第一章 - 魔空挺アークバレーナ

第4話 鯨の腹で朝食を


 朝起きて、一番に考えることは、『本当はすべて夢だったんじゃないか』という淡い期待だ。


 しかし何度目が覚めても、その願いは儚く離散し、冷たい現実を突きつけてくる。



「……夢じゃなかった」



 ぼうっと天井を見つめ、サフィアは呟いた。

 ゴゥン、ゴゥン……何らかの動力が稼働している音が、静かな部屋の中にわずかに響いていた。


 彼女は自身の髪に触れ、そっと一束つまみ上げる。本来黒いはずの地毛は、なぜだか真っ赤な色に染まり、わずかに光沢を放っている。


「本当に、私、全部がルビーになってしまっているのかしら……」


 悲哀を帯びた声を転がし、天蓋付きのベッドの上で枕に顔を埋める。

 髪だけでなく、瞳の色も、同じようなルビーレッドに変わっていた。〝サフィア〟という名前を象徴するかのような青い瞳の面影は、もはやどこにも見当たらない。


 昨晩はあまりよく眠れず、何度も意識が覚醒することになった。その度に『すべて悪い夢だったのでは』と期待するのだが、毎度結果は同じだ。

 はあ、と現状を憂いて嘆息した頃──ガンッ、と扉が蹴り開けられ、サフィアは大袈裟に驚いて飛び起きた。



「あ、起きてた。おはよーございます、姫様」


「っ!? ……!?」


「あらま、寝癖ついてますね。あとで髪をセットしましょう。とりあえず朝食をご用意しましたので、どうぞお食べくださいませ」


「あ、あなた、今ドアを足で……」


「あー、すんません。手が塞がってたもんで」



 軽い口調で屁理屈を転がす来訪者は、ノックもせずにズカズカと部屋へ入ってくる。サフィアはクッションを抱え、心臓をばくばくと打ち鳴らしながら、たった今入ってきた彼──バルツェに会釈した。



「……ありがとうございます、バルツェさん」


「あのさぁ、姫様。俺、一応あんたの召使いみたいな扱いでしょ? 召使いに『さん』付けっておかしくない? 普通に呼び捨てしていいですよ」


「そんな、召使いだなんて思えませんし……あ、あなたこそ、『姫様』って呼び方、やっぱりやめません? なんだか恐れ多いのですが」


「もう姫様これが言いやすいんで無理です」


(私だって『さん』付けが言いやすいわよ!)



 心の中で憤慨するサフィアの提案をあっさり断り、バルツェは彼女に紅茶を差し出す。


「まあまあ、とりあえずお紅茶でもお召し上がりくださいな。怒った顔しないの」


 余裕綽々といった態度で宥められ、サフィアは納得いかないとむくれつつ、ティーカップを受け取った。


 桃のような甘い香り。やや強すぎるそれが鼻腔をくすぐる。

 まだ熱そうなそれに息を吹きかけて冷ましていると、「俺がフーフーしましょうか?」とバルツェが覗き込んできた。


 サフィアは眉をひそめ、ずっと違和感を覚えていたことをそれとなく口にする。



「……あなた、昨日、そんな話し方でしたっけ? 失礼ながら、あの……もっと粗雑な口調だったような」


「ボスに怒られたんだよ。王女に向かってタメ口きくなって」


「今タメ口ですけれど……」


「あ、内緒ね」



 しい、と指先を唇に当てがう彼。サフィアは「別に気にしなくていいのに……」と眉尻を下げてティーカップに口をつけた。



「うぶ……い、いい香りだけれど……ちょっとだけ、渋いような……」


「あらら、そうですか。実は今、人間用の食材の調達に厨房もてんやわんやでして。色々試行錯誤してるみたいなんですよね、人間の食文化って俺ら魔族と違うから」


「え、そうなの? この船、他に人間がいないってこと?」


「まあ、ほぼ魔族です。ハーフエルフとか獣人とか、俺みたいな半魔族デミならいるけど、それもごくわずかですね。純血の人間は一人もいない」



 冷静に答えたバルツェは、野菜が挟まれたパンを丁寧にナイフで切り分ける。どうやらサンドイッチらしいが、中には生の野菜が丸ごと放り込まれているだけで、ソースすらかかっていなかった。


「料理長が、人間の文献を参考に考案した料理だそうですよ。こんな葉っぱとか茎なんか食べてうまいの?」


 余計なひとことも交え、どうぞ、と皿を差し出される。サフィアは頬を引きつらせ、ひときれつまむと、それを口に運んだ。



(……まあ、うん。生野菜だわ)


「おいしい?」


「…………はい」


「絶対嘘じゃん。わかりやすいね、姫様って」



 飲み込んだ本音はすぐにバレた。バルツェは肩をすくめ、「プシュケ」と呼びかけて皿を置く。

 するとすぐさま黒い毛玉がバルツェの袖から飛び出し、部屋の中を楽しげに飛び回った。



「姫様の好きなものスキャンして」


「プケッ」


「……すきゃん?」



 聞き慣れない言葉に首を傾げた途端、プシュケは大きな丸い単眼をぱちりと開いてサフィアに謎の光を浴びせる。「きゃ!?」サフィアは驚いた様子で身構えたが、光の照射はすぐに終わり、目を閉じたプシュケがバルツェの肩にとまった。



