第14話 絶対に嫌!ですわ!

「裏口…入学…?」


重く、暗い空気が王城の茶室に流れる。


グラーフが、エルの口から聞いたその秘密に、

言葉を漏らし、そして、絶句した。


その秘密を知っていたベロウ、そして国王は

ただ顔を俯かせ、暗い表情になっていた。


しばらく沈黙が続けば、国王が口を開く。


「エルちゃんからのパパからの頼みでな…学院に通わせたいと申してきた。

 しかしエルちゃんは入学試験に落ちたばかりでな…」


グラーフがその言葉に、エルの方を見れば、

エルは目を伏せたままこくり、と頷いた。


国王が、説明を続ける。


「ワシは条件を出した。エルちゃんの入学を許可する代わりに、

 キーファブッチ家と仲良くする事、とな…。

 その結果、エルちゃんとウィル君は二人は婚姻を結ぶ事になったのじゃ」

「…」


エルは、ただ黙っていた。

隣に座っていたベロウが心配そうにエルの表情を見つめれば、

グラーフも同じように顔を覗き込んだ。


その顔は、知られたくなかった、という絶望が表されていた。


顔を覗き込んでいた、グラーフの口がゆっくりと開く。


「それは…貴女が望んで、不正をしましたの?」


エルは黙って、首を横に振る。

エル自身、そんなつもりは微塵も無い。


「私…学園に入学したその日に…お父様に知らされましたわ…

 お前は、結婚を条件に、学院に入学出来たんだって…」


涙がポロポロ、と零れていく。


入学して初めて出来た友達。


その友達に、拒絶されたくなかった。


感情が、大粒の涙に変わって、床へと落ちていく。


長い沈黙の後、

グラーフは、深く息を吸い込んで、溜息をついた。


「…心底…失望しましたわ」

「…」


ふと顔を見上げれば、グラーフの目にも、涙が大粒溜まっていた。


「貴女なら…それすらも!に出来ると信じておりましたわ!」

「!」


エルの両肩を掴み、揺らして訴えかけるように叫んだ。


「貴女が憧れた本に書かれていた事は?

 貴女が私に教えてくれた事はなんですの!?

 お答えになって!エルフォール様!」

「…ッ」


唇が震える。

エルは、ゆっくりとあの日の言葉を口に出した。


「…他人をあざけるのではなく…誰かの…不幸を、笑いに昇華させる…」


あの日、グラーフとコンビを誘った時、

落ち込むグラーフを励ますために言った言葉。


シュース・ロブンスト著の滑稽話集から学んだ、エルの言葉である。


「エルフォール様、知っててやったのであれば、それは不正、悪です。

 しかし、知らずに騙されるような形で学院に入学させられたのであれば…

 それは…不正ではない。巻き込まれた不幸ですわ」

「…っ…私は…!」


唇を噛んで、グラーフの言葉を聞いていたエルは

首を横に振って、顔を両手で覆って泣き続けた。


「私はっ…何の努力もして来ませんでしたわ…!

 学院だって、不正に入学しなければ、通れなかった!

 ウィルに嫌われないように…婚約破棄を避けるために

 自分の良い所を探しても…

 もうお笑いしか無かったのですわ…!」

「エルフォール様…」


グラーフは立ち上がれば、エルの服の首元をぐ、と掴んで

そのまま持ち上げた。


吊り上がるように首が持ち上げられ、エルは驚いた表情でグラーフを見つめる。


その一瞬、左頬に衝撃が走った。


「馬鹿に、しないでくださいましッ!」


力が入らなかった顔に思い切りビンタを打たれ、

エルは叩かれた方向に倒れていく。


「お姉ちゃん!」「エルちゃん!」


見ているばかりだったベロウと国王も立ち上がる。

倒れたままのエルに対して、グラーフは泣きながらも叫ぶ。


「何の努力もしてこなかった?

 それは、でしょう!?」

「!!」


エルは叩かれた頬を押さえながらもグラーフを見上げる。


「私が貴女と同じ教室だったのをお忘れになられましたの!?

 同じ寮で暮らしていたのをお忘れ!?

 貴女があの教室でどのぐらい勉強していたか!

 今日この王城に持ってきた、喜劇のための小道具全て!

