第5話 コンサートホール
コンサートホールには初めて入った。
映画館のようなベロアの赤い椅子を想像していたが、会議室にあるような移動可能な椅子が綺麗に並べてある。高級そうな壁の中にあって安っぽくみえ少し拍子抜けしたが、それでもなにか厳かな感じがして、きよらは真っ直ぐに自分の席に向かった。
平日の昼間の割には人が多いように思う。ワンピースのスカートを整えて、コートを膝にかける。もう開演時間が迫っていて、パンフレットは目を通さずに鞄にしまってしまった。
今日のテーマは『コンサート』だ。やりたいことノートから選出した『ハイキング』に次ぐ二つ目の課題である。
昨日の登山の疲れの残る身体に鞭打ってコンサート会場まで来たのは、感動をしたくなったからだった。
透と一緒に見た山が綺麗だっただけに、一人で見た山のつまらなさが際立って心に残る。とりわけ、女の子の写った写真を見てからは、全て色褪せてしまった。なんだ、男の人に優しくされて浮かれていただけかと思うと、情けなかった。
自分の力で感動したかった。それが『健やかな人』だと思う。
感動なら音楽だろうと安直にノートから選抜してきたのが、『コンサート』だ。
最寄の公会堂を検索すると、さっそくピアノのコンサートがあることがわかった。調べてみると、平日でも毎日のようにホールは何かのコンサートをやっているようだ。
クラシック音楽というのはいろんなセラピーに使われてるイメージがあり、心の矯正によさそうな気がした。
ハイキングは趣味にはできなそうだが、コンサートが趣味になれば、素敵なことだと思う。
ピアニストが入場してきて、拍手が起こる。きよらもならって手を叩く。
男性が静かに鍵盤に手を乗せ、聞き覚えのある曲が始まる。
ドビュッシー。月の光。
しかし、集中して聴いていたのも数分で、意識は他のところへ持って行かれる。
突然、耳馴染みのある音の並びで音楽に引き戻される。
きらきら星変奏曲。
慌てて腕時計を見ると、もう終盤だ。音楽会は終わろうとしていた。
感動したくてお金を払ったのに、結局思考に囚われて心が動かなかった。
ここに透がいたなら、山が綺麗に見えたように、ピアノが素晴らしく感じられたのだろうか。透が……。
再び離れようとする思考を止めようと、頭を横に振るがなんの抵抗にもならない。
そんなに気になったのなら、連絡先を聞けばよかったのだ。SNSの一つくらい教えてもらえただろう。
そうできなかったのは、女の子の写真のせいだ。あんなにびびる必要なかったのに。「彼女さんですか?かわいいですね」って馬鹿みたいに聞けば済んだことだ。
年に似合わぬはずのツインテールが、テーマパークの被り物とよくマッチした垢抜けた子であった。今思えば、芸能人なのではないかという気がする。
結局、ぐるぐると透について考えているうちに、コンサートは終わった。挨拶も、耳には入らなかった。
「よかったわねぇ」なんて囁きながら、客が席を離れる。
演奏はよかったらしい。集中できなかったのは、演奏のせいではないと、わかってはいた。
きよらはステージの前まで降りていき、客席を見渡す。大きなステージではないが、一人でここに立つのは、簡単なことではないのだろう。人を感動させるだけの、努力をしてきた人のはずだ。
きよらの受け取り方が悪い。
頭を振りながら、ノートを開き、『コンサート』の項目に、達成した目印のチェックをいれる。
しかし、達成感はまるでなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます