第10話 スタンプの重みですわ!

…どうして、あの女に肩入れしているのだろうか…


エル、グラーフ、そしてウィルの会話を一部始終、

見ていた女子生徒は、奥歯をギリ、と噛みしめた。


グラーフの高慢ちきな態度。

思い出しただけでも腹の奥が煮え立つのを感じる。


親の威光で手に入れた地位、親の威光で手に入れた取り巻きの二人。

本人には、何の価値も無いのにもかかわらず、逆らえば支援が打ち切られる危険性。


フリューリング・ヴァイスハイトは、

父を尊敬するごく普通の女の子であった。

真面目に働き、真面目に家族や部下を想い、真面目に家族を愛していた。

そんなごくごく真面目な父を尊敬しているヴァイスハイトだったが、

グラーフに目をつけられた時、現実を目の当たりにした。


あのグラーフという女は、ヴァイスハイトの父をこともあろうに侮辱したのである。

父に尋ねてみれば、フリューリング家はウノアール家からは支援を受けており

ウノアール家はほかにもたくさんの家を支援する名家であるという。


その瞬間、この学院にいる間…いやもしかすれば一生、

あの女の下にいる事が確定したと感じ取った。


悔しかった。


あんなにも真面目に頑張っている父が、

どうして親の威光のみで威張っている女の下にならねばならないのか。


理不尽、そして不条理。


フリューリング・ヴァイスハイトは誓った。

ウノアール・グラーフに最大の屈辱を味合わせると。


父の名を汚らわしいその口で軽々しく貶した事を後悔させると。


仕返しをするため、グラーフがボロを出すのを待った。待ち続けた。

そして、あの日、グラーフはやらかした!

ストランドフェルド家は、大戦で成り上がった今注目を集める貴族。

その長女に対し、無礼を働いた!

千載一遇のチャンスだった。


すぐさま、父に報告した。

父には常々、グラーフの悪態を報告していた。

支援を切るには、本当に都合の良いきっかけだった。


しかし、倒したいのはウノアール家ではない、グラーフ本人だった。

ヴァイスハイトは、さらなる屈辱をグラーフに与えるため、

あらゆる情報をかき集めていた。

その結果、面白い事にあの冷血漢、キーファブッチ・ウィルパーソンは

ストランドフェルド家の長女と婚約者なのだという。


あの冷血な男が婚約者に情を抱くとは思えないが、

ダメ元で噂と一緒に、キーファブッチの家名に傷がつくかもとそそのかした、

すると、まんまとグラーフの所に向かっていった。


これから、面白い事が起こる。そう思っていた。


しかし、蓋を開けてみれば、どうだ。


エルフォールとグラーフはウィルパーソンの目の前で芝居の練習を見せるし、

それに対してアドバイスまでする始末。


わかってますか!?目の前のその人は婚約者を侮辱した悪童ですよ!!


