第8話 弓道人の掛け合い

各人が射た後に、矢取りから戻ってきた吉竹に葉山が話し掛ける。

「今日の出だしの一手目と二手目の調子は如何ですか?」

すると吉竹が「二手目が良かったよ。甲矢、乙矢とも立て続けに的に中ったからな。ところが一手目は調子に乗れなかったので、今一つかな」

「そうですか。でも、二手目の二本が的に中ると言うことは、調子が上々と言うことの現れですよ」と、葉山が羨まし気に返した。

さらに続けて、「私なんか、一手目も二手目も的を外しましたからね。出だしとしては、まったく良くないです。今日の稽古のこれからを表わしているようで、気が滅入りますよ」と渋い顔になり、自分から話題を変える。

辺りを見回して、「そう言えば、今日は佐々木さんも鎌田さんも来ていませんね」と言うと、「確かに、両名はいませんね。都合が悪いのでしょう。多分、他に用事でもあるんじゃないですか」と吉竹。すると葉山が「今日はいませんが、佐々木さんの行射ってすごいですよね。四矢中最低三本は的に中てるし、鎌田さんだって、佐々木さんと張り合うように的に中てていますからね」さらに「それに比べ、俺なんか四矢中一矢中れば御の字ですよ。四矢全部外すことがざらですからね」そして、吉竹を観つつ「それに吉竹さんは、鎌田さんや佐々木さんと同様に、ぽんぽんと的に中てているじゃないですか。そんなに中る秘訣があるんですかね。この際、極度の不振の私目に、中る秘訣を内緒で教えて貰えませんか」

吉竹が、「いやいや、彼らのようにはいきませんよ」と手を横に振りながら、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。すると、葉山が羨まし気に漏らす。「佐々木さんや鎌田さんのようにはいかないまでも、せめて吉竹さんの足元にでも近づきたいもんだ」

すると吉竹が曰く「やはりセンスの問題じゃないですか。葉山さんの行射をみると、そのセンスがウチワのように見えますからね」と貶すと、葉山が返す。「どうせ、そうでしょうよ。俺は扇子にはなれないし、団扇がぴったりです。まあ、そのうち百均で売っている扇子ぐらいにはなってみせますから。観ててください」

そんなやり取りを覗っていた片桐先生が口を挟む。「二人とも無駄口を叩いていないで、もっと真剣に取り組まんか」と叱咤した。続けて「特に葉山さんは、今度三段の審査を受けるんでしょ。高い審査料が無駄にならないよう、よっぽど努力しないと駄目だな」

すると、葉山が先生に返す。「頑張ります!」

それを覗っていた松田が「先生の言われる通り。成果は日頃の稽古をどれだけやったか、どれだけ真剣に取り組んだかで決まるもんですよ」と、檄を飛ばす有り様となった。

そんな激励に葉山が心の内で呟く。「いや、言われるまでもなく。俺も一生懸命取り組んでいる心算なんだが、なかなか難しいことばかりだし、最近悩むことが多いよ。今度の審査は如何なるんだか」

さらに続けて、「そう言えば、今度の審査は秩父弓道場が審査会場だよ。遠いけど頑張るしかないか」、「しかし、この歳になって。なんで弓道なんか始め、いまだに続けているのかな」と、審査を前にした稽古にも係わらず迷いが生じていた。

そんな浮かない顔で、椅子に腰かけ次の場立ちの準備を行っていると、同じく妻手に弽を付けながら出番待ちをする山村が話し掛けてくる。

「葉山さん、先日ある指導書を読んでいて、なるほどと思ったことが書いてあったんですよ」

「そうですか。いったいどのようなことが書かれていたんですか?」と尋ねると、「いや、射技は分かるんですが。射法すなわち心の持ち方については書かれていないんです。射法訓には『心を総体の中央に置き・・・云々。而して心を納む、是れ和合なり。』とありますよね。また、射義(礼記)では、『・・・内志正しく・・・』さらに『射は仁の道なり。射は正しきを己に求む』と書かれていますからね。これって、『己の心、すなわち精神』ということになりませんか?」

