ただいま、憑かれています。

橘 しづき/角川文庫 キャラクター文芸

第一章 山奥での出来事①

     一


 広い公園の中央には立派な噴水があり、キラキラと輝きながらみず飛沫しぶきを上げていた。周りの子供達が楽しそうにそれを眺めながら、平和の象徴のような明るい声を響かせている。

 そろそろ夏が近づいてきており、日は高く昇り、むし暑い。じんわりかいた汗で、着ているシャツが肌に張り付き気持ち悪く思った。それをがすようにまみ、パタパタと肌に空気を当てていると、ほんの少しだけ風が吹いて髪を揺らした。周りにある木々も音を立てて揺れる。

 はあ、とため息が漏れた。

 噴水から少し離れたベンチに一人で腰掛け、私はぼんやり手元を眺めていた。れいな噴水も子供達の明るい声も、今の私の心を晴らしてはくれない。

『みなみ、家に帰って来てもいいのよ』

 スマホに浮かぶその文章を見るたび、母の心配そうな顔を思い出して胸が痛んだ。一人暮らしをする時も心配かけたくせに、結局今も心配させてしまっている。何て返事を返そうか迷い、結局止めた。何度目か分からないため息をついて空を仰ぐ。真っ白な雲が浮いていて、どこからか『綿わたあめみたいで美味おいしそう!』なんて声が聞こえた。その純粋な考え、私も幼い頃はあったのになあ。

 就職のために家を出て、必死に働くこと一年。私は先日退職したばかりだ。なかなかのブラック企業だった。サービス残業当たり前、上司が怒鳴るのは当たり前、ミスを人になすりつけるのも当たり前。入ってすぐに、会社選びを失敗したなと反省したものだ。大きい企業だったので、内定をもらった時は大喜びしたというのに。

 だが、私が退職を決意したのは、仕事内容だけが原因ではなかった。

「重っ」

 私は一人つぶやき、肩を回す。何かをおんぶしているかのように上半身が重い。肩こりなんて日常茶飯事、どんな薬を塗ったって治りゃしない。もしやと思い、私は隣に置いていたかばんからミラーを取り出した。恐る恐るそれをのぞき込む。

 自分の肩の上に、真っ白な腕が二本見えた。

 腕だけが首に巻きつくようにしている。細さからして女性だろうか。肌はかさつき、爪は割れて小指のところは無くなっていた。顔は見えないのでどんな感情を持っているかは分からないが、離してなるものか、という強い意思が腕から感じられた。

 ああ……またいて来ちゃったよ……はらってもらわなきゃかなあ。

 がくりと肩を落とした。


 物心ついた頃には、どうやら自分の視界と周りの人の視界は違うらしい、と気づいていた。私が指差す方向に目を向けた母は、いつも『何もいないよ』と言っていたからだ。しかし、何もいないわけではなかった。老女がいた。血だらけの子供がいた。透き通った女性がいた。でも、それが見えるのは私一人だった。

 子供のうちからあまり人に言うべきじゃないと感じ取り、見えないフリをいつのまにか習得していた。両親だけはこの能力を知っているが、他に知る人はいない。ところが、だ。見えるだけならまだいい。私にとって最大の難点は、『そんなやつらに好かれやすい』ということだ。

 目だって合わせないし声だって聞こえないフリをしているのに、相手はいつのまにか私の近くに寄ってくる。背中に乗ったり足にしがみついたりと、しつこくまとわりついてくるのだ。そして好かれてしまったら最後、体調が悪くなる。行きつけのお寺にお祓いに行く羽目になるのだ。

 実は今回退職したのもこれが原因だ。元いた会社は、どうも霊道が通っていたらしく、会社中に霊があふれかえっていた。もしかして、あんなに皆がすさんでいたのは霊の影響なのかもしれない。一年はなんとか耐え忍んだものの、ギブアップしてしまった。しょっちゅう霊を背負ってお祓いに行っていたのではお金も無くなるし、健康にも悪いのだ。

 よって、ここに無職誕生。まだ再就職先も見つけられておらず、母に心配をかけている最中、というわけだ。くそう、私が何をしたって言うんだ。

 そして、今日の面接は散々だった。気合十分で挑んだはいいものの、面接担当者がなんと水子を三体も連れていた。気にならないわけがなく、全く集中できなかった。おかげで途中、質問内容を忘れてしまうというとんだ失態を犯してしまい、相手の表情を見て不合格だろうなと察し、意気消沈して帰宅。その後気分を変えたくて、この辺にあるという美味しいドーナツ屋さんに買いに出かけた。だがなんと、臨時休業だった。

 踏んだりったりで泣きそうなときにこの公園を見つけ、いやされるかもと思い足を踏み入れたものの、落ち込んだ自分の心はそう簡単には持ち上がらなかった。

「肩が……重い……」

 うんざりして頭を抱えた。今まで変な霊能者やお寺から色んなものを買った。やれお守りだ、けのお札だ、美肌になれるお水だ。あ、最後のは関係なかった。とにかく、この憑かれやすい体質を何とかするためにお金はつぎ込んだが、どれも上手うまくいかなかった。私に普通の人生を歩むのは無理らしいと、もう達観している。

