第一章 山奥での出来事③

「ここはね、祖父が作った、浄霊の場なんです」

「浄霊の場?」

 水城さんは、部屋の中を優しい目で見ている。

「行き場を無くした、悲しみにとらわれた霊たちをここに呼びます。この部屋で休んでもらうと、少し時間はかかりますが、霊たちはいつのまにか安らかに眠っている。この部屋はそういう場所なんです」

 彼の言葉を聞き、信じがたい話だが私は納得した。だって、この部屋のパワーって表現できないくらい凄い。思い込みや気のせいなんかじゃないと言い切れる。

 私はそっと一歩足を踏み入れてみる。花のようないい香りがした。涼しいのと同時に暖かくて、心地がいい。思わずウトウトと眠ってしまいそうな場所だった。

 後ろから水城さんがいう。

「ここに入ると、霊たちは自然と浄化されますから、かれやすい藤間さんにもいいと思います。もし背負っちゃったらこの部屋に入ってみてください、大抵の霊はあなたから離れてくれます」

「凄い……! お祓いに行かなくてもいいんですか」

「ええ。あなたにお願いしたいのはこの部屋の管理です。と言っても大したことじゃない。朝に掃除をして、花を飾って植物に水をあげてください。それだけです」

「確かに花が萎れてますね……でも、廊下とかもピカピカじゃないですか、水城さん一人でも十分管理できるのでは?」

 振り返ってそう尋ねると、彼は困ったように頭をいた。

「僕はこの部屋には入れないんです」

 そう言う彼は、確かに部屋には入らず、扉の向こう側で立ったままだ。

「つい二日前まで、管理してくれる人を雇っていたんですが、辞めてしまって。急いで探していたところ藤間さんを見つけたので、つい声を掛けてしまいました」

「辞めた、って……何か怖い目とかに遭ったんですか?」

「そうじゃないんだけど……そうだ。もう一つ重要なことを話さなきゃいけないんだった」

 そう独り言のようにつぶやき、意を決したように口を開いた時、インターホンの音が鳴り響いた。あ、と水城さんが小さく呟き腕時計をみる。しまったとばかりに言った。

「今日予約があったんだったな、すっかり忘れてた。藤間さん、いい機会だから一緒に聞いてくれませんか。仕事の話なんです」

「あ、はい、大丈夫ですけど……むしろ私もいいんですか?」

「ぜひ一緒に。うちのことを知ってもらわなければなりませんからね。働くかどうかの返事はその後でもらえれば」

 ニコリと笑ってみせる顔に一瞬れながら、私は浄霊の部屋を出た。どこか名残惜しく感じながらも、部屋をしっかり目に焼き付けて、扉を閉めたのだった。


 玄関に立っていたのは中年のおじさんだった。着ているスーツは、小太りの体にサイズが合ってないのかパンパンに膨れている。細い目で珍しそうに私たちを見ているおじさんは、浄霊の部屋ではなくリビングに通された。黒いソファがある広々とした空間だった。

 私はとりあえず水城さんの隣に腰掛けてみる。安易に『はい』と返事をしたけれど、今から何が起こるのかちっとも分かっていない。いまさら緊張で体が硬くなった。

 そんな私から水城さんはいつたん離れ、キッチンからグラスに入った冷たいお茶を持ってきてくれる。目の前のおじさんは白いハンカチで必死におでこをいていた。まあ、この暑さとあの坂道ならしょうがない。

 氷の入ったお茶を飲むおじさんを前に、水城さんが切り出す。

「えっと、むらさんでしたね。確か、交通事故が多い道についてのご相談だと」

 おじさんは木村さんと言うらしい。彼はうなずいて言った。

「はい、私は少し山を登ったところに新しくキャンプ場を開いたんです。若者向けにお洒落な造りにこだわって、これからが特ににぎわっていく時期なんですがね。そのキャンプ場に行く途中の山道で、どうも事故が多発する場所があるんです。調べてみると、以前から事故が多い場所でした。確かに大きなカーブがあるので、事故が起きやすいのかもしれません。ですが、最近あまりにも多いので、何か他に原因があるのではないかと。このままだとうちの営業にまで支障が出るのではないかと心配で……」

 木村さんは困ったように一息にしやべり、そして再びハンカチで汗をいた。置かれたお茶をごくごくと飲み切る。対して水城さんは涼しい顔で考え込んでいる。

「キャンプ場に行く途中に不吉な場所があれば、確かによくないでしょうね……事故に遭われた方の被害の大きさはどれほどです?」

「幸い死人は出てないようで、だからまだそんなに騒ぎにはなっていないんです。ただのカーブのせいだと分かればそれでいいんですが、おかしなことがないか調べて頂きたくて」

 私は黙って水城さんと木村さんを見ていた。なるほどなあ、こういう相談をお仕事にしているわけか。それで現場に行ってみて、除霊とかするんだろう。単に急カーブのせいだって結論になることもあるかもしれないが。

 水城さんがいくつか質問をして木村さんが答える。それが終わると、水城さんが納得したように頷いた。

「分かりました。このご相談、承ります」

「よかった! どうぞよろしくお願いします、現場の地図はこちらです。なるべく早く解決することを祈っています」

 木村さんはホッとしたように一枚の紙を置くと、そのまままた暑い外へと出て行ってしまった。思ったより早く対応が終わり、拍子抜けだ。

 水城さんを見ると、地図を眺めながら優雅にお茶を飲んでいる。それだけでこんなに絵になる日本人っていたんだ、と馬鹿なことを考えた。私ものどが渇いていたので、お茶を一気に飲みほして潤す。

「藤間さん、こんな感じでうちには相談が来ます」

「あ、はい! それで現場に行って除霊とかやっちゃうんですね!」

「いいえ、僕は本格的な除霊はできないタイプなので」

 驚きで思わず二度見してしまった。だって、除霊できなかったらどう解決するの? でも、私の肩にいた霊ははらってくれたじゃないか。頭の中を疑問だらけにしたこちらの様子を読み取ったようで、水城さんが微笑んだ。

「僕はね、ある理由により霊に嫌われやすいんです。だから、さっきみたいな弱い浮遊霊ぐらいなら、近付いたら勝手にどっかに行ってしまいます。ただ、交通事故を引き起こすような力の強いものは駄目なんです。そもそも、追い払っても戻ってきてしまえば、また同じことが繰り返されてしまうかもしれないし」

「じゃあ解決出来なくないですか!?」

「そこで、さっきの浄霊の部屋です」

 言われて思い出す。私に管理してほしいと言っていたあの部屋だ。何か特別なものがあるわけでもないのに、とっても不思議な空気を感じる部屋。あそこにいれば霊たちは勝手に浄化されていく、って言っていた。

「あ、あそこに呼び寄せるってことですか?」

「その通り。だがここで一点、重要なことがあります。あの部屋は善良な霊しか入ることができない。つまり、誰かを攻撃しようとする悪霊などは駄目なんです。今回の相手はどっちなのか……」

 水城さんは一言一言みしめるように言った。それを聞き、なるほどと理解する。悪い霊たちは、あの部屋には入れないということなのか。感心すると同時に、どこか納得している自分がいた。あの部屋の感じ、確かに悪霊とかは入れなそうな、そんな清らかさを感じる。

 でも、交通事故を起こすなんて霊、善良な霊とは言えないんじゃないか? 私が尋ねようとした内容を察するように、水城さんは続けた。

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