第3話 モンストロ魔術騎士団


 どくん。心臓が、微かに音を立てた。


 無意識に手が左胸へと伸びる。

 トク、トク、トク……。

 触れたそこは、確かに正常な鼓動を刻んでいた。



「──お、目を覚ました」



 微睡みの中から意識が覚醒し、サフィアは重たいまぶたを持ち上げる。

 目を開けたその時、いちばん最初に目が合ったのは、グレージュの髪と緑色の目をした青年。そして、その奥でマグカップを手に持つ眼鏡の男性だった。


「良かったね、バルツェ。解毒がうまくいったみたいだ。君の適切な判断と報告のおかげだよ」


 男性から呼びかけられた緑眼の青年──バルツェは小さく息をつき、「医長の治療が早かっただけだろ」とこぼす。

 医長は微笑み、術式を付与した虚空に半透明なパネルをいくつも展開させた。脈拍、血圧、意識レベル──ありとあらゆる情報が開示される。



「うんうん、経過は良好、顔色も健康的。もう毒は残っていないね、安心していいよ」


「ったく、あの程度の毒で倒れるなんて、人間ってのは虚弱だな」


「バルツェだって半分同族でしょ、半魔族デミなんだからさ」


「俺はここまでヤワじゃない」



 医長の揶揄を一蹴するバルツェ。やれやれと医長が肩をすくめた頃、サフィアはゆっくりとまばたいて二人を見つめた。


「……ここ、は……?」


 か細い問いかけには、医長が答える。



「王女様、おはようございます。ここは医務室ですよ。体調はどうでしょうか? あなたの体に入り込んだ毒は取り除きましたから、少しは楽になったかと思うのですが」


「毒……?」


「ええ。遺跡であなたの足首に絡みついた植物のトラップがあったでしょう? あれの樹液は人間の体には毒みたいでね。幸い報告が早かったので、後遺症が残る前に処置できました。バルツェのおかげです」


「……俺は、ここに王女を放り込んだだけだ。何もしてないよ」


「またまた、謙遜しちゃって」



 医長はくすくすと笑う。「さて、僕は王女が起きたことをボスに報告してくるよ」そう言い残し、彼は展開したパネルを閉じると医務室を出ていった。



「おい、患者を放っていくなよ。報告なら俺が」


「王女には騎士様ナイトがついてないとダメでしょ〜。よろしくバルツェ〜」


「……はあ」



 バルツェはため息混じりに目を細め、面倒そうにサフィアの元へ近寄る。

 一方で、サフィアはまだ夢うつつの狭間をさまよっていた。


 これは夢? それとも現実?


 はっきりしない感覚がふわふわと掴みどころもないままに思考を覆う中、ぎしり、ベッドを軋ませたバルツェがそこに腰かける。


「……どうも、王女様。お加減はいかがですか」


 覚えのある声で語りかけられ、サフィアの思考はようやく本来の動きを取り戻し始めた。

 そうだ、自分は、気がついたら廃墟の中で目を覚まして、変な生き物に襲われて……。



 ──ルビーの心臓を持つ王女。



「っ……!!」


 ゾッと背筋が凍りつき、思わず自身の体に視線を落とした。腕、足、胴体……くまなく目視で確認するが、どこも宝石には変化していない。だが、あの恐ろしい感覚は明確に覚えている。記憶もはっきり戻ってきた。


 精霊御子オーレリアに選ばれたこと。

 王城に招かれたこと。

 王女の前で、体がルビーに変貌し、最後には砕け散ったこと──。


「……っ、い、いや……な、何が、どうなって……」


 次に目を覚ましたら、知らない廃墟の中にいた。

 知らない生き物に襲われた。

 そして、今も、知らない場所にいる。



「嫌よ……! なんで、私、こんなことになったの……!? お父さんや、お母さんは……!」


「おい、大丈夫だから。落ち着け」


「ねえっ、ここどこ!? あなたたちも、また私に怖いことをするの!? い、嫌よ、もう嫌! 私をトロイメリアに帰して!」


「落ち着いて聞け、王女様。トロイメリアなんて国は──もうどこにもないんだよ」



 ひやり、冷たい手のひらが頬に添えられ、びくりとサフィアは肩を跳ねさせた。

 警戒するような瞳が畏怖をあらわにバルツェを見やる。しかしバルツェは気にする素振りもなく、「いいか、よく聞いてくれ」と混乱するサフィアに語りかけた。



「この世界は、あんたのいた世界とはもう違う。長い時を経て変わっちまったんだ。あんたは何百年も、ルビーの絵画の中で眠ってた」


「……何……どういう、こと? あの日、王城で私の体がルビーに変えられてから、もう、何百年も経ってる、ってこと?」


「そうだな。経緯はわかんねーけど、少なくともあんたは絵画の中で百年以上眠ってたってこと。そして、あんたが最初に目を覚ました場所──あの荒廃した遺跡こそ、元々トロイメリア城があった場所だよ」


「嘘……そんな、嘘よ……! あれが、トロイメリア……? そんな……っ、そんなわけない!!」


「混乱すんのもわかるが、一度落ち着け。大丈夫だから、俺の言う通りにして。ほら、深呼吸」



 恐怖心に駆られ、パニックになりながらも、サフィアはバルツェの言葉でいささか落ち着きを取り戻し、言われた通りに深呼吸する。

 吸って、吐いて、また吸い込んで。

 数回の深呼吸を繰り返し、やがて、彼女はようやく冷静に口を開いた。



「……ご、ごめんなさい……取り乱し、ました……」


「少しは落ち着いたか? 王女様」


「は、はい、すみません……あの、でも、状況が、まだ全然よく分からなくて……。それに、私、本当に……王女ではないんです……」


「はあ、またそれか? 記憶があやふやなのかもしれないけど、あんたは正真正銘の王女だって──あ、もしかして、王女って呼び方が嫌なわけ? じゃあ〝姫様〟」


「いえ、あの……。そ、そもそも、ここは一体どこ? 医務室って言いましたよね? いったいどこの……?」


「空の上だよ」



 バルツェは冷静に告げた。「空……?」サフィアはきょとんとしている。



「空って、あの、雲の上の? 空?」


「そうだよ。俺たちは、大陸中央部に本拠地を構える魔術騎士団〈モンストロ〉の空挺部隊。そしてここは、空挺基地〈アーク・バレーナ〉──通称〝海獣船かいじゅうせん〟の中だ」


