第6話 冷たい鉄の訪問者


「はい、できた。今日も可愛いですよ、姫様」


「そうやってからかわないでよ」



 艶を帯びて輝くサフィアの髪をハーフツインに結い上げ、黒いリボンを結んだバルツェが満足げに鏡を掲げる。魔術で温風を当てられたルビー色の髪は緩やかなウェーブを施され、一部は編み込まれていて、サフィアは照れくさそうにはにかんだ。



「ほら、可愛いでしょ」


「……そうね」


「あ、自分が可愛いって認めた〜」


「もうっ! あなたのそういうとこ本当に嫌いよ!」



 眉根を寄せてサフィアが反論する。こういった二人の喧嘩未満な掛け合いも、もはや日常の一部となってしまっていた。


 サフィアが目を覚ましてから、早いものでそろそろ半月。

 朝はバルツェに起こされて髪をセットされ、生活部門長のメリーヌが用意した朝食を食べる──という一連の流れがルーティン化してしまっている昨今。


 バルツェとの主従関係にもすっかり慣れてしまい、彼の揶揄に文句を返せる程度には、緊張も不安もほぐれてきている。



「今日の朝食はエッグパイらしいですよ」


「まあ、エッグパイ! 随分とレパートリーが増えたわね」


「でも、草とか茎とか植物の粉を焼いたやつばっかじゃん? そんなもん食って何がうまいのかわかんねー」


「またそういうこと言う……」



 余計なひとことを付け足すバルツェは、サフィアに睨まれながら銀製のクローシュを外す。

 最初こそ生野菜や硬いパンばかりで味気なかった食事だが、近頃は人間食に対するメリーヌの理解度が上がってきたらしく、味付けがサフィアの好みに近くなってきた。


 サクッ、サクッ、銀のフォークでパイ生地を切り分け、バルツェはあたたかいパイをひとかけら、サフィアの口元へ運ぶ。



「はいどうぞ」


「ば、バルツェ」


「ん?」


「あのね、毎日言ってるけど、別に食べさせてもらわなくても、ひとりで食べられるんだってば」


「そう遠慮なさらず。姫様の嫌がってる顔が面白いんで、俺が食べさせてあげたいんですよね」


「ちょっと! またそうやってからかって──」


「隙あり」


「むぐ!」



 バルツェは隙を見てサフィアの口内にパイを押し込んだ。サフィアは怒ったように目尻を吊り上げたものの、サクサクと食感がいいエッグパイは思いのほか美味で、言いかけた文句ごとすべて飲み込んでしまう。



「おいしい?」


「おいしい!」


「お、よかった。メリーヌに報告しないとな、粉焼いたヤツはウケがいいって」


「ちゃんとエッグパイって言ってよ……」



 覗き込んでくるバルツェをじとりと睨みつつ、結局のところサフィアは、二口目以降も彼に食べさせてもらうことになった。甘やかしているのはどちらなのやら。もはやよくわからない。


(この変な主従ごっこに慣れてしまうのも、なんだか危機感があるわ……。私、絶対に王女じゃないし……)


 ふう、と密かに息をつく。


 近衛騎士のバルツェは良くも悪くも適当な性格のため、あまり堅苦しい態度は見せないが、他の魔族たちもそうかと言うと、決してそうではない。

 皆一様にサフィアを〝王女〟──もしくは〝どこかのお偉いご令嬢〟として扱い、目が合うだけでひざまずかれてしまう。


 たまには運動も必要だからと船内を歩かされることもしばしばあるのだが、目が合うたびに道をあけられ、ひざまずかれ……とにかく、非常にいたたまれない。散歩するだけで胃の痛む日々である。



「うう……態度は時々ムカつくけれど、私の近衛騎士になってくれたのが、バルツェで本当によかったわ……」


「なんだよ姫様、俺のこと好きなの?」


「そういう意味じゃない! 変な勘違いしないで!」


「え〜? でもさあ、人間って惚れっぽいじゃん。俺がイケメンだからって恋しちゃだめですよ? 身分が違うんですから」


「自分で何言ってるのよ」


「それに──」



 食器を片付けながら、バルツェは一旦言葉を区切り、そっと目を伏せて続けた。



「……俺の血が入った子どもなんて、もし生まれたらかわいそうでしょ」



 ぽつりと転がり落ちた言葉。

 それはやけに鮮明にサフィアの耳へと届き、彼女はぐっと息を呑んだ。


(何それ、どういう意味?)