 貴女の手作りだってことぐらい私、存じておりますのよ!」

「…グラーフ様…」


早口でまくし立てるようにグラーフはエルを叱った。


確かにそうだ。


エルの脳裏で、学院での生活がフラッシュバックする。


学院に留まるため、必死に勉強に追いつこうと筆を走らせた日もあった。

今日のため、夜中に街に買い出しにも行き、

そのまま寝ずに小道具を作り続けた日もあった。

家族のため、友人のため、そして、自分のために。


「エルフォール様…それらが努力と言えないのであれば…

 今更、不正を無意識に働いた事を悔やむのであれば…

 今すぐ、責任を持って学院なぞやめてくださいまし」

「…嫌ですわ…」


エルの拳が、ゆっくりと握りしめられる。

そこには、確かな決意が宿っていた。


「不正入学という不幸をお笑いに変えられず、

 私の不幸でしかお笑いに変えられないのであれば…

 今すぐコンビなぞ解消してくださいまし」

「絶対に、嫌ですわ…!」


力強い言葉と一緒に、エルの全身に力が籠る。

ゆっくりと立ち上がって、グラーフの瞳を見つめる。


グラーフの目に映ったエルの表情は、

先ほどまでの力ない表情と違い、

それは、やる気と、負けん気に満ちた熱い表情であった。


「覚悟は…よろしいのですね」

「…はい…!」


グラーフとエルは、うん、と力強く頷けば、

二人は国王の方へと向き直った。

「国王陛下、不正入学については…私、気にいたしません。

 どうか、二人で喜劇の開催を…お許しください!」

「お願いいたします!」


二人揃って頭を下げれば、国王は顎髭を撫でながらエルの方を向いた。

「エルちゃん、勉強に自信あるかのう?」

「…っ、はい!学院の勉強に追いつく為、日夜しています!」


エルは顔を上げれば、自信を持って努力という言葉を口にした。

先ほど、グラーフから受けたビンタで

学院に通い続けた今までの全てを

思い出したかのようだった。


「ならば、テストしようぞ!」


国王が指をパチリ、と鳴らせば、

茶室に使用人が現れ、1枚の紙とペンをエルに渡した。

エルが裏返して中身を見れば、

そこには問題と、回答記入欄が記載されていた。


「…っ、やります!私、必ずこなして見せます!」

「ならば、ここで受けよ

 不正はせんと思うが、念のため二人は外で待っていよ」


グラーフとベロウは頷けば、茶室の外に出た。


エルは再び椅子に腰かければ、テーブルにテスト用紙を置いた。


ペンを握り、書かれた設問を睨みつける。


「では、テスト開始じゃ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「まさか、貴方様からお手紙をいただけるなんて

 思いませんでしたわ…」


街の郊外の路地裏、ヴァイスハイトがにやり、と笑いながら

手紙の封筒を相手に見せつける。


目の前には、キーファブッチ家の当主、


「イルドワン様…いったいどんなご用件で?」


イルドワンは、相も変わらずの鉄面を見せながら口を開いた。


「ウノアール・グラーフを知っているな」

「ええ、一番嫌いな名前ですわ」


目上の相手に対しても臆せずに軽い口調でヴァイスハイトが返す。

眉ひとつ動かさずに、イルドワンは続けた。


「…王城で開かれる舞踏会、そこで喜劇が開かれるのも」

「ええ、存じております」

「……ここでその喜劇の主演が襲われたというのも…か?」

「…っ」


先にヴァイスハイトの表情が曇る。

まずい。


キーファブッチ家は当然、ストランドフェルド家の子息同士が婚約した仲。

そしてこの場所は、エルが買い出しに出た帰りに立ち寄った裏路地。


6人の悪漢に襲われた場所である。


「…いいえ、私は存じ上げませんわ…」

「そうか、ならばいい」

「…聞きたかったのはそれだけですの?」


何が言いたいのかさっぱりとわからない相手に

怪訝そうな表情でヴァイスハイトは睨みつける。

どうやら自分に釘を刺しにきた、というわけでも無さそうであった。


「いいや、姉が襲われたという事は、

 今度は弟が襲われる事も視野に入れなくてはな、と思っただけだ」

「…!」


バレている。


ヴァイスハイトは心の奥底で冷や汗をかいた。

実のところ、弟がいるという情報を掴んだヴァイスハイトは

配下である男子生徒達…エル達を襲った6人に

弟であるベロウフォールを探させていた。


キーファブッチ家の諜報員は、ウィルに調査を依頼された後も調査を続行し、

その男子生徒達が現在、ベロウを探しているという情報を掴んだ後、

イルドワンにそれを流したのだ。


焦るヴァイスハイト、この状況を切り抜ける方法を必死に試案した。

しかし、イルドワンはそれすらも見透かしているようにつぶやいた。

「そう驚くな、手紙にも書いた通り、私は協力してほしいだけなのだから」

「!」


イルドワンは懐に手を入れれば、1通の手紙を取り出した。

封蝋がされており、王家の紋章が蝋の凹凸で記されていた。


「舞踏会には客が客を招待する制度がある。

 フリューリング家の皆さまをご招待しよう」

「…私に、何をさせたいのです…?」


ヴァイスハイトは、必要以上に警戒しながら

イルドワンの表情をうかがっていた。

その表情は、仮面が張り付いているように変わらなかった。


「君には…舞踏会で君の計画を実行してほしい」

「…私の計画…?」


その時、わずかにイルドワンの口角が上がった気がした。


「舞台は開催する直前にこそ、トラブルが起こるものだろう」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「採点が終わったぞい」


