6月7日
社務所奥の部屋。ここに来たのは久しぶりだ。薄暗い室内は、それでも俺を歓迎しているように感じられる。
部屋に入った俺の目の前には、後ろ向きで立つアカリがいる。
「タオル、持ってきたぞ」
「ああうん。ありがと」
ゆっくりとこちらを振り向いた彼女は目を伏せたままタオルを受け取った。彼女の手にはもう一つ、いつもの翁の面がある。
沈黙。
タオルを受け取ったまま固まったアカリは何も喋らず、俺も振るべき話題が分からない。
しかしこの気まずい空気には耐えられそうにない。まいったな、俺は会話が下手なのだが。
「えー、うぅん、あー……好きな食べ物」
「ぷっ」
「え?」
「あっははははは!」
アカリは突然吹き出し、大笑いを始めた。何がおかしかったのだろう、大丈夫だろうか。
「す、好きな食べ物!あは、あははは!」
笑われているのは、俺か?おかしい、好きな食べ物を聞くのは定番の会話のはず。
「はぁ、はぁ、あっはは!小学生みたい!」
「なっ!」
アカリは笑いすぎて目に涙まで浮かべている。これまで会話を避けてきた俺のトークスキルは小学生レベルだったらしい。さっきまでの沈黙よりは余程いいが、恥ずかしい。会話の本も読んでみるべきだな。
しかし彼女の顔を、いや笑っている顔を初めてみたが、なんだろう、うまく言えないが良いと思った。……これでは小学生レベルと思われても仕方がないな。
「はーっ、なんか元気なっちゃった!」
「複雑だな」
ひとしきり笑い終えて落ち着いたアカリがいつもの場所に座るよう促してきた。お菓子も飲み物もなかったが、またここに座れるのが少しだけ嬉しい。
「好きな食べ物だっけ?」
「それはもういい!話したいことがあるんだろ」
ああ、恥ずかしい。
「ん、あうん」
曖昧な返答ののち、数秒目をキョロキョロさせた。
「あのさ、こないだ急に帰っちゃってごめんね。あと怒鳴ったりしちゃったのとか」
「それなら俺も。配慮が足りなかった」
「そんなのいいの!配慮とかない方が嬉しいし!」
彼女の顔がほんのり赤らむ。
「
ちょっと?
「おんなじ失敗しちゃって。前の日に頑張って準備したのにダメにしちゃってさ。それでなんかワーってなっちゃって。しかもお面取れちゃったし」
「そのお面、なんなんだ?」
「ああこれ?」
アカリがお面を持ち上げる。特に変わったところはない、木製の
「これね、おじいちゃんとおばあちゃんが作ってくれたんだ!
「そっか。大事なものなんだな」
「うん!」
俺と会う時、いつもそのお守りを付けていた。もしかしてアカリは俺が怖かったのか?
彼女の笑顔を見て、これまでの行動を考えて、それは無いなと確信できた。彼女は俺と同じで人付き合いが上手くないのだろう。
「ところで、そのお面ってこの神社に」
「あは、関係ないって。スイなら絶対聞くと思ってた」
この神社はアカリの家で管理している。だから祖父母の作ったお面はこの神社の神様を模して作られたと思ったのだが。
「そ言えばさ、テストどーだった?赤点なかった?」
「ああ、なんとか」
アカリに教えてもらった(と言っても少しだけだが)数学Aは58点、数学Iは44点だった。苦手教科の数学で赤点を回避できて良かった。
「へー、良かったじゃん。この調子なら来月の期末もいけんじゃない?また私が勉強みてあげんね」
「む。……それじゃあ、頼む」
「えっへへ。おっけーおっけー!任しといて!」
調子に乗りやすいのは相変わらずだ。
しかしアカリは咳払いをして急に真面目な顔になる。
「あのですね、来週の月曜日は雨みたいなんですよ」
「はあ」
来週の天気なんて変わってもおかしくない。しかしそうだな、雨となるとここに来るまでに濡れてしまうだろう。
「それでですね、うちはね、あのさ」
アカリが頬を赤らめている。なかなか次の言葉が出てこないのだが、こちらから聞き返した方がいいだろうか。いやしかし。
ああだこうだと、うだうだ考えていたが、先に話し始めたのはアカリだった。
「
言い切ると、そのまま横を向いてしまった。
放課後、友人の家に遊びに行く誰かを羨ましく思うことは今まで何度もあった。まさか自分がその立場になれるなんて。
「分かった。来週な」
「本当に!?じゃ、学校終わったらすぐ来てね!」
「んあっ、ああ」
表情がパアッと明るくなった。コロコロと表情が変わって、それが分かる。当たり前のことかもしれないが、それが新鮮だ。
「うーん、そっかそっか、そんじゃ来週こそゲーム布教できるってことね!」
ゲームの布教、そういえばそんな話をしてたな。同じ趣味の仲間が欲しいのだろうか。
同志と語ることの喜び、俺にはなんとなく分かる。もっとも、ネット上でしか経験がないが。
「ゲーム、予習しといた方がいいか?」
「んーん、全然いらない!
やる気は十分らしい。しかしそうなると心配事も出てくる。
またドジって凹んだりしないだろうか。
こちらの考えを悟ったようでアカリは両手をこちらに
「むむ、あなたは今失礼なことを考えていますね。ズバリ私がまた失敗すると!」
正解だ。言葉にするか迷っていたが、当てられてしまっては白状するしかない。
「まあ、ちょっとだけ」
「ふふん!パーフェクトな私を見せつけてやっからね!首を洗って待ってるがいい!」
得意げに胸を張っているが、俺は来週何をされてしまうのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます