第2話 お姉さんとお姉ちゃん


「翔太郎くん!」


 日課の散歩から戻り、薪を括った縄を解いているところへ、加奈美ちゃんが遊びの催促をしに駆けてきた。

「ミナお姉ちゃんのとこ遊びに行こう?」

「お昼までだから、あまり遊べないよ」


 実苗みなえお姉ちゃんの家はここからさほど遠くはない。

 民家の疎らなこの村では隣近所との間隔がやたらに広いが、幸いなことに徒歩ニ〇分程行った辺りの区画にお姉ちゃんの家はある。


 僕以外に歳の近い子供がいないこともあり、加奈美ちゃんはよく実苗お姉ちゃんに懐いている。

 町の高校まで通うお姉ちゃんは、年頃の女の子らしく流行や恋愛事にも敏感で、良くも悪くも時代に取り残された村の雰囲気とは違う。


 だから好奇心旺盛な加奈美ちゃんにとって、お姉ちゃんは村の外を知る唯一の情報源であり、先輩であり、物差しである。

 女の子として学ぶべき大切なことをお姉ちゃんとの遊びを通して学ぶ。

 成長する術を自然と心得ているのだろう。


 目的の区画に近付くと、民家の間から不快なエンジン音が伝わってきた。


 先まで僕の手を引き急かした加奈美ちゃんの身体が明らかにこわばる。

 お姉ちゃんの家が見える頃には、僕より少し背のある華奢な身体を半分だけ僕の身に隠した。


「あっ、しょーたろーくーん!」


 ちょうど停車したバイクから二人が降りる。

 僕に気づいた実苗お姉ちゃんが大きく手を振ってきた。


 夏仕様の薄いブラウスに丈の短いスカート、学生鞄を背負ったミナお姉ちゃん。


 以前よりも更に短くなったスカートからは、すらっと伸びた長い足が目を引く。

 真っ白な肌が黒のハイソックスに際立って見える。


「なに、あのガキ。知り合い?」

「うん。翔太郎くん。可愛いでしょ」

 男はこちらを睨み付けるように一瞥し乱暴に玄関扉を引っ手繰たくると、さも当然のように中へと消えて行った。


「またね」


 あの男と同じ髪色、同じアクセサリー。

 脱色された短い髪をかき上げれば、余計な穴の空いた耳が覗く。


「おねえちゃ……」

 お姉ちゃんはぎこちなく笑って男の後を追った。

 呼び止めようとした加奈美ちゃんのか細い腕が力なく垂れる。


 それから僕らは二人して、じっと扉の前で立ち尽くした。



 実苗お姉ちゃんの両親はほとんどここには帰らない。

 別居同然の父母はそれぞれ村から離れたどこかの町で新たな家庭を持っているらしい。


 時折、何かの気紛れで戻ってくる父親が養育費を片手にお姉ちゃんを慰み者にする。

 頼る者すら選んでいられなかったお姉ちゃんは、よりにもよってあの男にすがってしまった。


 心身共にボロボロになったお姉ちゃん。


 会う度に増えていくためらい傷。


 守る者のいない家はさぞかし入りやすかろう。

 今頃あの長く美しい脚部は大きく開かれ、未だ僕の知らない薄い茂みの先は乱暴に突き回されているのだろう。


 男の腰の動きに合わせて力なく揺さぶられる細くしなやかなそれらのことを思うだけで、僕は気が狂いそうになる。


 いとも簡単に僕の精通を促したミナお姉ちゃんの綺麗な足。


 たとえそれすらお姉ちゃんの気紛れだったとしても、僕にとっては大事な思い出だ。


 度重なる父親からの暴行。

 散々もてあそんだ挙句に告げられる別れ話。

 男というものに支配され、傷付けられてきた怒りや悲しみが限界に達していたに違いない。


 僕はお姉ちゃんの自尊心を保つためのオモチャだ。


 いくら小さくとも男であることに変わりはない。

 その象徴とも言える物を自身の意のままにできたとしたら、どんなに救われただろう。


 故に智を引く手でもなく、ましてや女性のそれでもない、雑輩ざっぱいを踏みにじる足を使う。


 当時、まだ皮の張り付いた敏感な一物を足裏で擦られる感覚。


 指先、甲、土踏まず、踵。


 ハイソックスのサラサラした感触と温もり。

 スカートから覗く淡い水色の下着が、何かいけないことをしている自覚を芽生えさせた。


 両足で挟めば、恥丘の艶めかしい曲線と健康的な鼠蹊そけい部が上下する動きに合わせて形を変え、僕の視線を奪った。


 情けなく息を荒げ、与えられる刺激に夢中になる僕を見詰め、うっとりと微笑むお姉ちゃん。

 痛がる先端を避けて、反応の良い裏側を何度も擦ってくれた。


 初めての感覚が襲ったのは二回目の情事でのことだ。


 お姉ちゃんに会えばほぼ確実に訪れるであろう二度目への期待と、もう一度あの淫靡な像を脳裏に焼き付けたい、有り余る刺激に身を投じたいという願望が僕の全身を支配していた。


