第7話 入浴 ---透---

♪ピンポン、お風呂が沸きました。

 

 風呂には小さな檜の玉を入れる。心の澱が浄化されるような、いい香りがする。

 更紗が、体調不良で出演予定だったYouTubeの番組を欠席した。

 檜の香りの湯船に浸かって、弱っているであろう彼女のことを思う。辛く心細い夜を思うと涙が出た。透は、風邪を引くといつもこのまま死ぬんじゃないかと不安に駆られる。更紗もきっと不安でたまらないはずだ。

 更紗のために泣く自分を情けないと思う。

 透のメンタルは、更紗が維持している。

 そう自覚する。自分は、自立していない。

 死ぬような病気ではなく、泣くようなことじゃない。なのに涙が止まらない。

 弱っている彼女に、この身を背負わせてしまっている罪悪感でじりじりとした。


 病気で弱っている彼女に、大丈夫だよ。心配ないよ。お大事に。と、あらゆる優しい言葉を投げかけたいと思う。ゆっくり休んでと。

 そのツールはある。

 手書きのファンレターなんて仰々しいものじゃなく、SNSを通せば簡単に応援を言葉にできる。透はSNSに並ぶ、応援の言葉を眺めるのが好きだ。

 だが、自分で書き込んだことはない。

 日常では物おじしない方だが、憧れの対象とのコミュニケーションは怖かった。

 でも、いいきっかけかもしれない。

 透は風呂場から出ると、更紗の休養を知らせるポストにリプライをした。


 お大事にしてください。いつも応援しています。


 Xは変わりなく流れていく。閲覧用だった透のアカウントが初めて呟いたことなど、誰も気づきはしない。


 風呂上がりのリビングには、今日も更紗たちのBlu-rayがついている。

 曲終わりメンバーはスモークとレーザーの海に沈み、掌で目元を隠しつつ、唇は思わせぶりに弧を描く。いつ見ても見惚れてしまうシーンだが、今日はそれも視界に入らない。

 何度も考えて書き込んだ言葉が、自分の中でぐるぐるめぐる。

 自分の呟きを、本人が見るかもしれない。しかも病床の身で。いまや更紗の発熱を心配する気持ちよりも、自分の言葉が彼女の目に触れるかも知れないと言う緊張が膨らんでいる。

 吟味に吟味を重ねたはずの言葉は、すごく素っ気なく見えた。他の人のコメントを見るともっと個性があるようで、自分の無色すぎる言葉はうまく溶け込めていない。

 何度も見返して、夜更けにコメントを削除して寝た。

 削除するまで落ち着けなかった。


みんなおはよー!!昨日は心配かけてごめんね!更紗は元気です!ちからこぶ!


 翌日、更紗が呟いていた。スノボをかまえて雪山に立つ写真をたくさん添えて。

 透があんなに心配した体調不良から、あっという間に彼女は復帰した。

 

 おはようございます!スノボやられるんですね。怪我に気をつけて楽しんでください!


 元気な更紗の姿を見たので、朝から特別に気分が良かった。

 ピーラーでキュウリを薄く切り、サンドイッチを作る。軽く塩して水分を拭いたキュウリのサンドは、透のお気に入りだった。

 更紗のInstagramのストーリーには、青空の写真が上がっていた。

 更紗は、空が好きらしい。よく青空の写真をあげている。

 対象物を目一杯にして撮る透とは、視界の捉え方が違う。無限に広がる空を捉えるのは、透には難しいことだった。

 彼女を見ると、自分と違うところがくっきりと浮かび上がる。そこを愛おしく思う。リスペクト、という言葉を、更紗に出会って初めて自分のものにした。

 

 洗濯機を回そうとベランダに出ようとして気づいた。晴天の写真とはうってかわって、外は雨だった。

 ざーざーと音がしていることにも気づかないほど気持ちが浮かれていたのかと、自分を微笑ましく思う。そして、心配かけまいと、元気そうな写真を選んでアップしていた優しさに気づいて、飛び上がりそうに嬉しくなった。

 薄暗い外を隠すようにカーテンを引き、病気で死に別れてしまう男女の映画を見る。更紗と出会う前は、絶対に見なかった種類の映画だ。映画好きという彼女のおすすめは、泣ける恋愛映画ばかりだった。

 昔はお涙頂戴とバカにしていたが、今は、製作陣が泣かせたい所で泣きたいと思うようになった。アイドルの応援歌をそのまま受け取れるようになったのと同様に、作品に対して身構えるものがなくなった。

 好きな相手を知りたいと思ってすると、物事は楽しい。

 楽しいと続く。

 続くと趣味になる。

 愛は偉大だ。

 人生は楽しい。

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