第9話 ショートカット

 髪を切った。肩口までばっさりと。ここまで短くしたのは、物心ついてからはじめてだった。

 美容院を出て、近くのカフェベローチェに入る。ピーナツバターサンドとコーヒーを買い、二階の椅子に座る。カウンターは窓に面していた。外は薄曇りで暗く、予報通り、今にも雨が降りそうだ。

 ノートを開き、『ショートヘアにする』に達成を表すチェックをいれた。窓ガラスに映る姿は見慣れないが、少し若返った気がする。

 ずっと長い髪を維持していたのは、髪を切ったねと言われるのが煩わしいだろうと思っていたからだ。もう誰もそういうことを言う人はいない。

 しかし、何か物足りない思いもある。思い切ったイメチェンも、前後を見比べてくれる人がいないと、大したイベントにならないようだ。

 おしゃれは自分のためにするものだ、とおしゃれな人は言うが、特に着たい服のないきよらにとっては、身だしなみは他人との関わりの中にある。

 仕事をしていた時は人間関係に疲れていたものだが、こうしてコミュニケーションが取れないことにガッカリしてしまうということは、人恋しいのだろう。


 辺りを見渡す。

 隣の同年代の男性は、資格試験の勉強をしている。マーカーを引きながら、付箋が並ぶ参考書を黙々と読み込んでいた。

 逆どなりの女性は、少し年下だろうか。くっきりとした顔立ちの女性が、スペイン語の勉強をしていた。テキストの表紙が、窓ガラスに映り込んでいる。

 顔を上げると、店内は、ほとんどの人が勉強していた。白髪頭のご老人も、岩波文庫の小難しそうな本を読んでいるし、きゃっきゃと話しているおばあさん達も、よく聞けばプリントを見ながら英語の勉強をしている。

 気がついて、圧倒されてしまった。

 (みんな、なりたい自分があるんだ。)

 きよらは唇を噛み締めた。

 頭の中にまたいつものぼやきが始まりそうになる。頭を振って誤魔化そうとして、振ったときの軽い感触に驚く。トリートメントしたての短い髪が、パシパシと頬を打った。

 いつものくせで髪を耳にかけるが、サラリと落ちてくる。

 コントロールのきかない髪に、苛立ってくる。

 また、失敗だろうか。ハイキング、コンサート、パンケーキ……。

 昨日の映画は、そう悪くはなかった。

 何度か巻き戻しながら、一日がかりで最後まで観た。

 しかし、楽しかった後、またネガティブな側面がきよらの頭を占めていた。

 映画は面白かったが、笑顔になれたのは、更紗と一緒に遊んだ気になれたからだ。

 きよらは、自分が思いの外寂しがりやであるということに、気づき始めていた。透といい、更紗といい、誰かと一緒というのが、自分にとっては大事であるらしい。しかし、はるばる大阪まで一緒に行けそうな友人に、心当たりはない。『USJ』を達成するには、友達は不可欠だろう。

 なんでも自由に書いてきたノートだが、『友達を作る』と書くのは抵抗があった。


 更紗のアカウントの更新を知らせる、SNSの通知バーが出てくる。


 ラストは東京です。あなたにお会いできるのを楽しみにしています!

 

 ラスト?会える?

 きよらは更紗に『会う』という発想がなかったので、何事かと思った。

 更紗に会えるのであれば、会いたい。

 Instagramを見ただけの関係だが、すっかり親しみを感じている。

 イベントの詳細の載った公式アカウントが引用されていた。リンクを踏んで調べると、グループで全国各地を回ってきたイベントツアーの最後らしく、東京の会場はお台場だった。トークショーと数曲の歌唱があるらしい。握手会はないのだろうか。

 うきうきしながらチケットを調べると、既に完売していた。

 すっかりがっかりしてしまう。

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