第8話 公園
ゴンチャのミルクティーを飲みながら、井の頭公園を歩く。草花にネームプレートが出ているのをなんとなくチェックしながらも、頭には入っていない。ハイキングからこっち、色んなものを知りたい気持ちだけ募るが、脳には膜が張っているようだ。細い橋を渡り、日向のベンチに座り、ノートを開いてミルクティーを飲み干した。ゴミ箱は手近になく、空になった容器をもてあそぶ。
今日の課題は『パンケーキ』だった。その帰りに公園をぶらついている。コンサートでの感動に失敗してから、イヤホンではいつもクラシックを聴いている。
ふかふかとろとろのパンケーキ。前々から気になっていたお店なので、やりたいことリストの前の方に載せていた。
美味しかった。
けれどなんだか手応えがない。
ぐっと込み上げるものがない。食レポをしているタレントくらいに、興奮して食べたかった。でも、それはパンケーキに問題があるわけではない。
せっかく仕事を辞めて、見たい映画を見て、流行りの本を読んで、食べたいものを食べて日々暮らしているのに、なにかもっと大切なことがある気がする。なにか、心の底から自分のやりたいことを見つけないといけないような気ばかりする。
こんな消費活動ではないのだ。
生きていると感じたい。
そうだ生の実感だ。スカイダイビングやバンジージャンプ?そういうのもアリだろうか。思い切ってみるのもいいかもしれない。
風にはためくノートにメモを取ろうとして、手が止まる。
飛行機から飛び降りる?橋から谷間に目掛けて飛び込む?想像して、背筋がゾッとした。
……ゾッと?
(これが動物的な反応ってやつ?)
きよらは戸惑った。これがそれなら、ことは簡単だ。
高所で足を踏み外すような動画は、ちょっと検索してみれば簡単に見つかる。ゾッとする。何種類観ても、飽きることなくお尻から背中にかけてゾワゾワとさせた。
(こういう反応がしたかったんだっけ?)
違う。感じたいのは体じゃないはずだ。心だ。
体が恐怖の反応を示しているのに、心は凪いでいた。所詮動画だと。体と心がすれ違っている。
風に飛びそうなミルクティーの容器をトートバッグに突っ込んで、くるくるとペンを回す。落ち着いて、新しいノートのページを開く。
目標:心健やかになりたい→具体化:日々の小さなことに感動したい→方法:心を開く→心を知りたい→体の反応に頼る。
こんな思考だったはずだ。書き出してみると、滑稽な気がした。
心がどこにあるか知りたいから、体の反応を求めた。けれど体と心がズレていては、心のありかがわからない。行き止まりだ。
ノートに、おおきくばってんをかく。
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