 いつも適当な言葉選びで本心を諭させまいとしているバルツェの発言が、その時ばかりは、まるで本心のように聞こえていた。


 短いはずの沈黙。

 しかし、なぜだかとても長く感じる。


 何と声をかけるべきか悩んでいると──


「なーんてね」


 バルツェは涼しげな顔で舌を出した。



「え」


「騙された? そんなこと微塵にも思ってないよ」


「ま、また私をからかったの!?」


「疑いなくすぐに何でも信じる姫様がチョロいだけだと思いますけど〜」


「何ですって……!」


「あーあ、こんだけチョロいと、そのうち本当に俺のこと好きになったりしちゃうんじゃない? やめときなね。あと口元に食べかすついてますよ」


「むぐ……!」



 軽口を叩き、バルツェはハンカチでサフィアの口元の汚れを拭う。すっかり彼のペースに呑まれたサフィアは怒りを覚えて肩をわななかせ、プイッとそっぽを向いて腕を組んだ。



「っ、も、もう怒った! バルツェって本当に意地悪! あなたのことなんて、何があっても絶対に好きにならないわ!」


「はいはい、それはすみませんね」


「それに私、婚約者がちゃんといたんだから。たとえもうこの世に彼がいなくても、一度は将来を誓い合ったんだもの。簡単に次の恋人なんか作れないわよ」


「ふーん、婚約者なんていたんだ。じゃあ、今でもそいつのことが好きなんだ?」


「……それは、その、ええと……」



 それまで強気な素振りを見せていたサフィアだが、急にしおらしくなって言葉を渋る。


 確かに彼女には婚約者がいた。しかし、実を言うと、その男とサフィアはほとんど会ったことがない。

 良家の一人息子……ということだけは知っているが、知人の紹介で知り合って、何となく顔を見たことがある、というだけだ。親を安心させるためだけに取り決められたような婚約であり、ろくに相手のことは知らないし、話をしたような記憶すらなかった。


 つまるところ、形ばかりの婚約者である。

 サフィアが黙りこくっていると、バルツェは目を細めた。



「……もしかして、別に好きでもないのに、結婚しようとしてたの? 人間って惚れっぽいのに?」


「そ、そ、そんなことないわ! すっーーごく好きだったし、とっーーても愛してた! ……多分」


「ふーん」



 興味なさげに相槌を打ち、バルツェは立ち上がる。「じゃ、俺は食器を戻してきますんで。何かあったら呼んでくださいね」そう言い残し、彼は部屋を出ていった。


 ぽつん。取り残されたサフィア。

 話を盛ってまで熱弁したというのに、あっさりと話題の腰を折られてしまった。すると徐々に何を一人でムキになっているのだろうという羞恥心が湧き上がり、サフィアは火照った顔を手で覆う。


「ほ、ほんとにムカつくわ、あのものぐさ近衛騎士……!」


 一人で頬を赤らめていると、やがてプシュケだけがバルツェのそばを離れ、部屋へと戻ってきた。

 定位置とばかりにサフィアの頭頂部に降り立ったプシュケ。黒いリボンのカチューシャにフンフンと鼻を擦り付け、歯のない口でパーツをもごもごと噛んでいる。



「あっ……こらこら、プシュケちゃん。また勝手に髪飾りを外して飲み込んだらだめだからね? バルツェに『何でも口に入れるな』って釘を刺されたばかりでしょう?」


「プケー?」


「プケーじゃなくて……うーん、お腹すいてるのかしら。それとも何でも口に入れたがる年頃? 精霊に年齢があるのかわからないけど……」


「ププ!」



 理解しているのかいないのか、プシュケは上機嫌にサフィアの膝へと降りてくる。どうやら暇を持て余しているらしい。

 放っておくとまるで猫のように外へ出ていき、必要のないお土産がらくたをくわえて持ち帰ってきてしまうため、サフィアはしっかりとその体を捕まえた。



「よし、捕まえたわ。これでどこにも行かせないわよ」


「プ」


「まったくもう、ここは空の上なのに、あなたはいつもどこから色んなお土産を拾ってきているの? 精霊って不思議ね」


「プケケ」


「……そういえば、もう何日も飛行しているけれど……この船って、一体どこを目指しているのかしら」



 疑問に思い、サフィアは恐る恐るカーテンを開ける。外の景色は相変わらず空の上だ。現在は渓谷の上空を通過しているらしく、いくつもの山々が見えていた。

 まるでミニチュアのおもちゃが連なっているようにしか見えないが、実際は深い谷なのだろう。何とも不思議な感覚である。



(こんな上空からじゃ、人の姿なんて小さすぎて見えないんでしょうね……)



 そう考えた時──ふと、サフィアはあることに気がついた。


 よく考えてみれば、この世界で目覚めて以降、一度も人間の姿を見ていない──と。



(……人間って、今も、地上にいるのよね?)