あの時、叫びそうになったが、こらえた。


最後まで聞いていれば、なんと、王国主催の舞踏会にて

あの芝居を見せるのだという。


どうしてそこまで、あの女を助けようとするのか、理解できなかった。

怒りで沸騰しそうな頭を鎮めるべく、深呼吸する。


そして考える。あの女の尊厳を、地の底まで落とす方法を。


考えろ…考えろ…。


憎しみで頭が沸き立つ、視野が狭くなってくる。

しかし、ヴァイスハイトの思考は、

1つの光明を見出した。


「…国王の前で、喜劇が失敗すれば……?」


妙案を思い浮かんでしまった。


あのウノアール・グラーフに、一矢報いる方法を。


大きな恥をかかせる方法を。


「それにはまず、準備を進めないと…

 少し痛い目に遭うかもしれませんが…構いませんわよね…」


心の奥底で、笑いをこらえながら、

ヴァイスハイトはターゲットの名前を口にした。


「エルフォール様…!」



「へぶしっ」


屋敷の中で、エルはくしゃみを1つ。

父は心配そうにエルの傍に駆け寄ってきた。


「おぉ!エル!季節の代わり目だからな、風邪などひいていないか!?」

「…問題ありませんわ…」


エルの脳内には、国王の前で喜劇をする

そのプレッシャーがすでに伸し掛かっていた。


「そうだエル!良い知らせがあるぞ!国王主催の舞踏会があるんだ!」

「…存じておりますわ」

「その招待状をもらってある、お前に渡そう!」

「…存じておりますわ…」

「その舞踏会では、お前とウィルパーソンの婚約発表もあるぞ~!」

「……存じておりますわ…」

「エルはなんでも知ってるなぁ!パパは嬉しいぞぉ~!!」


ヴァイスハイトの企みなぞつゆ知らず、

エルは父親に溺愛されていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


王家主催の舞踏会。

先ほど父から渡された招待状を眺めながら、

エルはひとつ溜息をついた。

「はぁー…」


国王の前で、グラーフと漫才…という名前の喜劇を行う。


国王とは幼少の頃、幾度か面識があるが

普段よく出会うのは父の方であった。

舞踏会自体、当分は先の話ではあるが、

今からでも緊張が果てしない。


「珍しいね、お姉ちゃんが溜息なんて」

「ベロウ…」


弟であるベロウフォールが、エルに後ろから声をかける。


「私だって、溜息だってつきますわ…」

「どうしたの」


隣に立って顔を覗き込む。

その表情から、ベロウには憂鬱な感情が読み取れた。


「昨日も昨日で学食がパスタ…」

「パスタ」

「今日も今日とて学食がパスタ」

「またパスタ?」

「明日も明日できっと学食がパスタ!」

「…?」

「そして、10年後の今頃も、きっと学食がパスタ!」

「…」

「毎日毎日同じことの繰り返しで、

 お姉ちゃん生きてるって気がしませんわぁ~!!」


途中から何かを察し、ベロウは口を閉じてしまった。

しかし、エルは問答無用と言わんばかりにしゃべり続けた。


エルがようやく止まったかと思えば、ベロウがようやく口を開く。


「お姉ちゃん、留年するつもりなの?」

「もう!!」


求めていた返事と違う内容が帰ってくれば、ぷい、と膨れ面でそっぽを向いた。

ベロウは首をかしげ、何が言いたかったのかわからない姉に1つ問いかける。


「ところで、婚約破棄はどうなったの?」

「あーーーーっ!!?」


突然の大声にベロウはビクゥ、と背筋を強張らせた。

そして改めてエルの反応を見れば、驚くほどに大量の汗をかいていた。


「…もしかして…何も話してない?」

「………」


こくり、と頷く。


「…お姉ちゃん…そっか…」


諦めたようにベロウが腕を組んでうんうん、と頷く。

その後、右手をサムズアップさせ、姉に突き付ける。


「寮から引っ越す時は手伝うから!」

「のぉぉぉぉぉん!!!」


頭を抱えて咆哮するエル、

それを見ながらベロウは、けらけらと笑っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「グラーフや」

「はい…お父様…」


ウノアール家の屋敷、当主の書斎にて、

グラーフの父、アンバウ伯爵は自分の椅子に腰かけ、目の前の娘を見つめていた。

グラフは、同じように椅子に腰かけ、恐る恐る、項垂れていた。


「お前には、常々教えているな、ウノアール家である事を誇りに思いなさいと」

「…は…はい…」

今、グラーフにとっては重い言葉である。

自分の責任で、ウノアール家の名に泥を塗ったようなものなのだから。


「…グラーフ、誇りとはなんだ…答えられるか?」

「…」

「少なくとも、その名を鼻にかけて威張る事ではないだろう

 …今のお前ならそれはわかるはずだ」

「…ッ」


優しく、諭すような言葉に唇を噛む。

本当であれば、自分の仕事に支障をきたした自分の娘を怒鳴りたいだろうに。


今のお前ならそれはわかるはず、

その言葉にある信頼に、グラーフは既に泣きそうになっていた。


「いいか、グラーフ、…誇りとは名誉だ、

 称えられるべきであり、汚される事を許さないことだ。それは間違いではない」


話しながら、懐からスタンプを取り出し、押印部分をグラーフに見せる。

左右反転されたウノアール家の紋章が、そこにはあった。


「…誇りとは与えられるものだ。自分から産みだすものではない」


アンバウ伯爵が立ち上がれば、グラーフの目の前にしゃがむ。

そして、グラーフの手を取れば、そのスタンプをしっかりと握らせた。

グラーフは、しっかりとスタンプを握りながら、父の瞳を見つめた。