国王が茶室に入れば、何故かお通夜のように暗い雰囲気の3人がいた。


「何を辛気臭い顔をしておるのじゃ…まぁ、理由は知っておるがのう」


エルは、怯える子犬のように震えながら、グラーフの手を握っていた。

そしてグラーフも、慰めるようにエルの手を反対の手で撫でていた。


国王が来る前、エルはグラーフとベロウに話した。

渡されたテストの内容に、追いつけなかった。

ほとんどの内容が、記入できなかった。


国王が帰ってくるまでの間、しばらく泣き続け、

グラーフとベロウはそれを慰め続けた。


国王は1枚の紙を取り出して、読み上げる。


「…ストランドフェルド・エルフォール、23点」

「…ッ!」


読み上げた紙をテーブルの上に置けば、

青かったエルの顔がさらに青ざめる。

グラーフも、ベロウも、ともにテスト用紙を覗き込む。

赤い文字で、そこにはしっかりと23点、と書かれていた。


国王は、当然の結果と言わんばかりに、エルに言葉をかける。

「エルちゃん、自分が好きな事に一生懸命になるのは良い。

 じゃが…お前さんのお父さんが、どういう気持ちで学院に通わせていたのか…」

「…国王陛下…お許しを…」


ふるふると震える両手を握りしめ、エルが絞るような声で懇願した。

しかし、国王は首を横に振った。


「この世界では結果が全てじゃ、

 ストランドフェルド家も、あの戦争で結果を出したが故、爵位を得た」


その言葉に、グラーフが手を出して制止しようとした。

「待ってください。この度のテストは、国王陛下が事前の開催の連絡もなく

 突然行ったもの…このテストは、不利な状況で行われたものです!」


しかし、国王は冷たく言い放った。


「仮に戦争が起きて負けたとしても…そうやって、言い訳をするのかのう」

「そ、それとこれとは話が…!」

「それに、これは前から対策が出来た話じゃ。

 常に努力して、勉強していれば、このぐらいは解けたはずじゃ」

「…ッ!」


グラーフは、悔しそうに唇を噛んだ。

どうする事も出来ないのか。

エルはすっかりと心が空っぽになったように

床に視線を落としてしまった。


「悪いがのう…エルちゃん…」


国王が、エルの方に近寄って、肩に手をやった。

ビク、と体が跳ねる。


喜劇は中止?それとも、学院追放…?


この後のセリフが、頭の中であれか、これかと駆け巡る。


それはグラーフも同じだったようで、

グラーフがその宣言を、国王の口を止めようとした。


しかしそれよりも早く、国王の言葉が飛び出した。


「初等部に…再編入してもらおうかのう」


「…へ?」「え?」「あっ」


エル、グラーフ、ベロウのそれぞれ反応が

国王の言葉に上がった。

たじろぎながらもエルは国王に質問しようとするが、

困惑し、言葉がうまく出ない。


「え、と、…あの…国王陛下…?」

「あぁわかっておる、同級生たちが上の立場になるのは

 大変心苦しいかもしれんが…エルちゃんの学力では初等部に…」


質問を待たずに国王が言葉をつらつらと並べ続ける。


その時、テーブルの上に置かれていた、

テストをじーっと見ていたベロウが

テストを指さして国王に尋ねる。


「…これ、初等部の出題範囲じゃないですよね」

「うむ、中等部の範囲じゃが?」


「「えっ」」


グラーフとエルの言葉が同時に零れた。


しばらくの沈黙の後、

恐る恐る、グラーフが手を上げて発言する。


「あの…国王陛下…私と、エルフォール様は…初等部ですが…?」

「えっ」


国王が呆気にとられるような声を漏らす。


そしてテーブルの上のテスト用紙を取り上げ、じーっと眺めた後、

自分で自分の頭を軽く小突いた後、

舌を出しながら微笑んだ。


「ごめん!間違えちゃった!」


その日、王城の茶室から

なんでやねーん!と叫ぶような声が

聞こえたとか、聞こえなかったとか。


そんな噂が、兵士の間でしばらくささやかれた。

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