7月26日 後半
店員が料理を置いて戻っていく。見えなくなったことを確認し、アカリと二人そっとパンを捲る。レタス、ベーコン、トマト、卵……。変なものは入ってない、はずだ。
行儀が悪いことも失礼なことも承知だが、あのメニュー表を見た後ではどうしても警戒する。
「い、いただきます」
「いただきます」
おっかなびっくり食べるが普通に美味しくて、心の中で店員に謝る。一緒に注文していたコーヒーも変なところは何もない。
「美味しい」
「ね!」
「そうだ、午後はどうする?」
「スイは行きたいとこない?さっきまで私が引っ張っちゃってたし」
「ん、なら
「どこそこ」
「少し奥にある本屋。俺も好きでよく行くんだ」
「え」
「露骨に嫌そうな顔するなよ」
「んー、まあそだね。じゃ行ってみよっかな」
そうは言うものの未だ不本意そうだ。これまでの付き合いで分かる、アカリは
アカリに教えてもらったゲーム、ロールファンタジーの話をしながらゆっくりと昼食をとる。あれから何だかんだ遊んでいて、たまにアカリとも遊んでいる。
食事を終え店を出るまでの間、ここが混雑することはなく空席が目立っていた。この店の経営状況が心配になる。
午後はいつもと違い俺が引っ張る形で(当然、アカリと違って物理的に引っ張ったわけじゃないが)五仙堂へ来た。
古ぼけた木造二階建ての建物で、一階部分が書店となっている。出入り口の側にあるカウンターでは、いつも通り店員が本を読んでいた。
「うぅ、やっぱり」
アカリを連れて店の奥に行く。着いた場所は黒っぽい背表紙が多い場所で、怪談やUMAなどの文字が目立つ。
「アカリはこういうの苦手なんだったか」
「別に苦手とかじゃないけど。ただあんまり見ないってだけだし」
「そっか、じゃあ試しにどれか読んでみたらどうだ?」
「あ、いや、うあ、うん」
とりあえず、前回来た時と違う本が無いかをチェック。買いたい本を決めてから来るのもいいが、これもまた楽しい。
一通り見て、今日は『世界の呪いと黒魔術ベスト』を買うことにした。価格は1600円。今日の出費はこれで幾らになったのか、そんなことを考えてはいけない。
「あれ、アカリ?」
「うえっ!ど、どしたの」
「あいや、なんか顔色悪いような」
「全然!んで、ここって他にどんな本置いてんの?」
「え、ああ。じゃあ見てみるか」
アカリと連れ立って店内をぶらつく。店の外観からは分かりづらいが、奥行きがあり本棚もたくさんある。ジャンルも様々で、オカルト、民俗学、法律、経済、地理、歴史、学習参考書、図鑑……。
「ね、漫画って無いの?」
「漫画ってコーナーは無いみたいだな」
「攻略本は?」
「ん?無いんじゃないか?」
「ラノベは?イラスト集とか資料集とか」
「えっと、ゲームとかのなら、多分ほぼ無いな」
「そんな本屋ある?」
「あるだろ」
残りのコーナーも見てみたが、やはり漫画なんかのコーナーは無く、最後に辿り着いたのは料理のコーナーだった。
「ああ、これなら私も」
そういえば以前大量のサンドイッチを作ってきたことがあったな。アカリは料理が好きなのだろう。
せっかくだから俺も何か読んでみようと本棚に目線を走らせると、一冊の本が目についた。
『簡単料理 門までの道』
本当に料理の初心者向けの本だ。中を見てみると作りたい料理を決めようとか、手を洗おうとか書いていた。需要はあるのだろうか。
その後は調理器具や調理法、主な食材や調味料の説明が書いてあった。なるほどこれはなかなか、とペラペラ捲っていくと、本が終わってしまった。どうやらレシピは載っていないらしい。
まあ悪い本ではないなと元の場所に戻しアカリの方を見ると、本を一冊手に持っていた。
「それ、買うのか?」
「ん!」
気に入った本があったみたいで良かった。
レジに持っていくと、本を読んでいた店員が無言で顔を上げ、対応を始めた。俺とアカリの会計をする間、眉ひとつ動かさず、二人の会計が終わるとまた本を読み始めた。
「なんか喋んない人だったねー」
店を出てからアカリが口を開いた。
「ああ、あの人いつもあんな感じだからな」
「へー、いつもそうなんだ。ふーん」
どうしたんだろう、言葉が棒読みだ。
「でー、次はどこ行くんですかー?」
「次か、そうだな。確かこの辺にゲームの店が」
「あ、知ってる!行こ行こ!」
アカリの態度が急変し、左手を引っ張られる。
程なくしてたどり着いたが店の前でアカリが立ち止まる。おかげでバランスを崩したが転ぶような無様は晒さずに済んだ。
「急に止まったら危ないじゃないか」
「あ、ごめん。あや、その、ほら」
アカリがクイっと顎で指した店の壁はガラス張りになっており、中の様子が見える。どうやら客が持ち寄ったゲームを遊べるスペースとなっているらしく、何人かが
「そっか」
うちの学校の制服だ。夏休みだってのにわざわざ制服着て集まっている。
「どうする?」
「ん、ううん」
「……それならぇっ!」
再びアカリは俺の手を引く。血相変えて建物の間、薄暗い路地裏へと連れ込まれた。
「急になん……むぐぅ」
手でこちらの口を塞ぎ、俺たちが先ほどまでいた場所を睨んでいる。いや、怯えているのかもしれない。まさかアカリには何か見えているのか?
と思ったが当然そんなことはなく、ゲーム屋の向かいの建物から人が数人出てきた。これまた全員うちの高校の制服を着ている。
賑やかしい彼女らはこちらに気づく様子もなく向こうへ歩き去った。
「ふぅ……」
「むぐ」
「うああ、ごめん!」
ようやく満足に息が吸える。呼吸を二、三して考えるのは今のことをアカリに聞くべきかということ。
「ああ、ちゃんと説明すんね」
沈黙が長かったからか、向こうから話してくれるらしい。逡巡の後、彼女はゆっくりと話し始めた。
「あれね、私の友達。声で分かった。幼馴染だから」
「今は、会えないのか?」
「えへ、もう会えない。あそこ、何か分かる?」
比較的新しい建物で、看板がいくつか壁に貼り付けられている。パッと見ただけで何の建物か分かった。
「あそこね、進学塾。もうみんな受験のこと考えて頑張ってんの」
その言葉で会えないと言った意味が伝わった。
「それなのに」
「いいんじゃないか?」
「え?」
相手の話を遮ってはならない、以前読んだ本にそう書いてあった。その通りにしないのは、頭より先に口が動いてしまったからだ。
「なんて言うか、俺はアカリの他に友達いないし、休学してるわけじゃないからちゃんと分かってないかもしれないけどさ。ちょっとくらい周りと遅れたっていいんじゃないか?」
「でも」
「今会うのは難しいけどさ、いつかまた会えるようになると思う。ちょっと寄り道しただけだろ?」
「みんな頑張ってるのに私だけ遅れてて」
「俺は……あー、その」
恥ずかしい、恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
「俺は、その、横にいるから。と、友達なれて嬉しかったし、今楽しいし。だからその……」
「ふふっ」
「え?」
「ごめん、なんかさ、元気出た。ありがとっ」
「ああ、なら良かった」
二人揃って顔を伏せる。暗がりの中でも分かるくらいにお互いの顔は真っ赤で。心臓が落ち着いて顔から熱が引くまで、そこでただ立っていた。
「今日は、帰ろっか」
「そうだな」
声が少し震えていたのは気にしないでおこう。陽の下に出たら徐々にいつもの調子に戻っていく。
さっきまでのことが無かったかのように他愛もない話をしていると、あっという間にアカリの家に着いた。
「あれ、もう着いちゃった」
「じゃあ、今日はこれで」
「あ、ちょっと待って」
手を振り帰ろうとしたところを呼び止められる。傍まで来たアカリはいつもとは違う囁くような声で告げた。
「ありがと」
何か返事をと考える前に、彼女は玄関に駆けて行った。
「じゃ、またね!」
「……ああ」
手を振り合って、帰途につく。
何となく足が早くなるのも、口角が上がるのも、耳が熱いのも、心地がいいとそう思った。
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