「……くうていきち……?」


「簡単に言えば、空飛ぶアジトだよ。でかい鯨型の魔空挺の中にある街みたいなもん。三千人以上がここで暮らしてる」



 バルツェの言葉に黙って耳を傾けるも、サフィアはまるでおとぎ話でも聞かされているかのような心地になった。


 つまり、ここは空飛ぶ街の中だということだ。だが、人間が空を飛べるなんて有り得ない。少なくとも、サフィアの生まれた時代にそんなものはなかった。


「姫様は何百年も絵画の中で眠ってたんだし、実質タイムスリップしたようなもんだ。現状が整理できなくても仕方ない」


 バルツェは理解を示し、締め切られていたカーテンを開ける。チカチカと強い光が入り込んでサフィアは一瞬視界を狭めたが、カーテンの向こうに広がる光景を見て息を呑んだ。


 そこは、本当に空の上だったのだ。

 薄雲がすぐ近くに広がり、山の峰や街並みが遥か下方に転々と連なっている。


「ひやぁっ!?」


 このような高所から地上を見下ろした経験などついぞなく、サフィアは声を裏返して青ざめた。



「こっ、こ、怖いです! カーテン閉めてください!」


「あらら、姫様、高所恐怖症か? そりゃ困ったな、しばらく俺らと一緒に空の旅だぜ」


「ええっ!? お、落っこちたら、どうするんですか!?」


「安心しなよ、もし魔空挺アーク・バレーナが落とされても、俺が姫様抱えて飛んであげるし。こう見えて半魔族だから、俺」



 涼しい顔で言い切り、バルツェは背中に黒い六枚羽を広げた。「ひいっ!?」亡霊でも見たかのような表情で、サフィアはことさら狼狽える。


「人間ってみんな同じ反応するよな」


 呆れたように呟いて、バルツェは羽をしまい、サフィアの方へと身を乗り出した。



「ま、何にせよ、あんたは俺ら騎士団が待ち続けた待望の王女様だ。俺らはあんたを守るために結成され、何百年も厳重に守り続けてきた。……とは言え、正しくはあんたの絵を守ってきたわけだが」


「そ、そんなの、絶対に何かの間違いです! 確かに私、変な呪いで全身をルビーにされた覚えがありますけど、王女は私ではなく別の方でしたし……」


「だが、プシュケはあんたが王女だと言ってるぞ」



 言い切った直後、バルツェの服の袖口からは黒い毛むくじゃらの生き物──プシュケが飛び出してくる。プシュケは素早い動きでサフィアの周囲を飛び回り、肩に止まって頬擦りをした。



「わ!? く、くすぐったい……!」


「あんた、プシュケが見えてるんだろ? そいつは普通の人間の目じゃ見ることのできない生き物だ。プシュケの姿が見える時点で、あんたは精霊石オレイアとの関わりがある」


「そ、そうなの? じゃあ、もしかして本当に、私の心臓、ルビーになってるの……?」


「そいつは取り出してみねーと分かんねーけど、十中八九そうだろうな」



 何気ないバルツェの発言に、サフィアはゾッと身震いした。


「と、取り出すって、どういうこと」


 震える声で尋ねると、バルツェは答える。



「あんたは知らねーと思うが、この数百年、あんたの絵画を巡って数多の争いが起きた。〝王女の絵画はいずれ蘇る。その心臓は失われしオレイア・ルビーでできていて、万物を得られる力がある〟って伝承があってな。人間同士で絵画の奪い合いが起きたわけ。いくつかの国はそれで滅んだ」


「う、嘘……っ」


「人間は徐々に力を欲し、ついに魔族との契約を目論んだ。だが、人間は自らが呼び出した魔族に淘汰され、争いの火種となる絵画は魔族側が引き取ったんだ。──それ以降、人間は絵画を取り戻そうと、今度は魔族に争いを仕掛けてきてる」



 淡々と語られる恐ろしい話に、サフィアは戦慄するばかり。そしてバルツェはさらに恐ろしい事実を告げる。


「あんたの心臓は今、世界中から狙われている」


 どくり、大きく胸が跳ねた。

 たった今、こうして脈打った心臓が、世界中に狙われていると言うのだからあまりに現実味がない。


 しかし、バルツェは真剣な顔で続ける。



「事実、ここ数ヶ月、あんたの絵画は人間に盗まれて行方不明だった。だから俺たちはずっとあんたの絵画を探していたんだ。そんで、朽ちた遺跡の中でようやく俺があんたを見つけ出した。そしたらなぜか封印が解かれてて、あんたの実体が蘇ってたってわけだ」


「……私、本当にずっと、絵画の中で眠っていたの? 数百年も……?」


「そうだよ。そしてその数百年の間に、人間と魔族の対立は深まり、文明も〝科学〟と〝魔術〟のふたつに分かれた。今じゃ人間側の科学技術が著しく成長し、魔族側は劣勢になりつつある」


「そ、それって、私……っ、私が……っ」



 どく、どく。

 騒ぎ始めた胸を押さえ、サフィアは声を絞り出す。



「私が、世界を、変えてしまった、って、こと……?」



 泣き出しそうにすらなりながら問いかけて、返答を待った。バルツェはしばらく何も言わなかったが、ややあって「まあ、あんたの心臓がきっかけなのは間違いない」と顎を引く。