 甘い匂いのする部屋の、お姉ちゃんのベッドに押し倒される前から、僕の一物は痛いほどに張り詰めていた。


 まだ黒く艶のあった髪をかき上げ、不敵な笑みで僕を覆った。


 リップに濡れた綺麗な口元が僕の物に近付くにつれて、頭に響く鼓動が爆発しそうになった。


 温かな唾液が長い舌から垂れ落ち、快楽を待ち侘びた先端を満遍なく包み込んだ。

 ひんやりした細い指が雁首をしっかり捉え、ゆっくりと圧が掛けられていく。

 未だ知らない外気に晒された皮膜がひりひりと痛んだ。


 唐突に眼前に晒された恥部には薄く柔らかな陰毛が僕の吐息に揺れた。


 横にずらしたショーツも相まって僕の興奮はすでに限界を超えていた。


 慎ましい丘と疎らな茂みが怒張した穂先を三度擦った。

 しかし先への欲求に自然と持ち上がる腰が片脚に抑えられる。


 間髪入れずに両の裏側が竿を掴み、容赦なく擦り上げた。


 今だから分かる。

 部屋を響かせたぬめりを帯びた音々は、お姉ちゃんが分泌したものばかりではなかった。

 快楽の閾値を裕に超えた僕の物が、過剰な反応に耐えきれず上澄みを吐き出したのだ。


 波打つ上下動に合わせて独特なリズムで発せられる水音と、振動によって漏れ出すお姉ちゃんの呼吸と短い声音。


 辺りに漂う甘い香り。


 靴下の感触とお姉ちゃんの温もり。


 中足部の端が開かれたばかりの皮膜のくびれを刺激する度、耐え難い快感に全身が跳ねた。


 片側の狙いがくびれを外れ、その勢いのままに鈴口を擦った時、強い耳鳴りと共に僕の視界は真っ白に染まった。


 ただの快感だけが背から腰、先端を駆け抜け、迸る精に伴って下腹部が天へと連れられる。

 中空に屹立した一物が行き場を求めて幾度も天を突き、刹那の停滞を繰り返し、やがて地に落ちた。


 靴下を這い上がったおびただしい量の精を愛おしそうに見つめるお姉ちゃん。


 いつも僕を優しく招く手と、微笑みながらその名を口にする愛らしい口元。

 それらが一遍に僕から溢れ出たものをすくい、濡れた。


 あの時の恍惚としたお姉ちゃんの顔がいつまでも僕の脳裏に焼き付いて離さない。



 図らずも、僕にその機会を与えてくれたあの男には感謝しなければならない。

 失恋の淵に追い込み、お姉ちゃんを弄んだあの男に、だ。


 奴がそうしてくれたお陰でお姉ちゃんは僕に頼り、僕は生きるよろこびを知った。


 本当にありがとう。


 あろうことかお姉ちゃんの隙をつき、遊びに来た穢れない加奈美ちゃんを襲おうとしたクズ野郎。

 いつか報いは受けさせる。


「僕、律子りつこさんのとこに行くよ」

「……あ、うん。お母さんに言っとくね」


 加奈美ちゃんはミナお姉ちゃんと遊ぶという当初の目的を果たせず、かと言って僕に付いて行く道も断たれ、やむ無く家に引き返すことにしたらしい。

 僕の行動に興味がないからではない。

 この村の人々は皆、村外れの屋敷やその住人、つまり律子さんたちのことを敬遠する節がある。


 ただ嫌っているというわけでもなく、どことなく触れないようにしているといった具合だ。

 森の中に浮世離れした雰囲気のある洋館と、不自然なほどに情報もなく、噂も立たない住人にどう接して良いかと考えあぐねているのだ。


 考えても考えても出るわけのない答えを考えて、結局放置した末の疎遠。


 律子お姉さんとの交流のある僕にしてみれば、それは実に勿体ないことだと思う。

 あんなにも魅力的な人は滅多にいるものではない。

 容姿もさることながら、その生き方や考え方、話し方や仕草に至るまで。もちろん女性としても。


 お陰で独り占めできる僕はなんて幸せ者だろう。


