第8話 映画

 冷たい雨が降っていた。きよらは、午前十一時を過ぎてもまだベッドに埋もれている。天気のせいか暖房の効きが悪い。

 カーテンを小さくめくり、外の様子を眺めた後にまた締める。少しのカーテンの揺れで、部屋の温度が何度も下がった気がした。

 (今日は……映画でもみようかな……)

 やりたいことノートから、無造作に『映画』をピックアップする。

 気楽に見れる娯楽の大作がいい。スターウォーズやアベンジャーズを見てみたかった。しかし、どちらも加入している動画配信サイトには入っていないようだ。代わりに、おすすめされたハリーポッターを再生する。映画を見たことはなかったが、さすがにBGMは聴き覚えがあった。

 高揚感がある。ハリーポッターもファンの多い作品だ。きっと楽しめるだろう。

 冒頭ではそんなことを思っていたはずなのに、気づけば布団に包まったままうつらうつらしてしまう。


 蛇と話す少年を見ながら、透のことを思い出していた。

 最近ずっと透のことばかり考えている。

 透について深められる情報が他になく、昨晩はずっと更紗のInstagramを眺めていた。

 更紗という女性は、アクティブな人だった。公園、美術館、水族館、展覧会、テーマパーク。あちらこちらで、たくさんの友達と写真を撮っている。どこにいても、彼女は表情が豊かだ。アートが好きなようで、知的な印象もあった。

 若くて、可愛くて、楽しさが、はちきれんばかりに写真に詰まっている。

 透は趣味がいい、と思った。

 

 つらつらと思考がそれてしまうと、字幕についていけなくなる。

 このままでは、ピアノコンサートと同じ結末になってしまう。

 ……映画すらまともに見れないなんて。

 眠気を越える失望感が襲う。世界的な人気作品だ。楽しめないのは、きよらに責任がある。

 この数日、きよらは楽しいことを楽しむことが苦手なのかもしれないと思うようになった。何をしても、どこか面白くない。自分の感性に、どんどん自信をなくしていく。

 思考を止めるように、目を閉じ、頭を振る。そんな精神的に不健康な自分を変えたくてはじめた無職生活だ。まだ一週間しかたってない。

 布団から出て、気分転換に朝ごはんを用意する。オートミールに、牛乳を入れてラップをかけ、レンジにかける。精一杯の、健康を意識した食事だ。あまり美味しいとは思っていないが、まずいというほどでもない。

 あつあつのオートミールを食べながら、少し巻き戻して、再度再生した。


 魔法の杖を買いにいく主人公を見て、更紗のInstagramに大阪のテーマパークで撮った写真があったことを思い出す。

 思い出しながらそのページを開くと、魔法学校の制服を着て、杖をかまえている写真が数枚あった。

 更紗の笑顔は無邪気で、本当に楽しそうだ。

 きよらも、鏡にむかってそのポーズを真似する。

 バカバカしいと冷めた心がどこかにあるのに、鏡の中のきよらは自然に笑っているように見える。

 不思議だ。

 ポーズがいいのかもしれない。

 更紗の写真を真似して、いくつもポーズをとる。

 ちょっと、楽しいと思った。

 

 ハリーは汽車に乗り、ロンと仲良くお菓子を食べ始めた。チョコレートの蛙が飛び上がり、更紗のSNSにも蛙のチョコレート写真もあがっていたことを思い出す。更紗は御伽話のようにカエルにキスしていた。

 映画に登場する小物が実際に売られていることに、わくわくを感じる。

 なるほどハリーポッターは新しい趣味になり得るかもしれない。

 『USJに行く』と、やりたいことノートに書き足して、再び画面に戻る。

 大丈夫だ。眠気は飛び、集中力も戻ってきたら。楽しく見れそうだった。

 ハリーの学校生活はまだ始まったばかりだ。

 

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