第18話 親バカのベックですわ!

「うぉぉぉ!!ベローーウ!!どこにいるんだーーー!!」


王城内をストランドフェル家当主、ベックの声が鳴り響く。

廊下を走り廻りながら捜索を続けるが、息子の声、匂い、髪の毛一つ見つからない。


「なんてことだ…お姉ちゃんの晴れ舞台なのに…どこにいったんだ…うぉぉぉ…!」


ベックやがて足を止め、泣きべそをかき始める。


話は数刻前に遡る。


二人の婚約発表が貴族達に祝福されてしばらく後、

娘の結婚の話にベックはあちこちから質問責めに遭っていた。


しかし親バカとも言われるベックは、貴族達に囲まれていても

娘がいつどこから来るか、瞬時に察知できるのであった。


「失礼、そちらに娘が…」


皆が指を差した方向を向けば

そこはあわただしく駆けてくるエルの姿があった。


祝いの席に親子の会話を邪魔するべきでない、

そう考えた他の貴族達は

にこやかに微笑みながらその場を後にした。


そして、一人になったベックの胸元に、

エルが飛び込んでくる。


「お父様!」

「エルや、どうしたんだそんなに慌てて…」


何時かぶりに愛娘を両腕に抱きしめ、嬉しいと思う反面、

その尋常ではない慌てぶりを見せる表情に

思わず、親バカな脳から父親の脳へと切り替わる。


そして、娘の口から…とんでもない言葉が飛び出した。


「ベロウが…ベロウが攫われたのですわ!」


一瞬、脳内の時計が止まる。


そして、再び動きだした時には。


エルは両耳を塞いでいた。


「な、なんだってえええええええええええええ!!?」


戦斧のストランドフェルド・ベック、通称、親バカのベック。


娘も大事だが、息子も当然ながら大事。


甲乙なぞつけられるものか、二人とも大事な子供たち。


その息子が、攫われた。


「うおおおおおおおおおおおおお!!!どこにいるんだ!!

 ベロオオオオオオオオオオオオオウ!!!!」


大広間を包むような爆音が、勢いよく遠ざかっていく。


詳細は聞いていないが、攫われた、という単語のみで

親バカベックが走るには十分な内容であった。


そして、今に至る。


泣きべそをかきながら廊下を歩くベックの真正面には

二人の少女が立っていた。


「あらあら…これはこれは」

「ストランドフェルド家のベック様ではありませんか?」

「!、き、君たちは!?」


ふとベックが涙をぬぐえば、そこには二人の女子生徒

「マリンと」「カリンですわ」


彼女たちは、ウィルからの話を聞いた

イルドワンの計画を阻止するため城内で情報収集していた所、

ベックに遭遇した、というわけである。


「マリンとカリンか、君たちとはどこかで会った事があったかね…?」

「…本当にあの人の父上ですの?」

「…何か調子狂いますわね」

「…?」


名前を間違えられずに覚えられた事に違和感を感じるが、

わからないベックは首を傾げるしかできなかった。


「そんな事よりベック様、一体誰をお探しで?」

「ああ、私の息子のベロウフォールだ、どこかで見ていないかね?」

「「!?」」


その時、二人の脳裏にはイルドワンの顔が映った。

そして、理解した時には既に遅かったことが

ベックの言動から読み取れた。


(迂闊でしたわ…狙っていたのは、エルフォール様でもグラーフ様でもない!)

(ベロウフォール様…盲点でしたわ)


表情が強張る、その一瞬をベックは見逃さなかった。


「何か知っているのだろう?言え!言ってくれ!」


懇願するように顔を近づける。

その目には涙が溜まっており、大戦で戦斧を振り回していた豪傑とは思えぬ

一人の父親が、二人の目の前にいた。


「…ベック様…実は…」

「少々…込み入った話でして…」


二人は意を決して、イルドワンの計画をベックに伝えた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…遅い、遅いですわ…!」


グラーフは間もなく始まる喜劇の準備として、

舞台裏にスタンバイしていた。

事の詳細はウィルから聞いていた。

その上で、国王から喜劇の開演を遅らせる事が出来ない、という事も。


…もどかしい。


自分ではどうすることもできない問題に、

焦りだけが降り積もっていく。


グラーフは、エルとウィルが

問題を解決するのを待っている事しかできなかった。


刻一刻と時は過ぎていく。1秒ごとに、自分の中にストレスがかかっているのを

グラーフは感じ取っていた。


「まずいですわ…かなりまずいですわよ」


こんな時に頼りになるマリンとカリンも今はいない。

というか最近見かけないが何をしているのだろうか。

そんな事を考えていれば、国王が声をかけてくる。


「おぉ、グラーフちゃん、すまなかった。少々探すのに手間取ったわい」

「…!国王陛下…その服は?」


目の前にした衣装を見て、国王が何を考えているのかわからなかった。

その衣装は、東洋の国で見かけるような緑色の着物と帯であった。


「時間がもうない、すぐに着替えて仕込みをしよう」

「な、なにを言っているのですか、まだエルフォール様が…!」


開演を急ぐ国王を慌てて止めようとするグラーフ、しかし国王が首を横に振る。

「エルちゃんはまだ時間がかかる、だから…」


す、とグラーフを年老いた手が指さす。


「グラーフちゃん、一人で頑張るのじゃ」


ずきん、と心臓が痛くなる。


自分ひとりで…。


国王の一人で頑張る、という言葉に込められた意味。


エルが舞台の裏に戻って来るまでの間、

自分ひとりが舞台に立ち、時間を稼ぐ。


その意味が込められている事は、すぐに理解できた。


「…一人で…」


「そうじゃ…ワシは観客席におらねばならぬ…

 じゃから、のはここまで…

 どうじゃ?やめておくか?」

「!」


助けられる…?