「だがその誇りを手放すのは、いつも自分なのだ。わかるな」

「お父様…」


スタンプに目を落とせば、左右反転になったウノアール家の紋章が目に入る。

グラーフは、そのスタンプを押す父の姿を思い出していた。

小さなころのグラーフは、父がそれで何をしているのかもわからず、

遊んでいるとさえも思った。


古い記憶が、頭の片隅から顔を覗かせた。


「たのしそー!おとーさま!わたしもやらせてー!」

「ああ、構わんぞ」


あの時は、一緒に封蝋の練習を延々としたっけ。


学院では、ウノアールの名を出せば誰もが言う事をきいた。

自分の父は立派だ、偉大なのだ。

それを自慢することが、誇りに掲げる事だと思っていた。


…今ならわかる。

このスタンプが使われるということは、

誇りをかけて、仕事をするという意思表示そのものなのだ。


自分はずっと、父の誇りを汚していたのだ。


「…ごめんなさい…」


ボロボロと涙があふれ出る。


「…ごめんなさい…お父様…!」


ぎゅ、と胸元にスタンプを抱き留めれば、二度と離すような真似をしないと

ウノアール・グラーフは、自らの誇りにかけて誓った。


「…お前は、自分の失敗から学ぶ事が出来た。それは大きな事だ。

 誰にでもできることじゃない」


アンバウ伯爵は、グラーフの頭を優しく撫で、微笑みかけた。


「それができるなら、立派な大人になれるさ」

「…ッ」


グラーフは、涙が溜まった目を両手でぐしぐしと拭けば、

しっかりと握りしめたスタンプを父に向けた。


「いいえ、お父様…大人なら、しっかりと責任を取りますわ…」

「…契約の事は気にしなくてもいい、私の仕事だ」


アンバウ伯爵が笑って遠慮しようとするが、

グラーフは首を横に振った。そして、涙で真っ赤になった目で父を見つめた。

その目は、決意の眼差しである事を、アンバウ伯爵は理解した。


「わかった…どうするつもりだ?」


諦めたように頷くアンバウ伯爵。

グラーフからの計画を聞いたアンバウ伯爵は

ひどく、困惑しながら頭を抱えたそうな…。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


数日後…。


キーファブッチ・ウィルパーソンは、王城へとやってきていた。

謁見の間、扉には巨大な王家の紋章が描かれている。

その前に立てば、さすがのウィルも緊張が走る。


(まさか…手紙を送ってすぐに謁見の許可が下りるとはな…)


ウィルは、王家主催の舞踏会、そこで行う予定のエルフォール主催の喜劇、

その許可をもらいにやってきたのだ。


謁見の間の兵に、王から謁見を許可された手紙を見せ、扉を開けてもらう。


ギィィィ…。

「キーファブッチ家、ウィルパーソン様が入られます!」


兵が扉を開けば、最奥にある巨大な椅子、玉座に座る王に対し、大声で報告する。


「…」

緊張が走る。ウィルは、幼少の頃に国王と出会う事があったが、

それ以来、会う事も話す事もなかったのだ。


目の前まで歩けば、跪いて頭を下げる。

「キーファブッチ・ウィルパーソンです、

 この度は、このように謁見の時間を用意していただき、

 感謝いたします」


礼儀正しくも冷気を帯びるような感情の無い挨拶に、

思わず見ていた兵も生唾を飲む。

この若者は一体…何を企んでいるのか。


まるで戦争でも起きるかと思うような緊張感に包まれた空間。

そんな空間を裂くように、王が口を開いた。


「ウィル君久しぶりじゃの~~~!!こんな大きくなってぇ~~~!!!」


(…は?)


頭を下げていて気が付かなかったが、いつの間にか王は玉座を降りて

目の前まで歩み寄っていた。


「元気しとったか?あ、イルドワンは来ておらんのか!?

 おぬし一人で挨拶に来るなんて…時が経つのは早いのぉ~~!!!」


まるで親戚の叔父が成人した青年に声をかけるときのような口調と柔らかさ。

変に緊張していた自分があほらしく感じてきた。


(なんだこの爺さん…)


国王に対して不敬な見方をするウィルであった。

いつまでたっても跪いているのも辛いので、許可を得て立ち上がる。


「あ、そうじゃ!エルちゃんは元気しとったか?」

「エルですか、ええ、大変元気ですよ」

「…!!」


突然、王の目がカッと見開く。

(なんだ…?何か間違えた事を言ったか…?)


ぞく、とするような眼光に思わず怖気付く。


国王がワナワナ、と震えながら言葉を漏らすように吐いた。


「…も、もうエルと呼び捨てにしておるのか…!?」

(…そこかぁ…)


本当に緊張するのがあほらしく感じてきたところで、

ウィルは本題に入ろうとしていた。

「……ところで、本日謁見のお願いに上がったのは、

 舞踏会に催し物の追加をお願いしたく思い、先日のような手紙を送った次第です」

「催し物…?」


王が首を傾げれば顎に手を当てる。

ウィルが頷けば、話を続ける。

「ええ、エルが考案した喜劇をお披露目しようと」

「…エルちゃんが…?」


口を開いて再び唖然とする。

王がふるふると震えて信じがたいものを聞いたかのようにこちらを見ている。

「…エルが…です」

何をそんなに驚愕する事があるだろうか。

困惑しながらも国王に再びそう伝えれば、国王は頭を抱えた。


「あの!!"人見知り"のエルちゃんが!!?」


頭を抱えながら放たれた言葉に、

ウィルは首を傾げそうになるのを堪えていた。


(…人見知り?あれが?)

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