第5話 騎士の愛しい面倒事


 魔空挺〈アーク・バレーナ〉には、乗組員約三千人を収容できる宿舎を始め、医療機関、食堂、娯楽場、ありとあらゆる施設が完備されている。

 無論、単なる空挺基地ではなく、戦闘設備も充実した〝空飛ぶ戦艦〟だ。この船に乗る団員たちは皆、戦闘に長けた正真正銘の騎士である。


 一角獣種ユニコーンの騎士団長・ミスト。

 上位妖精種ハイエルフの医療部門長・コーディ。

 南瓜頭巾ジャックランタンの生活部門長・メリーヌ。

 そして戦闘の最前線を担う軍事部門長が、上位悪魔種アークデーモンの騎士・ベルゼファルだった。



「今日の会議もベルゼファルは欠席か」



 会議室の円卓の最奥で、ため息まじりにミストが呟く。卓を囲んで座っていた医長・コーディは眼鏡を掛け直しながらへらりと笑った。



「ベルくんが出席しないのはいつものことだよ。まあいいじゃないか」


「あの子って協調性ないのよね〜。アタシのこと特に嫌いみたいでぇ、食堂に寄りつかないんだもの。失礼しちゃうわ!」



 厨房担当兼生活部門長のメリーヌは頭部を覆っているカボチャの頭巾に白粉を塗布し、野太い声でぷんぷんと憤る。


「ねえ、メリーヌってさあ、その頭巾の下どうなってるの? 定期検査に影響あるから男か女かだけでもこっそり教えてくれない?」


「あらやだ、その質問は今どきタブーよ、コーディちゃんっ」


 言い合う二人を後目に、ミストはことさら深く嘆息した。



「……二人とも、静粛に。確かにベルゼファルが顔を出さないのはいつものことだが、今回は王女の件について話し合う重要な会議なんだ。少しは協力してくれないと困るんだがな」


「まあまあ、ボス、そうイライラしないで。どうせベルくんはこないだろうと思って、代わりを呼んでおいたからさ。大丈夫だよ」


「代わり?」


「──失礼します」



 ウィンッ。魔力が付与された魔導式の扉が、ノックの音すらなく突然開く。「ほら、来た来た」コーディは楽しげに手招きし、入ってきた青年に笑いかけた。


「なるほど、バルツェか」


 ミストは顎を引き、入室したバルツェに座るよう指示しつつ「君はいい加減ノックする癖をつけろ」と説教する。そんな上司の小言を無視したバルツェが空席に腰掛けた頃、騎士団長は眉間を押さえて再び口を開いた。



「はあ……まあいい、本題に入ろう。今回君たちに集まってもらったのは、〝ルビーの心臓を持つ王女〟についての報告会と、今後の対策について話し合うためだ」


「ねえねえ、バルツェちゃん。あなた王女様の近衛騎士に抜擢されたのよねえっ? いつでも王女様の近くにいれるなんてずるーい、羨ましいわぁん」


「ね、羨ましいでしょ。そういえば姫様、この前メリーヌが作った卵料理ちゃんと食べてたよ。ソースが欲しいって言ってた」


「ふぅん? ソースってなあに?」


「こらそこ、関係のない話は慎め。……さて、バルツェ。早速だが、王女の近衛騎士として、何か新たに報告すべきことはあるか?」


「そうっすね、姫様は髪を横に編み込んでサイドテールにする髪型が一番似合ってたです。リボンは黒が可愛い」


「報告ご苦労、もういいしばらく黙っていろ」



 ミストは苛立ちを孕んだ声で辛辣に切り捨てる。


「冗談だよ」


 バルツェは肩をすくめ、話を戻した。



「まあ確かに、この場で大々的に報告するような大したニュースはないけどさ。ただ、姫様に関して一点だけわかったことならある」


「最初からそれを報告しろ。無駄口ばかりペラペラと」


「ピリピリしてたから和ませてやったんじゃん、ノリ悪いなあ。……で、報告だけど──あの姫様、やっぱり宝石王の力ラトナージュは発現してないみたいだね」



 バルツェはさらりと報告した。ミスト、コーディ、メリーヌの三人は一様に目を細める。


「……そうか」


 ミストが重く口を開く。メリーヌはカボチャ頭巾から生えた葉っぱを指先でいじりながら「それ、偽物ってことぉ?」と問いかけた。「いや、偽物じゃないと思うな」しかしコーディがその疑惑に待ったをかける。



