えばまた掛けてるとか? 女に貢がせてるとか? ごくりとつばを飲み込んで次の言葉を待つ。すると一ノ瀬悠は神妙な面持ちで言った。

「方向音痴なんだぞ」

「…………」

 なに、そのどうでもいい情報。

 私の目が据わったことに気づいたのか不満げにいう。

「ドがつく方向音痴だぞ。あいつに付いて行ったらこの世の終わりだ。お前も方向感覚鈍そうだけど、あいつのは度を超えている」

「なんでわざわざ私の悪口入れたんですか」

「俺は噓がつけないだけだ」

「噓をつけ、なんて言ってません。言わなくてもいいことを言うなってことよ!」

「おお、それは正論かもしれない。今度からは心の中で呟いておくな」

「聞こえないところで悪口言われるのもムカつく……」

「ごちゃごちゃうるせーな。とりあえず一度現場を見て、それからちゃんと春斗に断りの返事しろよ」

 相手から返ってきた正論に思わず押し黙る。確かに、誘ってくれたのは水城さんだ。直接水城さんに返事をしなくてはいけないだろう。私は渋々現場への同行にうなずいた。

 なぜだ。なぜこうなったんだ。優しそうなイケメンについて来て、丁寧に仕事について説明を聞いていたというのに詐欺だ。新種の詐欺だ!

「よし、行くぞチビ」

「心に秘めておくって話はどうした」

「忘れた」

 そう言った一ノ瀬悠は、私を振り返ることもせずさっさと出て行ってしまう。それを必死に追いかけながら、不安でしょうがなかった。


     三


 その後、水城さんのものだという車に乗り込み、私が運転席に座った。助手席に乗った一ノ瀬悠は、いつのまに持ってきたのか漫画を開いて読み始めている。とりあえず目的地はナビに入れたからいいものの、普通、人に運転させておいて漫画を読むだろうか? 私は横目で睨みつけながら、アクセルを踏んで車を発進させた。

 車内では互いに沈黙したままだ。ああ、水城さんだったら。きっと運転してくれて、私は助手席に座って、穏やかに世間話でもしながら素敵な時間を過ごせただろう。今、私はイライラの絶頂にいる。

 私達は隣県近くにある山を目指していた。にぎやかな街並みをしばらく通った後は、いつのまにか自然でいっぱいの景色になってきている。緑の生い茂る山々を見るのは気持ちのよいものだった。ハンドルを握りながら窓の外を眺めてみると、空は晴れていていい天気だ。青空に浮かぶ真っ白な雲は、見ていると穏やかな気持ちになる。

「やべ」

 ずっと無言で漫画を読んでいた一ノ瀬悠が小さく呟いた。私は無表情でく。

「どうしたんですか」

「漫画読んでたら酔った」

「馬鹿じゃん」

「うるさい、時間を有効に使いたいタイプなんだよ。あーくそ」

 彼はシートを倒してゴロリと寝そべる。あきれて物も言えなかった、自由にも程がある、これほど他人に気を遣わない人なんて初めて会った。

「あーお前なんか面白い話しろ」

「ふとんがふっとんだ」

「あはははは! ってなるか馬鹿野郎」

「ノリツッコミしたのは意外でした」

 不覚にもちょっと笑ってしまった。その時ナビの案内が入り、指示通り右折する。するとその先は、青々と茂った木々に両側から挟まれた山道へとへんぼうした。光が遮られ、視界が少し暗くなる。道幅はそれなりに広いが、古い道なのか中央線がところどころげており、見にくくなっていた。カーブも多く、両手でしっかりハンドルを握って気を引き締める。山道を運転した経験はあまりないのだ。

 次第に車通りも少なくなった。集中しながら、口だけを動かす。

「この後、幽霊を探して、いい霊だなーって分かったらお持ち帰りするんです?」

「いい女相手みたいに言うなよ。まー、すぐにどんな霊か判断つかないこともあるから、そういう時は何回か足を運んだりするかな」

「え!? そうなんですか。でもそうか、相手がどんな人か、どうして死んだかとか調べるわけだし、時間かかるか」

 そこまで言うと、あっと思い出し、さらに質問を重ねる。

「そういえば、いい霊なら浄霊の部屋でしょ? じゃあ悪いやつはどうするんです? 水城さん、除霊は出来ないって」

「ああ。そういう相手は俺の出番」

「あ、一ノ瀬さんが」

「殴る」

「はあ?」

 殴る、とはどのようにするのか意味がわからない。詳しく尋ねようと口を開いた時、無機質な機械の声が響いた。『目的地に到着しました ルート案内を終了します』……

 はっとして辺りを見回した。

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