「プケ、プケ」


「よしよし、いい子だ。姫様の食べたいもの何だった? 竜の目玉の串焼きとか? それとも生き血のスープかな」


「そ、そんなものは食べられませんっ!」



 聞くだけで鳥肌が立ち、サフィアは自身の体を抱きしめる。「ふむふむ、なになに?」バルツェは興味深々といった様子でプシュケに耳を寄せ、やがて答えを導き出した。



「たまご」


「!」


「で、合ってる?」


「た、たしかに、卵料理、好きです……養鶏場で育ったので」


「ふーん、なるほど。よしプシュケ、卵取ってきて」


「ええ!? いや、ここって空の上なんでしょ!? そんな無茶な……」


「プケ!」



 サフィアは止めようとするが、プシュケはこくんと頷いて飛び立っていく。

 黒い毛玉は閉まっているはずのドアをすり抜け、部屋から出ていってしまった。



「えっ、本当に行っちゃったの!? だ、大丈夫かしら……あんなに小さいのに……」


「大丈夫大丈夫、アイツああ見えて頑丈なんで」


「……あの、ずっと気になっていたんですが、プシュケって何の生き物なんですか?」



 鳥でも獣でもない不思議な生き物。羽があるわけでもないのに空を飛ぶ──その正体がわからず、サフィアは尋ねた。するとバルツェはすぐに答える。



「プシュケ? あれは精霊石オレイアですよ」


「……え? 精霊石オレイア!? ま、待って、精霊石オレイアって動いたりするの!? じゃあ、あの子は精霊ってこと!?」


「まあ、正しくは精霊の幼体ってとこですね。成体になると言葉が話せるようになる。石になってんのはすでに寿命を終えた精霊で、化石みたいなもんです。人間の目に見えるのは、そうやって石になった精霊のみらしいですね」



 流暢に説明し、バルツェはサフィアに視線を移した。「あんたの胸の中で動いてんのも、つまるとこ精霊ですよ」そう続いた言葉に、サフィアは思わず左胸を押さえた。



「わ、私の体の中には、精霊がいるってこと……!?」


「簡単に言うとそうです。でも、オレイア・ルビーはただの精霊石じゃない。もっと特別な魔力を持つ宝石です」


「特別?」


「精霊王の力が宿っていると言われる石ですから。あんたが何百年も老いず、眠らされていた力の源はそれ。そして、オレイア・ルビーを得た者は、〝宝石王の力ラトナージュ〟と呼ばれる力を操り、万物を掌握できるらしい」



 バルツェは淡々と語り、「だからみんな、あんたを欲しがってる」と続けた。


 ラトナージュ……それは、サフィアでも聞き覚えのある単語だった。だが、サフィアの知るそれは決して良い意味ではない。

 彼女の過ごしていた時代では、〈オレイア・ルビーに触れた者に死をもたらす〉という、死神を暗示する言葉だったからだ。


「ラトナージュって……私が知る限り、そんなに良い力じゃないわよ……」


 神妙に告げると、バルツェはぽりぽりと頬を掻く。



「さあ。俺だって詳細は知りません」


「ねえ、もしその伝承が本当なら、オレイア・ルビーを持っている私が、その力を使えるってことなの?」


「まあ」


「でも、私、そんな力使えないわ。魔術だって使えないし……」


「そうですね」


「ってことは、やっぱり私は王女じゃないのよ! ほら、これで証明されたでしょう? ね?」


「あんたまだ目覚めたばっかだし、ラトナージュもまだ寝てんじゃない? 多分そのうち目覚めるでしょ。知らんけど」


「けっこう適当よね、あなた……」


「うん。内緒ね」



 しい、と再び自身の唇に指をあてがうバルツェ。

 少々適当でものぐさな性格らしいが、変に堅苦しいより幾分か気が楽ではある。

 なんとなく肩の力が抜けた頃、バルツェはサフィアの隣に腰を下ろした。



「それより、髪をセットしましょう、姫様。どんな髪がいいですか」


「え? ふ、普通でいいわ、別に」


「だめでしょ、あんた姫様なんだから可愛くしないと俺がボスに怒られます。色々かき集めてきたんですよ、リボンとか、カチューシャとか」


「ええ……似合うかしら……」



 そんなやり取りをしながら髪にクシを通されていると、先ほど出ていったプシュケが扉をすり抜けて戻ってきた。「お、もう戻ってきたのか」バルツェが感心したように目を見張った直後、プシュケはサフィアの肩にとまる。


 そして、ゴポッ、と異音を発し、自身の体より大きい卵を口から吐き出した。


 ずしぃっ。


 とんでもない重量の卵が腕の中に落とされる。

 プシュケ自体は手のひらほどの大きさしかないというのに、吐き出した卵は、鶏一羽の体よりも大きかった。



「ひぃっ!? な、何これっ!? ていうか今どこから出したの!?」


「お、天空竜の卵だ。姫様、これ食えます?」


「ししし知りません! 私が食べるのは鶏の卵です!」


「鶏ぐらいデカい卵だと勘違いしたのかな。うっかり屋だな、プシュケ」


「プケ?」



 首をかしげ、プシュケはサフィアに頬擦りをする。

 そんなプシュケが拾ってきた天空竜の卵は、のちに厨房係へと引き渡された。


 そしてその日の夜、巨大なオムレツが皿に乗せられ、サフィアの夕食として堂々と振舞われたのだったが──やはり、ソースは何もかかっていなかったという。

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