 村の中でも比較的民家の集まった区画を抜け、森に続く道へとれる。

 しばらく行くと古びた鉄扉が開かれていて、先には曙杉の並木道が続いている。


 周辺の雑木林から鉄扉を境にして唐突に現れる背の高い木々の列。

 奥に見える二階建ての洋館がまるでドールハウスのようだ。


 庭先を目前にして、洋館の方から向かってくる者がある。

 黒い立襟の祭服に銀の十字を身につけた男。

 日本人離れした高さから僕に向かって軽く頭を垂れ、庭の隅に置かれた白い車に乗ってすぐに去った。


「やあ、翔太郎くん。待ってたよ」


 バルコニーからお姉さんの声が降ってくる。

 ちょうど昇った陽と重なるお姉さんの姿を捉えようと、手で頭上を覆い目を細めて見る。


 麦色のキャペリンハットに涼しげな白のワンピース。横に流した長い髪が森の風に揺れる。


「お嬢様! いけません!」

 手すりから身を乗り出したお姉さんを、先の神父を見送りに出ていたお手伝いの里見さとみさんがたしなめる。


「早く上がっておいで」

 今日の律子さんはいつになくはしゃいでいる。

 尚も手を振る姿を見兼ね急いで中に戻る里見さんに向けて、軽く舌を出して笑っていた。


 正面すぐの階段を昇り、突き当たりにあるお姉さんの部屋を目指す。


 外の強い陽によって洋館内の影は濃く、開け放たれた廊下の窓からは時折風が吹き抜ける。

 すれ違うかと思われた里見さんには会うことなく、難なくお姉さんの部屋の前に辿り着いた。


「いらっしゃい」


 扉を開いた途端、一気に冷気が溢れ出し剥き出た肌を凍えさせた。


 お姉さんはベッドに腰掛け片手で隣に座るよう促す。


「律子さんは神様を信じてるの?」

「いいや、全然」


 甘く芳しい匂いに背後から包まれる。

 僕の胸に、ももに、お姉さんの冷たい手が滑り込んだ。


「そんなものがいるとしたら、きっとどうしようもないサディストなんだろうね」

「さでぃ……」

「物凄い乱暴者ってことだよ」


 笑った吐息が首元をくすぐる。


 お姉さんの口からそんな言葉が出てくるなんて意外だった。

 もしかすると僕が思っている以上にお姉さんは悪戯好きのお嬢様なのかもしれない。


「ああ……君は温かいな」


 身体を撫でる手が僕を強く引き寄せる。

 柔らかな胸から、背中をお姉さんの鼓動が伝ってくる。


 やっぱりお姉さんも寒かったのだ。


「人ってなんだろうね。感情なんて無ければもっと楽になれたのに」


 僕らの周りを一匹の蚊が飛んでいる。

 狙いを定めたお姉さんの両手が空を切り、上に逃れたそれを僕が捉えた。


「ははっ。格好つかないな」

 どちらとも分からない血がそのむくろと共に僕の手に伸びる。

 お姉さんはそれをハンカチで丁寧にぬぐってくれた。


「一生だったら人も蚊も何も変わらない。意味もないはずなのにね」

「でも、僕は律子さんが大好きだよ。一緒にいたい」


 肩にうずめた顔を上げ、はっと息を呑むのが分かった。


「……そうだね。うん。意味なんて勝手に見つければいい。無くたっていいじゃないか!」


 不意に横になるお姉さんに従って、僕は抱かれたまま寄り添う。

 額を合わせてじっと催促するお姉さんの唇を何度もついばむ。


 それからぴったりと口を合わせ、お互いに舌を擦り続けた。

 粘膜同士が這い回る毎に頭が痺れ、身体は硬直し、より強くより長く快楽を貪ろうと唇や舌に力が籠る。


 衣服越しに怒張した先端をお姉さんの下腹部に擦り付ける。

 長い口付けに蕩ける意識の中、射精感の込み上げた一物が柔らかな場所、お姉さんの大切な器官を圧迫する度に興奮で頭が沸騰しそうになる。


