第一章 山奥での出来事②
思わぬ言葉に、つい黙り込んだ。背後からは、子供達の無邪気に遊ぶ声が聞こえてくる。ひたすら平和な公園で発生した、予想外の出来事に私は思わず固まってしまった。
「働く、とは、ええと、どういった、お誘いで……?」
しばらくの沈黙の後、私は声を
「みずきはると、と読みます」
「えっと、私は
「藤間さん。今から僕は怪しいと思われるような話をするのですが、聞いて下さいますか」
「はい、どういったお話でしょうか」
「先ほどあなたの肩にいたような相手を、救うお仕事です。どういう意味かわかりますね?」
そこまで聞いて、目を見開き固まった。ちょっと待ってほしい。つまり、幽霊を相手とした……霊媒師みたいな仕事ってこと? 私はすぐに強く首を振った。
「いや、私は寄せ付けるってだけで、全然力になれませんよ! いつも我慢できなくなったら、お寺とかに行ってなんとかしてもらってるんです。おかげで出費に困るくらい」
「その寄せ付けやすい体質がほしいのです。何もあなたに修行しろとかそういうことは言わない。いいですか、僕が頼みたい仕事は二つ。うちに仕事が来た時に、現場に同行してもらうこと。もう一つは、ある部屋の管理です」
「部屋の管理?」
分からないことだらけで首を傾げるしかない。幽霊相手の仕事と、部屋の管理はどう関係があるのか。
水城さんは少し考えたかと思うと、私にこう提案した。
「説明するより見てもらった方が早い。僕の家はこの近くなんですが、見に来てもらえませんか?」
「えっと、今からですか……?」
話くらいなら聞いてみてもいいだろう、と思っていた私は一気に困った。だって、男の人の家に付いて行くほど警戒心がないわけじゃない。いくら顔が良くても、今会ったばかりの人なのだ。このままでは、変な
体よくお断りしようとすると、それより先に水城さんが困ったように
「って、すみません。初対面の女性を家に呼ぶなんて、軽率ですよね……でも見れば理解してもらえると思うし、ううん。そうだ、何かあればすぐ通報できるように、スマホを手に持ったまま来ませんか」
「い、いえ、私はですね、この後用事が」
「もう110まで打っておいて、あとは通話ボタン押すだけにして。あ、行きに催涙スプレーやカッターでも買っていきます? 何かあれば使えるように。危険を感じたら刺してもいいですし、半径二メートルは距離をあけて行くようにしますから」
「いやいや、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
何を言っているんだろうこの人は。あまりに必死過ぎるではないか。困り果てて隣を見るも、水城さんは懇願するように私を見ている。その顔からは、何がなんでも私を呼びたいという強い気持ちが感じられ、言葉に詰まる。
怪しい。でも、腕が見えていたのは間違いなさそうだしなあ……そう、あの腕が見えて
「じゃあ、少しだけ。本当に少しです」
私が答えると、水城さんは
しかし油断してはいけない。やばいと思ったらすぐに逃げよう、カッターはやりすぎだけど、警察に電話できる態勢ではいよう。そう決心し、私は立ち上がった水城さんに続いて公園を出たのだった。
二
真っ青な空の下、二人で住宅街を歩いた。古い家もあれば、建てられたばかりであろう新築の家も見られる。時折犬の鳴き声だったり、子供の笑い声が聞こえてくる、ごく普通の住宅街だ。辺りをキョロキョロ見回しながら、私は彼に付いて行く。
暑さで額に浮いた汗をこっそり
木造の和風の家。平屋で、見たところ結構歴史のありそうな家だが、手入れが行き届いているようで美しい。有名な料亭だとか、そう言われても疑わないほどの立派なお
全体的に明るめの茶色の木材が多く使われており、どこか優しさを感じさせると同時に、真っ黒な
「すごく趣きのあるお家ですね……! 水城さんのお家、なんですよね?」
「はい。僕一人で暮らしています」
「ここに一人暮らし……
素直に褒めると、彼は嬉しそうに笑った。
「祖父から父へ、父から僕へ引き継がれた家なんです。築年数は長いですけど、丈夫でちっとも住みにくいと思ったことはありません。この家は、守られていますから」
「守られている?」
私の疑問に、彼は意味深に微笑むだけだった。石畳が終わり、玄関の引き戸に手を掛けて、ガラガラッと開いた。その途端、ふわりと不思議な感覚に襲われた。
言葉に言い表せない幸福感。温かで、何かに包まれているような。足を踏み入れることすら忘れそうになるほど、その家は不思議なオーラでいっぱいだった。実家に帰ってきたような安心感と、参拝に行くときの厳かな雰囲気を足した感覚だ。今まで感じた事のない空気感にただ
「藤間さん?」
「あ、すみません……なんかこの家、す、すごいですね?
呼ばれて慌てて中に入る。やはりとんでもなく広い玄関だ。水城さんが脱いだ靴以外、一足もないそこで靴を脱ぎ、自分の履き古したパンプスは端に寄せておいた。
水城さんはふふっと笑う。
「やっぱり藤間さんには分かるんだね」
「分かる、っていうと?」
「こっちに来て。もっと凄いものがありますよ」
私の質問には答えず、水城さんが指をさした。玄関のホールには地窓があり、坪庭を眺められるようになっていて、そこから外の明かりが入り込んでくる。窓の横には長い廊下が続いており、彼はその奥を示していた。
もはや怪しいだなんて気持ちがすっかり吹き飛んでしまっている私は、素直にそちらを見てみる。いくつか扉が並んでいるのが見えた。そのまま水城さんの後に付いて廊下を進んでいく。掃除の行き届いた
そして一番奥の扉の前に立つと、水城さんが私に言った。
「扉を開けてもらえますか」
促され、ごくりと
ぶわっと風が吹いて私の髪を揺らした。同時に花びらのようなものが身を包んだ気がしたが、辺りを見回しても何もなかった。そのまま中を
特に変わった様子はないその部屋だが、突然泣き出しそうな感覚に襲われた。悲しみではなく、感動で。無意識に目に涙が浮かび上がり、慌てる。この部屋からは、優しさの塊みたいなものを感じる。そんな私の隣に立つ彼はこちらの様子を見、満足げに微笑むと静かな口調で言った。
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