「僕は彼女の治療をしたけど、傷口から血液のように溢れ出したものはすべて純正のルビーだった。それは解析班も証明している。精霊の姿も見えるらしいし、少なくともオレイア・ルビーに関わる人物なのは間違いない」


「じゃあ本物ぉ? 宝石王の力ラトナージュは眠ってるだけってこと?」


「そうだと思う。そもそも、王女復活の〝予言の日〟はもう少し先だったんだ。例の盗難があったせいで、予言より早く王女が目覚めてしまった……っていうのが、僕の見解だよ」


「じゃあ、予言の日がくれば宝石王の力ラトナージュも目覚めるってわけぇ?」


「おそらくね」



 それぞれが意見を出し合う中、バルツェはミストに純粋な疑問を投げかけた。



「そもそも、宝石王の力ラトナージュって具体的にどんな力なんだ? ボス」


「さあな」



 しかし、ミストから返ってきたのは曖昧な答えだ。彼はさらに続ける。



「私にも、具体的な詳細はわからない。何しろ数百年前の文献に記された伝承だ。噂では、死者の蘇生、病の治療、永遠の命……あり余るほどの富を生み出すこともできるというが、実際に見た者の記録はない」


「へえ〜。おとぎ話みたいでロマンチックねぇ」


「そういった伝説上の存在に近いのかもしれないな。いずれにせよ、その噂が本当なら、神に匹敵するような力だが……そうであればなおさら、王女を人間の手に渡すわけにはいかない」



 ミストは力強い眼差しで言い放つ。一同も静かに頷いた。「人間に王女の絵画が奪われた時、焦ったもんね」コーディの言葉にメリーヌは筋肉質な肩を強張らせる。



「でも、アタシ、まだ正直きな臭いと思ってる部分あるわよ。だって、王女の絵画が盗まれたあと、なぜか都合よく封印が解けたんでしょぉ? しかも太古に王女が封印された・・・・・と言われているトロイメリア遺跡の城跡で!」


「……」


「それって、ちょっとシナリオがうまく出来すぎじゃなぁい? バルツェちゃんが最初に見つけたんだっけ? どんな状況だったのよ」


「どんな状況も何も、普通に壁に絵画が飾られてただけだ」



 冷静に答え、バルツェは退屈そうに頬杖をついた。



「その絵画に触れようとしたら、いきなり額縁の中のルビーが砕け散って、姫様が現れた。俺が報告できることなんかそれだけだよ」


「ふぅーん」



 メリーヌはどこか疑わしげだ。その後、しばしの沈黙が訪れ、誰も口を開かない。

 やや重たくなってしまった空気を断ち切るかのように、騎士団長であるミストは口火を切る。


「……諸君。薄々わかっているかもしれないが、少々酷な報告がある」


 団長の言葉に、一同は耳を傾ける。その場の誰もが、これから語られる内容を何となく悟っていた。ミストは神妙な面持ちで続きを語る。



「数日前、我々が極秘で保管していた王女の絵画が人間たちに奪われた。これが何を示しているかわかるか? 絵画の隠し場所が、人間たちに露呈していたということだ」


「……」


「王女の絵画の保管場所を知っているのは、我々モンストロ魔術騎士団の中でもごく一部の上層部のみ。騎士団長として非常に心苦しいことだが、ひとつ、残念な可能性を疑わなければならない」