 胎内とその温もりのことを思うだけで果ててしまいそうだった。


「しよっか」


 朦朧とした視界に、いつの間にか唇を離したお姉さんが頬を紅潮させ僕を待っている。


 その腰に腕を伸ばしかけた途端、部屋中にけたたましいノック音が響き渡った。


『――お嬢様。お茶をお持ちいたしました』


「……はあ。本当に間が悪いね。分かってやってるんだ」

 不服そうに口を尖らせたお姉さんは、のぼせ切った僕を優しく抱き起こした。


 長い髪とシワになったワンピースを軽く整え終えたと見て、里見さんがワゴンを押して部屋に入ってきた。

「今日はなに?」

「水羊羹でございます」


 お姉さんの柔らかな頬が僕の肩に乗る。

 慣れた手つきで急須に湯を注ぐ里見さんの姿、お茶菓子がテーブルに並ぶのを二人して呆然と眺める。


「夕方からは先生が問診にいらっしゃいます。あまりご無理はなさらないでください」

「……それが何になる」

「何か?」

 注ぎ終えた急須をやや乱暴な動作でワゴンに載せた里見さんは、笑顔を貼り付けたままじっとお姉さんを見据える。


「あー……餡子は体にいいからね。さあ、早いうちに頂こうじゃないか」

 僕の背をそっと押し、自らもテーブルに着いたお姉さんは行儀良く手を膝に置いた。


 満足そうに頷いた里見さんはベッドに置かれた空調のリモコンをいくつか操作し、何事もなかったかのようにそっと部屋を後にした。


「……はあ。息が詰まる」

「律子さんが大切なんだよ」

 どうだか、と言いつつ皿を片手に黒文字で羊羹をつついた。


「どうせだったら生クリームをお腹いっぱいに食べたかった」

「水羊羹も美味しいよ」

「君は私の味方だろう?」


 次第に適温になっていく部屋で、僕とお姉さんは冷たい羊羹と温かいお茶を啜りながら談笑を楽しんだ。


「お祭りには行けるの?」

 初めて律子さんと出会ってから三年。

 三度目になる誘いを欠かすことなく入れる。


「約束はできない。けど、行きたいのは本当だよ」

「じゃあ、迎えに来るから」

「君も懲りない男だなあ。私なんかを誘ってどうするんだか」


 内二回はお祭り当日の体調不良と、親族との付き合いが理由で本人と里見さんから断られてきた。

 それでも律子さんを誘うのは、僕がお姉さんといたいから。それだけの単純な理由だ。


「絶対に来るから。準備して待ってて」

「……敵わないな。分かったよ」

 お姉さんは椅子に座った僕を抱き寄せ、綺麗な形の膨らみを僕の顔に強く押し付けた。


「ありがとう。忘れないでいてくれて」


 温かな響きが蟀谷こめかみを伝ってくる。


 この慎ましい振動が、お姉さんの綺麗な身体を支えている。

 僕が愛して止まないお姉さんの、美しくささやかな生命の鼓動だ。


「失礼いたします」

 再度響き渡るノックにより、僕らの身は自然とあるべき距離をとる。


「そうだ。今日はこのまま泊まってくといい」

「いけません! お坊ちゃんにも都合というものがあるのです」

「あるのかい?」

「うん。美咲さんの家に泊まる約束をしてるんだ」


 言葉とは裏腹に先の期待に膨らんだ股間を抑える。


 実の所、明確な約束など存在しないが、お姉さんとの良好な関係を続けるためにはここで譲歩しておく必要があった。


「いつでも遊びにおいで」

 寂しそうにそっと手を振るお姉さんの姿に後ろ髪が引かれる。


 急かされるように扉を開き、部屋をまたいだ。



 閉まる直前にふと見えたお姉さんが、一瞬だけどこか別の人のように映った。



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