第10話 弓道人の再々挑戦

二週間前に、秩父弓道場での行われる審査の受審番号と受付時間が発表された。それにより立ち順が決まる。五人立ちのため「おち」となったことから、川越弓道場での稽古も本番に慣れるため、この「おち」での行射と体配を中心に行った。と言うのも、過去の審査で苦い経験をしたからである。

それはさておき、審査会場への道のりは秩父市までの山越えであり、祝日と重なりオートバイや自転車のツーリングが多く、並走して走る有り様となっていた。ただ良かったことと言えば、カーナビの助けが大いに役に立ち、気持ちを楽にさせてくれたことだ。順当に迷いもなく山道を進み、審査会場の駐車場に止めることが出来た。受付を済まして、弓に弦を張り用意をして出番を待つが、進行が遅れているせいかなかなか五人のメンバーが呼ばれなかったが、遅れ気味に出番が来た。我らが射る射場は第二射場である。

順番が来るまで、審査会場での控え席に五人並んで座る。勿論、俺は「おち」ゆえ最後の五番目である。五人の顔を覗うことは出来ないが緊張感が漂う。無言のまま肩を揺する者、小刻みに足を震わせる者がいた。俺も、そのうちの一人だったかもしれないが、じっとして出番を待っていた。幾度も挑戦しているが、いやがおうにも背筋が伸びる。

そんな中で、我ら五人の審査が始まった。大前から順に審査場に入って行く。ゆっくりと前人に続き進み、立札五番の本座に摺り足で歩み着く。大前から次々に甲矢を射て行くが、前の四人とも的を外していた。

いよいよ俺の番かと意を決して、顔の正面に据える弦から「矢調べ」、「弦調べ」を行ない戻して、前人の弦音を聞き的に顔を向けてゆっくりと両手で弓と弦を引き上げていった。勿論、吸う息で動作、吐く息で間を取りながらであり、この動作こそ以前失敗したことであると思う。

それ故、心掛けたと言うか身体に染みついていたこととして、とにかくゆっくりと行うこと、落ち着いて焦らずに行うこと。それが効いたのか、今回は自然体でスムースに出来た気がする。

そう言えば、川越の弓道場での稽古で、今まで一手目の甲矢は中ったことがない。ところがである。五番目(おち)として射た甲矢が的に中ったのである。場内ゆえ「パーン!」と的に刺さる音が響いていた。これは奇跡としか言いようがない。さらに前の四人とも、次に射た乙矢が外れた。そして続く俺の番が来て、気負いすぎたせいか力が入ってしまったのか、また雑になったのか分からぬが、射た矢が的前安土上となってしまった。

直ぐに反省の弁が脳内を駆け巡る。甲矢が中ったことで、「よしっ、乙矢も中ててやろうか」と、意気込み過ぎたのかもしれない。後悔が先に立つ「それで今迄、川越弓道場で行ってきた慎重に進める行射を怠ってしまったんだ」と、複雑な心境になっていた。

「さもあろう、今迄何度挑戦してきたことか。その度に弾き返され、苦悩の日々を過ごしてきたではないか」「その屈辱をバネにして、日々の修練に励んできたんだ。先を行く仲間の後姿を羨ましく思い。また、何時かは追い着いてやろうと何度も思ったことか、夢見たことか」そんな思いが、ゆっくりと廻る走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。

審査後帰路に着くが、CDから流れ出る音楽が響き渡るなかで、大きく息を吸い少しづつ吐くと、鏡に映るにたり顔の俺がバックミラーに浮かび上がってくる。「なに、にやけているんだ。しゃきっとせい!」と、叱咤する自分が睨んでいた。

 秩父弓道場を後にして、山道を下り走る車の中で思い巡らす

「そう言えば、来るときはカーナビだよりに、よくもまあこんな曲がりくねった山道を登って来たもんだ。緊張していたせいか、スピードを控えめにし慎重に走ってきたように思う」

来るときは、早めに家を出て一時間二十分ほどで、秩父市の審査会場である弓道場に着いていた。係員に誘導され、本日のために設営された駐車場に車を止めるも、審査受付時間には、まだ一時間三十分程あり車内で音楽を聴きながら過ごす。俺の好きな「フリオ・イグレイシャス」のCDを挿入して、スタートボタンを押すと、流れ来る歌声に心が落ち着いてきた。しかし聞き入るも、遅々として受付時間の午前十時にはならずにいた。

一抹の不安が沸き上がってくる。「そう言えば、何回か前にどこの審査場だったか。今日と同じように、大分前に着いていたことがあった。葛藤が渦巻くなかで、審査を受けた。そうだ、雨が降っていたな」

そんなコンディションの悪い中で、トライしたんだ。甲矢の的を射抜く音がした。しかし、次の乙矢は的をかすって的前安土となっていた。ところが当時と違うところは、今日の秩父地方に雷注意予報が出ていたが晴天である。

「そうだった、帰り道の運転はウキウキ気分で走った記憶がある」

翌日、吉竹に聞かれもしないのに、「甲矢が中ったよ」と報告したし、松田にも一本中ったことを喋っていた。それも顔を崩してだ。数日経った金曜日に弓道場に来てみる。当然自分の名前が合格者として黒板に記されていると思い込んでいたが、名前がなく他の合格者名が掲載されていたのを思い出した。

「如何してなんだ、あの時甲矢が中ったではないか。それが不合格だなんて信じられん・・・」

絶句しながら、気もそぞろにその日の稽古をしていた記憶が蘇ってきた。

「今でも、そのことは鮮明に覚えている」

ふとそのことを思い出し、今回も同じようになるのではないかと不安が生じ、複雑な気持ちになっていた。期待が膨らむほどそれと比例して不安になる自分がいる。すなわち葛藤である。「これではいかん、平常心を持って修練に向かおう」と、鍛錬を続ける中でそうしようと気持ちを静めつつ、射に打ち込む己がいた。

