第7話 風呂 ---透---

♪ピンポン、お風呂が沸きました。

 

 風呂には小さな檜の玉を入れる。心の澱が浄化されるような、いい香りがする。

 更紗が、体調不良で出演予定だったYouTubeの番組を欠席した。他のメンバーの話では、治るが感染るもののようだ。コロナかインフルあたりだろうか。

 檜の香りの湯船に浸かって、弱っているであろう彼女のことを思う。辛く心細い夜を思うと涙が出た。透は、風邪を引くと、いつもこのまま死ぬんじゃないかと不安に駆られる。数年前にコロナにかかった時は、当時の不安に満ちた報道の数々、止まない咳、積もる仕事。精神的にも苦しくて仕方なかったことを覚えている。

 健康な若者にとって死ぬ病気ではないし、今となっては罹患を責められるものではない。

 わかってる。

 涙が収まった頃に、湯船を出て髪を洗う。

 アイドルのために泣く自分を情けないと思う。自分のメンタルの健康を、他人に預けてしまう自分が嫌だ。更紗はいつも笑顔にするために頑張ってくれているのに、更紗のことで泣いたりするのは、裏切りのような気がした。

 湿った思考を流し切るようにいつもより念入りに泡立て、頭皮をマッサージする。

 声を掛けたい。

 病気で弱っている彼女に、大丈夫だよ。心配ないよ。お大事に。と、あらゆる優しい言葉を投げかけたいと思う。

 透が動かなくても、リプ欄を見れば、誰もがもっと素敵な言葉を投げかけている。だからいつもは透は呟かず、眺めるだけだった。

 でも、いいきっかけかもしれない。

 そんな気がして、透は風呂場から出ると、手を念入りに拭いてから、更紗の休養を知らせるポストにリプをした。

 お大事にしてください。いつも応援しています。


 Xは変わりなく流れていく。閲覧用だった透のアカウントが初めて呟いたことなど、誰も気づきはしない。

 テレビには今日も更紗たちのBlu-rayがついている。

 曲終わり、メンバーはスモークとレーザーの海に沈み、掌で目元を隠しつつ、唇は思わせぶりに弧を描く。何度見ても見惚れてしまうシーンだ。そのアップのカットを、更紗が貰っていることが、ファンとしてなんとも誇らしかった。

 何度も考えて書き込んだ言葉が、自分の中でぐるぐるめぐる。

 自分の呟きを、本人が見るかもしれない。しかも病床の身で。いまや更紗の発熱を心配する気持ちよりも、自分の言葉が彼女の目に触れるかも知れないと言う緊張が膨らんでいる。

 他の人のリプを見て回る。

 優しいメッセージが溢れていて、透はまた泣きそうになった。

 透のように緊張した言葉を紡いでいるのは少数で、みな個性があるような気がした。

 (デフォルトのアイコンのままなのがいけないのかな?)

 透は写真フォルダから二枚選び、ヘッダーとアイコンにする。

 事務的にも見える透のコメントが、少し華やいだ気がした。

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