「ああ、次の面接いつだっけ」

 独り言を呟いてスケジュール帳を見る。生活するにはお金がいる。貯金だってあまりない。早く次の働き先を見つけなければ、実家に帰ることになって親に迷惑を掛けてしまう。

「えっと一週間後……か。短期のバイトでもして食いつなぐかな。他の求人も見て……」

 ブツブツと言いながら一人けんしわを寄せていると、突然自分の肩を誰かがたたいた。それは優しい力でぽん、ぽんと、私を呼ぶように二回。驚いて振り返ると、そこには知らない男性が立っていた。その顔をみて、つい持っていたスケジュール帳をひざから落とした。

 少し薄めの色素の髪が、サラリと風になびく。毛穴一つない白い肌は、消えそうなくらいはかない、と思った。切れ長のすっきりした目元に、美しく通った鼻筋。かっこいいよりも、綺麗、という表現が似合う男の人だった。真っ白なシャツに黒いパンツを穿いており、シンプルなかつこうがより一層、彼のぼうを引き立てている。だいぶ背が高いようで、自分の首が痛く感じるほど見上げることになる。

「なな、何かご用で……?」

 あまりの綺麗な顔につい声が裏返ってしまった。もちろん、知り合いではない。こんな綺麗な人、一度見たら忘れるわけがない。

「あ、すみません。急に触っちゃって」

 ニコリと微笑みながら言ったその言葉は柔らかく、優しさで満ちていた。イケメンが、自分に優しくしている。キャッチか詐欺か、なんて考えに行ってしまうのは、この人生、特にモテてこなかったのを自覚しているからだ。すると彼は、

「肩にちょっと、ついてたから」

 そう言って、すうっと目を細める。たったそれだけの動きが、見とれるほど美しかった。私はドキドキしてしまったのを隠すように、ヘラヘラ笑ってみせる。

「あ、あ、ああ! ゴミがついていましたか、それはどうもありがとうございます!」

「さっき鏡見てましたよね? ちゃんと取れてるか見てみてください」

「ああ、鏡ですね。はい持ってますよ、女子のたしなみですのでそれくらい」

 しどろもどろになりながら、言われた通り鞄から鏡を取り出す。イケメンを目の前にして、完全にパニックになってしまう。何も考えずパッと開き、覗き込んで私は言葉を失った。

 何もない。

 自分が着ている白いTシャツに、肩までの黒髪。映っているのはそれだけだったのだ。では、先ほど見えた腕は?

 鏡の中をしばらくじっと見つめる。そういえば、肩が一気に軽くなっている。角度を変えて見てみても、先ほど肩に巻きついていた腕はどこにも見当たらなかった。ここにきて初めて状況を理解した私は、何も言わずに背後に立っている男性を見上げた。すると彼はわずかに口角を上げ、薄い唇で微笑んだ。

「ね? 取れたでしょ」

 それだけ言うと、ベンチを回って私の隣まで歩み寄る。落としたスケジュール帳を拾い、丁寧に砂をはたくと私に差し出した。ぜんとしながらそれを受け取る。

「驚かせたかな。ごめんね」

「い、いえ……ありがとうございます」

「隣、座ってもいいですか」

「ど、どうぞ」

 ふわりと私の隣に腰掛ける。その時、香水などではない、いい匂いがして驚いた。イケメンって匂いもイケメンなのね。

「もしかして、就職先を探してるんですか」

「え!? どうして知ってるんですか、まさか超能力もあるとか」

「すみません、独り言が聞こえてきて」

 簡潔に答えを言われ、恥ずかしくて顔が赤くなった。昔から独り言が大きいと周りに指摘されてきたが、まさか聞かれていたなんて。必死に頭を下げる。

「うるさくてすみません」

「いえ、それは全然いいんです。それより一つ伺いたいことがあります。その寄せ付けやすい体質は、昔からですか?」

 間違いない。やっぱり、この人見えてるんだ。私と同じものが見えてるんだ!

 それが分かると、一気に心臓がバクバクと音を立てて鳴った。いまだかつて、同じように霊が見えると確信できた相手はいなかった。怪しげな霊能者に会ったこともあるけど、いまいち本物かどうかわからなかった。ついに同胞に会えた喜びと同時に、やっぱり本当に話してしまっても大丈夫だろうかという疑いの心で全身がいっぱいになる。

「……そう、ですね、多分」

「なるほど。では、単刀直入に言います」

 彼が私の方を見る。つられて隣を向くと、ビー玉みたいなれいひとみと目が合い、呼吸すら忘れそうになった。とらわれたように動けない。そんな私をまっすぐ見つめ、真剣な面持ちでこう言った。

「僕と一緒に働きませんか」

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