期待半分、不安半分の複雑な面持ちで、水曜日の朝、何時ものように弓道場に来てみると、黒板に範士五段の合格発表者の名前が掲載されていた。「おや、秩父弓道場での審査結果はまだなのか」と思いつつ、「そうか、まだなんだ」と、一瞬安堵する気持ちが湧いた。そして、「もし審査発表が出ていて、己の名前がなければ以前と同様になったではないか」複雑な心境が、落ち着きを無くしていた。そんな状態の中で、行射の準備のために吉竹と共に的場の安土に的を取り付けていた。

今日の発表がなければ、明日か明後日には結果発表がなされるだろう。「まあ、今日のところは、まだどちらに転ぶか分からないが待つしかないか」と思いつつ、落ち着かないまま午前中の修練の行射を続けると、以外にも的に中る確率が少々上がっていた。

二桁の中りである。「こんな時に、これだけ伸びるとは思いもよらなかった」午前中の修練を終え、帰りの車中で思わずニンマリする自分がいたのだ。

しかし、現実は厳しいものとなった。

9月23日(金)午前十一時過ぎに結果発表がなされていた。すなわち、ニンマリと薄笑いを浮かべて帰路に着いていた頃である。従って午前中の道場の黒板には、まだ掲載されていなかった。

自宅に帰り昼飯を食い、つい待ちきれず、パソコンを開き埼玉県弓道連盟のホームぺージにアクセスし結果を調べた。秩父弓道場での審査結果が掲載されていたが、ものの見事に期待が吹き飛んでいた。がっくりとくる。「如何してだ。一本入っていたではないか。確かに乙矢は的前安土上となった。何故駄目だったのか」と、うろたえ悩む自分がいた。

翌々日(水)、何時ものように稽古に出かけた。モヤモヤする中で漫然と行射を行なっていた。その結果が二桁の中りである。

それはさておき、不合格になった原因が何であったか分かってきた。一瞬思い浮かべる。「あん時と、同じじゃないか・・・」と絶句した。

「最も注意すべく、修練を重ねてきた体配にあったとは・・・」

秩父での審査の時は分からなかった。きちっと縦横十文字に基づく引き分けが出来た上で、会での弓手一押しを行ない離れとしていると自分では思っていた。それ故、名前がないことに気落ちをしていたのだが、現実には弓手の一押しで縦横十文字が崩れ、気が付かないまま突っ込んだ状態で離れとなっていたように思う。これでは以前と同じ結果となり、何の進歩もなかったことになる。「まったくもって、何のために稽古を重ねて来たのか」と、己の不甲斐なさに腹立たしさが胸一杯となった。

しかしよくよく考えてみると、これが今の実力なんだと思い直す。悔しいが致し方ない。「とにかく、修練しかない。この体配がきちっと出来た上で、一本中てなければ前進がないのだと、気を引き締めて鍛錬を行ない、そして次なる挑戦を迎えよう。何時までも引きずっていても、なんの解決策にもならない」

「今やるべきことは、縦横十文字に基づく十分な引分けを経て会となし、弓手の一押しをすることなく迷わず離れとなすことである。それはこの基本がきちっと出来た上での行射を全うするしかないことだと思う」

そんな気持ちを抱き、頭と両腕による大の字を描く引き分けを行なう取り組みを徹底する必要がある。確かにこの取り組み方は、他人様の受け売りかも知れないが、これが会での縦横十文字を死守するための基本中の基本となることで、絶対に忘れてはならないことなのだと心に刻み、きちっと出来た上での明日があるのではないかと決心する。

次なる挑戦は十一月であり、それに向けて己を信じて大いに頑張ろうと思う。明日が月曜日で稽古日であり、この縦横十文字の引分けの行射方法が正しいか否か確かめる心算である。とにかく的に中るかどうかは二の次で、試みることが第一優先となる。その結果が的に中るか否かと言うことでもあろう。一抹の不安はあるが、試みてみなければ先へは進めないのだと戒める。

「まあ、あれこれと能書きをたれたが、これも俺自身の他愛のない戯言に過ぎないかも知れないがな」・・・。

「おおっと、本音を漏らしたが。十一月の審査がまた失敗すれば、次なるチャレンジが待っているし、絶対諦めたりしないからよ」

「しかし改めて考えてみれば、まったく間の抜けた弓道人のように思うぜ」と、己の身の丈も考えず、他人事のごとくの物言いであった。

それから二週間の日々が経つ。その間の修練を振り返ってみると、果たしてチャレンジ失敗の反省点が生かされている鍛錬なのかと自問自答してみるも、確かに的に中る本数は増えた気がするが、充分生かされているか甚だ疑問符が付く今があった。

「いかん、こんなことでは一歩も前進していない。まったく、何をやってんだ」さらに、「何をしてきたのか、会での縦横十文字の引き分けが出来ているのか。あいや、少しも進んでいやせん」と、自分を卑下する。

さらに、「頭と両腕による、大の字を描く引き分けをよ!」ガツンと、雷ごとく脳天に落ちてきた。

「こりゃ、己への戒めだ。厳粛に受け止めねばならん」神妙に口を結ぶも、直ぐに頬が緩み「・・・あっ、これも戯れ言だがな」と漏らす。

そして歳を食うと、すぐに忘れることに気づき、カツを入れたくなる程だ。「いま、自問自答していたばかりなのによ。何とかせんか、まったくもって。・・・しかし、ほとほと自分が嫌になるぜ」己の頭を軽く叩いた。



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弓道人の戯言(ざれごと) 高山長治 @masa5555

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