少し考えて、国王も必死に自分たちの手助けをしようとしている事が

グラーフには理解できた。


国王という立場上、出来る事は限られる。

しかし、そんな限られた状況の中、

エルと自分の成功の為、やれることをやろうとしていた。


エルもそうだ。エル自身と自分の為、今日の日までやれる事をやってきた。

今、エルは困っている。大事な弟を探し出すため、必死に頑張っている。


なら、自分のやれる事は…。


「…国王陛下、教えてください。私は何をすればよいのですか?」

「任せなさい…すぐに仕込みをしよう」


着物を渡せば奥にグラーフを案内する。

奥にいた召使たちが、慌ててグラーフの着替えを手伝いに回っていった。


それを見送った国王は、舞台袖から大広間の様子をうかがった。


「これは…仕込みにもう少し時間をかけてもよいかもなぁ」


にっこりと微笑んで舞台袖へと引っ込んでいく。


その目に映ったのは、大きく足を踏み鳴らし、イルドワンの元へと歩み寄っていく

ストランドフェルド・ベックの姿があった。


「イルドワアアアアアアン!!!!」


その手にはどこから持ってきたのか、身の丈を超える長さの斧を携えていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


数刻前、ウィルから啖呵を切られたその後、

イルドワンはその時、いつも以上に酒が美味く感じられた。


何故なら、計画はすでに成功したも同然なのだから。


それが確信したのは…つい先ほど。


ベックが、ベロウフォールが攫われたことに対し、

大声を上げてどこかへと消えていった。


その叫び声を聞いた時、イルドワンは思わず、笑いを零しそうになった。


予想通り、ベロウフォールへの警備は手薄。

婚約発表にかこつけて、部下達が誘拐。

当然、その部下というのは…フリューリング家の長女が

用意したものである。


ヴァイスハイトが裏切っても、計画自体はあの小娘のもの。

キーファブッチには、何も関係がない。


ベロウフォールの隠し場所についてはこちらから用意したが

それもヴァイスハイトの提案した場所という事にすればいい。


欠陥なぞどこにもない。


奴らは弟を探し出すのに必死で、

喜劇どころではない。もちろん喜劇は失敗。


これで…国王に痛い一撃を与えられる。


嗚呼、今日ほど酒が美味いと思った日は無い。


恍惚とした感情を鉄面の裏に隠しながらワインをまた一口飲む。


その時、一人の学生が近づいてきた。


たしかあれば、ヴァイスハイトの手下…。


当然ながらこいつ等が実行してくれなくては困るので

キーファブッチ家の招待客としてそれぞれ招待した者たちだ。


「イルドワン様」


手下が声をかけてくる。

きっと、ベロウフォールをかくまった事が成功したという報告だろう。


「わかっている、よくやった」

「…は?」


あまり話を長引かせると、

いざという時実行犯たちと俺に繋がりがあると疑われる。

話は短く切り上げねばならぬ。


「報酬は3日後渡す、場所は…」

「いえ、そうではなく…」


躊躇いながらも男子生徒は途中で止めに入る。

「ではなんだ」


何かトラブルか、と思い男子生徒に耳を近づける。

男子生徒は耳打ちながら報告した。


「…対象ベロウフォールが見つからないんです」

「………は?」


思わぬセリフに、声を漏らす。


「…きちんと探し出したのか?」


その声の裏には明らかな怒りが込みあがっていた。

思わず、男子生徒の声も上ずる。

「は、ひゃい!探したのですが、どこにも…!」

「デカい声を出すな、すぐに探し直せ」

「…し、失礼します!」


ぱたぱた、と駆けるように男子生徒が去っていく。

その時、イルドワンは内心焦っていた。


このまま何事もなくベロウが現れれば…。

その時は計画もなにもかも台無しである。


だが同時に都合が良いのは、エルフォールが慌てて探しに行った事である。


おかげで、喜劇は間もなく開演時間だというのに

未だに幕が上がる事も、国王の挨拶もない。


このまま時間が過ぎてくれれば、計画は実行できる。


そう考えていた時、嫌な気配がした。


ズン、ズン、


大きな足音、まるで巨大な魔物がこちらに迫ってくるように

一定の間隔で地鳴りがする。


ズン、ズン、ズン。


だんだんと近づいてくる。

恐る恐る、その地鳴りの方角を見れば、


あの大戦の時を思い出すかのような、


血の気が滾り、全てを滅ぼさんような

戦場の鬼がそこにいた。


「イルドワアアアアアアン!!!!」


本日2度目ともいえる、巨大な咆哮が、広間中を押し広げるように響き渡った。

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