 にわかには信じがたい話だ。

 サフィアの記憶の限りでは、つい昨晩まで、ごく普通の町娘だったのだから。

 養鶏場の娘として生まれ、年老いた両親と三人で、平穏に暮らしていた。良家のお坊ちゃんとの婚約まで決まったところだった。これで親を安心させられるのだと、親孝行ができるだろうと、そう思っていたのに。


 今、そばには誰もいない。

 残酷に時が流れてしまった。

 自分は王女なんかじゃない。

 悪夢なら早く目覚めてほしい。


「こんなの、あんまりよ……」


 絶望感が押し寄せて、堪えきれなかった涙があふれる。その涙は赤い粒子となり、さらさらとサフィアの手の甲に降り積もった。その光景があまりに不気味で、ことさら悲しみが膨らんでいく。


 ああ、自分は、もう人間ですらなくなっている。



「うっ、ぐすっ……」


「泣くな、姫様。封印が解けたばかりだ。体内のルビーを外に出しすぎると、どんな影響があるかわからない」


「ご、ごめん、なさ……」


「大丈夫。何も心配するな。──俺があんたを守るから」



 優しい声が降ってきて、サフィアは涙でぼやける目でゆっくりとまばたく。その視界に映ったバルツェは相変わらずポーカーフェイスだったが、まっすぐとサフィアを見て言い放った。



「あんたの封印が解けたことは、この船内でもごく一部の乗組員しか知らない。しばらくは大丈夫だ。もし船外に秘密が漏れても、俺が必ず守る」


「……もし、私の封印が解けたってことがバレたら、どうなるの……?」


「さあな。だが、人間は強欲だ。捕まっちまえば心臓をえぐり取られる可能性も否定できない」


「そ、そんな……! 私、これからずっと、命を狙われて生きていくってこと……!?」


「まあ、そうなるが……でも大丈夫だって。俺強いし」



 さも当然とばかりにのたまい、バルツェはサフィアの手を取った。びくっと肩が震えるが、バルツェはベッドから立ち上がると床に膝をつき、サフィアの手の甲に口付けを落とす。



「親愛なる姫様。俺たちはあんたの騎士です。あんたを守る──俺たちは、ただそれだけのために生きてきた」


「……っ」


「だから、何かあれば俺を呼んでくれ。すぐ駆けつける。不安に思わなくていい」


「──我々も同感です、王女様」



 熱のこもる宣言のあと、医務室には医長と、背広を着た金髪の男が入ってくる。


「モンストロ魔術騎士団の所属団員一同、この命にかえてでも、王女様をお守りする覚悟でございます」


 そう告げた先頭の男に、バルツェは「ボス!」と呼びかけた。彼は丁寧に頭を下げる。



「申し遅れました。私はモンストロ騎士団の総括を担う騎士団長──ミスト。そして今後、あなた様の近衛騎士を務めさせていただきますのが、そこのバルツェです」


「騎士団長……近衛騎士……?」


「騎士団という組織の性質上、男士ばかりでいささか心もとないかもしれませんが、あなたに危害を加える者はおりません。バルツェを始め、我々騎士団に何なりとお申し付けくださいませ」



 医長と騎士団長、そして近衛騎士。

 彼らはそれぞれ床に膝をつき、サフィアに向かって頭を下げる。

 サフィアは困惑した。ただの一般庶民である自分には、こうして畏まられる権利などないというのに。


(わ、私、本当に、ただの一般庶民なのよ……!)


 しかし、何度説明したところで信じてくれそうにない。

 律儀に忠誠を誓う騎士団の圧に狼狽えつつ、王女モドキとなってしまったサフィアは涙目で尻込みし、「わ、わかり、ました……」と頷くのだった。


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