 窓に手を触れたまま、サフィアは眉をひそめる。妙な違和感が胸に粘りついていた。


 バルツェの話によれば、この数百年の間に人間と魔族の対立が深まり、長らく交戦状態にあるという。だが、初めて目が覚めたあの時、サフィアたちを襲ったのは人間ではなく、鉄のかたまりの化け物だった。


(あれが人間? いいえ、まさか)


 サフィアはますます訝しむ。

 数百年で何度も争いが起きた影響か、サフィアの育った故郷・トロイメリアは崩壊し、世界もすっかり変わり果ててしまっていた。

 だが、きっとどこかに人間の住む場所はある。そして、そこを統治する人間がいるはずなのだ。


 考えを巡らせたその時──突如、サフィアの脳裏には豪華絢爛なトロイメリア城の情景が浮かび上がった。



 ──ルビーの中でしばらくおやすみ、愛しい子。



「……あの王女様は、あの後どうなったの?」



 神妙な面持ちで呟き、サフィアは口元に手を当てる。

 記憶の中に蘇ったのは、布で顔を覆い隠した無邪気な王女の姿だ。この世界を統治していた王族の血を引く、本物の王女。


(そうよね……王族なら元々いるはずなのよ。正式な王家が今も存続しているのなら、たとえ魔族と言えど、私が王女じゃないことぐらいすぐにわかるはず……)


 だが、現状、事情を知る誰もがサフィアを王女だと勘違いしている。

 ということは、つまり──人間の王族は、すでにこの世界には存在していないということなのだろうか?


(……ダメだわ。今の時代の史実がどうなっているのか、私だけじゃ全然わからない)


 サフィアは小さくかぶりを振る。

 人間の歴史について、あとでバルツェに聞いてみよう──そう考え至ったその時、不意に、扉がコンコンコン、と三回ノックされた。


「あっ、バルツェ!」


 サフィアは立ち上がり、扉に駆け寄る。



「ちょうどいいところに帰ってきてくれたわ。少し、あなたに聞きたいことが──」



 だが、内側からドアノブを捻った途端、強い違和感が胸を覆った。


 ……あれ?



(そういえば、バルツェって──ノックなんかするタイプだったっけ?)



 ガチャンッ。


 部屋主がドアに触れたことで、扉のセキュリティは解除され、外へ続く扉が難なく開く。

 しかし、その先に佇んでいたのは、バルツェではなく。



『ピーー、ピピ……ジーーー』



 異音を放ち、二本足で立ち、サフィアが見上げるほどの背丈がある──鉄のかたまりの化け物だった。



『スキゃン、せーコー、おれいあルびー、まりょく、ヲ、かくニん』


「は……」


『もくヒょう、かくにン、ほそく、たいしョう』



 サフィアは一歩退き、へたりと腰を抜かした。鉄のかたまりは抑揚のないたどたどしい音声を放ち、腕の形状をトランスさせながら続ける。


『ルびー、の、シンゾう』


 ウィンウィンウィン──眼球が不気味にうごめき、やがて、そいつはサフィアを明確に標的と認識した。



『おウじょ、ヲ、かいしゅウ、しマ──』


「──おい」



 しかし、抑揚のない音声は低い声で遮られる。瞬間、飛び込んできた漆黒の斬撃が鉄のかたまりを弾き飛ばした。


 ダァンッ!


 重たいかたまりは壁に激突し、強い衝撃とともに船体が微振動する。愕然と座り込むばかりだったサフィアは短く悲鳴を上げたが、瞬時に体を引き寄せられて何者かの腕に抱えられた。



「このクソデカブツ、うちの姫様に触んじゃねーよ」


「っ、バルツェ!」


「手荒で悪いけどしっかり掴まってな、姫様。少しまずいことになった」



 ダンッ、ダンッ。床板からいくつかの振動が伝わり、先ほどと同じ屈強な鉄の兵士が道を塞ぐ。

 バルツェは舌を打ち、冷たく彼らを睨みつけた。



「──侵入者だ」

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