 重い口調で前置きし、一呼吸置いたのち、ミストは言い放った。



「──我々の中に、人間側と繋がっている者がいる」



 険しい表情で断言する。その場の誰もが察していた結論だった。


「おそらくこの場にいないベルゼファルも同意見だろう」


 ミストは言い切り、バルツェを一瞥する。

 一方のバルツェもその視線に気づいたが、黙ったままフイと目を逸らした。



「仲間を疑いたくない気持ちは私も同じだが、情報の扱いにはこれまで以上に気をつけるように。怪しい者に関してはすぐ私に報告しろ。王女の心臓は死んでも守れ」


「まったく、盗まれた絵画探しの次はスパイ探しか。僕らの仕事は増える一方だねえ」


「あらぁ、アタシは燃えてくるわ〜。スパイちゃんを見つけたら、コッテリお料理してあげちゃうわよんっ」


「では、今回の会議はこれで終了とする。速やかにそれぞれの持ち場へ戻るように」



 解散を言い渡され、コーディとメリーヌはすぐに席を立った。バルツェもその場を離れようとしたが、「待て、バルツェ」とミストに呼び止められる。



「君には別件で用がある。君の異母兄・・・のベルゼファルのことだ。少し残れ」


「はあ……」



 嘆息し、バルツェは足を止めた。コーディとメリーヌが部屋を出ていったあと、彼は振り返る。


「嘘が下手だね、ボス」


 冷たく言い切って視線を交えた。

 ミストは狼狽えることなく彼を見つめる。バルツェは淡々と言葉を紡いだ。



兄貴ベルのことなんて毛ほども気にしてないだろ? 元々アイツには協調性がない。俺に聞きたいのは、もっと別の要件のはずだ」


「……そうだな。単刀直入に言おう」



 彼の主張をあっさり認め、ミストは改めてバルツェを見やる。



「バルツェ。今回のスパイ疑惑、一番疑われているのは君だよ」



 想定内の言葉だった。バルツェは口をつぐみ、否定も肯定もしない。

 ミストは冷静に続ける。



「君は半魔族デミ──つまり人間と悪魔の混血だ。人間側についていても不思議ではない」


「……」


「今回、一番最初に王女を見つけたのも君だった。自作自演ではないかと疑う声も私の耳に届いている。残念ながら、君が疑われる要素は十分に揃っているんだよ」


「そうだろうね。半魔族のこと煙たがってる上層の連中が、特に嬉々として騒いでるんだろうな」



 やれやれとため息を吐くバルツェ。

 人間と悪魔の混血である彼は、船内でも肩身が狭い。人間の肩を持つ可能性が高い容疑者候補の筆頭として、名指しで糾弾されることぐらい想像はついていた。


「……まあ、疑うんなら疑えば」


 バルツェは無表情にこぼし、ミストに背を向ける。



「どうせ半魔族デミの俺が何を言っても信じてもらえないだろ。聴取するだけ時間の無駄だと思うぜ? スパイ疑惑のある俺を姫様の護衛面倒な仕事から外したいってんなら、意味のある時間かもしれないけど」


「……いや、外さないよ」



 静かに、されどはっきりとミストは明言した。彼の目には迷いがない。



「私が君を王女の近衛騎士に任命したのは、君を信用しているからだ。君は騎士として、必ず王女を守る──そう信じている」



 そうして続いた言葉に、バルツェは黙り込んだ。しばし沈黙を貫いた彼だったが、やがてバツの悪そうな顔で後頭部を掻き、ゆっくりと歩き出す。



「……あっそ。まあ、安心しろよ。与えられた任務はしっかりこなす。たとえ人間どもが襲ってきても、姫様には指一本触れさせない」


「そうか」


「心臓どころか髪の毛先にだって、誰も触れさせるもんか。姫様に触れられんのは、〝面倒事にんむ〟を請け負った俺だけで十分だよ」



 当てつけのように言い残し、ミストの元を去っていくバルツェ。その背中を見送るミストの口角は、ほんのわずかではあったが、誇らしげに上がっているように見えた。



「期待しているよ、近衛騎士」




 ◇




 かくして、会議を終えたバルツェは、王女の寝室へと戻っていく。

 サフィアのいる部屋は、魔空挺アークバレーナ内でも最高クラスの部屋だ。もちろんセキュリティも完璧に近く、万全な対策が施された最奥部に位置しており、万が一の時の脱出経路も抜かりなく備わっている。


 カツ、カツ、カツ。


 歩く軽快な足音。余計なものには目もくれず、ただまっすぐと歩き続けた。

 しかしやがてその音に紛れ、バルツェの耳には余計な雑音まで入り込んでくる。



「知ってるか? あの噂。上層の連中がひれ伏すレベルのお偉いご令嬢を船で匿うことになったって」


「なんか騒がしいとは思ってたが、そういうことか。どんなご令嬢だよ。魔術協会の重鎮の娘とかなのかね?」


「聞いた話だと、その護衛に選ばれたのが、半魔族デミのバルツェだと」


「そりゃあご令嬢も気の毒に。人間の血が入ったヤツなんか乳くさくて飯も食えねえだろ」



 ひそひそ、くすくす。まことしやかに囁かれる噂話。

 バルツェはそれらを聞き流し、ブレない姿勢を保ったまま、ただ淡々と歩き続けた。


 長い通路を進んでいく。

 第一、第二、第三……慣れた足取りでセキュリティゲートを抜け、王女の部屋へと近づいていく。


 そしてついに、最後のゲートを通過パスしようとしたところで──不意に、バルツェは足を止めた。



「……会議サボって待ち伏せかよ」



 つい辟易した声が漏れる。視線の先にはひとりの青年が佇んでいた。

 腰まで伸びた黒い髪に、禍々しい二本角が特徴的な美青年。彼はおもむろに顔をもたげ、切れ長の緑眼でバルツェを睨んだ。



「あんなママゴトに参加しても時間の無駄だろうが」


「はいはい、そーですね。そんな貴重な時間を使ってまでこんなとこ突っ立って弟を待っていてくれたお優しい兄上は、俺に一体何のご用ですか?」


「テメェを弟だと思ったことは一度もねえよ。その減らず口、二度と聞けねえようにしてやろうか?」



 低く声を放ち、黒髪の青年は魔力を手のひらに集積して漆黒の長剣を具現化させると、迷いなくバルツェの喉元に突きつけた。


「相変わらず気が短いな」


 バルツェは呆れるが、ピリついた空気の中でも動じる気配はない。



「で、本当に何の用だよ。俺忙しいから、さっさと要件済ませてくんない? ──ベル」



 冷静に問いかければ、バルツェの異母兄──ベルゼファルは眉間の皺を深く刻んだ。



「ミストが召集を呼びかけた理由は大方わかってる。王女の情報を外部に漏らした裏切り者がいるって話だろ」


「そうだね」


「だったら話は早ぇよなァ?」



 漆黒の刃先がバルツェの喉を撫でる。


「ここに汚ねえ人間の血が混ざった紛い物がいるんだからよ」


 軽蔑するような眼差しは、一切の慈悲もなく弟に注がれた。



「半分とはいえ、お前みたいな気色悪い存在と血が繋がってるなんてゾッとするぜ。さっさとこの船を降りろ、人間でも魔族でもない半端者がよ」


「……そんなくだらない喧嘩を売りにきただけか? 時間を無駄にして暇なヤツだな」


「なんだとテメェ」



 ベルゼファルはぴくりと額に青筋を立て、一層眼力を強めた。純血の悪魔である彼の周囲には魔力を帯びた瘴気が漂い、バルツェの肌がちりちりと痺れる。



「やめておけよ、ベル。俺には王女の護衛の任がある。ボスにドヤされるぞ」


「関係ねえよ、弱いヤツは戦場でも役に立たねえ。死んだらそれまでだろ。精霊に頼ってねえと魔術も使えねえ下等なゴミは粛清されてしかるべきだ」


「はあ、話の通じないヤツ。仕方ない、プシュケを──」


「あっ、バルツェ!」



 一触即発の空気感が満ちる中、鼓膜を叩いたのは凛と澄んだ声だった。睨み合っていた二人がハッと視線を向けた先には、なぜだか通常の二回り程度大きく膨らんでいるプシュケを抱えたサフィアの姿がある。

 げぷっ──プシュケは緊張感のかけらもなくゲップをこぼした。


「うわ、プシュケが太ってる」


 険悪だった空気を打ち破る光景に、バルツェは目をしばたたいて呟いた。サフィアは慌ただしく弁明を始める。



「ご、ごめんなさい! 部屋で大人しくしてるべきだったんだけど、プシュケちゃんが急にたくさんの卵を持ってきてしまって! 飛び回って逃げるのを追いかけてたら、こんなところまで……」


「……チッ!」



 ベルゼファルは舌打ちし、バルツェに突きつけていた長剣を下ろして魔力を離散させる。彼は険しい表情でバルツェを睨みつけ、足早にゲートを通り抜けるとその場を離れていった。

 サフィアはきょとんと首を傾げ、申し訳なさそうに声をひそめる。



「もしかして、私、邪魔しちゃった……? というか、なんか揉めてたわよね? 大丈夫? 剣みたいなもの突きつけられてなかった……?」


「ううん、何でもないですよ。むしろ最高だった、さすが姫様。でも危ないから、こんなところまで一人で出歩かないでくださいね。俺が付き添うからさ」


「ご、ごめんなさ……」


「ブゲゲゲゲ」


「わああっ! どうしましょう、プシュケちゃんがえずいてる! 卵がこぼれちゃう!」


「緊張感ないなあ」



 無邪気に慌てる愛らしい〝面倒事ひめさま〟。

 バルツェはその手を取って「大丈夫だから戻りましょう」と言い聞かせ、今にもこぼれ落ちそうだった本心を飲み込み、取り繕った平静の裏側に仄暗い闇を覆い隠した。

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