すると葉山が応ずる。「それって、結局のところ心の持ちようということじゃないですか弓道って、技術ばかりではなく己の心と言う精神面での強化が必要と言うことですかね。その点を考えると、私なんか二番目いや一番弱いところですよ」

さらに続けて、「その点山村さんは、どっしりと構えていて素晴らしい弓道精神を持っているじゃないですか。この辺を私なんかに説くよりも、男前の吉竹さんに説いた方が共感すると思いますよ。ほら、見てください。射位でのあの姿。取り組む姿勢が、私なんかと段違いですから。なんと美しい」

吉竹が射位で的に向かいゆっくりと引分け、会から離れへと進んだ瞬間、矢が弓から離れ一直線に的に向かい、「パーン!」と弾ける音がした。

葉山が呟く、「すごいですね。吉竹さんの射は、迫力が違いますよ。それに比べ、私など比べものになりませんよ。うむむ・・・」唸っていると、山村が「吉竹さんは、弓道の神髄を心得ている。それが今の射に現れているな・・・」と、ため息をついた。

そんな山村の様子を垣間見る葉山だったが、それ以降の山村との会話は途切れていた。そして、葉山の出番となる。場内への入口で姿勢を正し、真剣な顔つきで行射を行なうべく、弓手に弓を持ち、妻手に二本の矢を持ち腰に両手を構え、国旗に揖をして、摺り足で入って行った。射に向かう葉山の脳裏から、先ほど来山村と話していた会話など完全に消えていた。それほど、全神経が行射の方へと集中していたのである。

時が静かに流れるなか射位に立ち、おもむろに弓の弦に甲矢を番え、左膝頭の上に本弭を乗せ、妻手を元の腰の位置に戻す。そして、弦を顔の正面に向けおき、次に弦調べ矢調べを行ない顔を正面に戻す。前者の射た弦音を聞き弓の弦に妻手をかけ、静かに息を吸いながら両手で打起し頂点で吸った息を吐き、大三まで息を吸いながら妻手の肘を折り、息を吐きつつ間を取る。そして弦に番えた矢を、目一杯引分け会とする。これも吸う息で引分け会となす。吸う息と吐く息での動作が続くことになる。

妻手で引いた弦に負けないよう、やはり吸う息で弓手の弓を押しつつ、的に矢先を合わせて吐く息で間を取りつつ会となす。そして、瞬時に全神経を集中したところで、息を吸いながら甲矢を放った。

「パーン!」という快音が響き、耳に突き刺さってきた。その余韻の中で残心を保持し、心内で五まで数えたところで、両手をゆっくりと腰の位置に戻し息を吐き、続けて吸う息で顔を的から正面に戻した。

そして、続き乙矢を射るべく弦の中仕掛けに筈を番えて、弦を顔の正面に置き妻手を腰の位置に戻して、次の射を待っていた。この乙矢が中るか否かは、射てみなければ分からない。甲矢が中ったからと言って、次が必ず中るとは限らないのだ。行射は微妙な動作で大きく違ってくることは大いにある。ここで気持ちが緩んだり、気負い過ぎてはいけない。甲矢の結果など引きずってはならないのだ。

錬士六段の先生や五段の松田さんとて同じことが言える。その中で卓越した射技を持って、的に向かう鎌田さんや佐々木さんの射を観ていると、中る確率が高く四矢中三矢は間違いなく的を捉えている。

「はて、俺とどこが違うのか。何処かが違うのだろうが、皆目見当がつかないのが本音だよ。俺も早くとは言えないが、いずれそのようになりたいものだ」と願望が湧くが、すぐに現実に戻る。

「けどよ、ここはやはり弓道の達人と弓道の凡人との差なのかも知れないな」妙な納得感が湧いてきた。

それはさておき、的前安土が続いているとき、佐々木さんに尋ねたことがある。

「佐々木さんは何時も中りが、八十%以上の確率ですよね。その秘訣は何ですか?」

すると、平然と答えてくれた。「妻手の引きに負けない弓手の押しですよ。これがきちっと出来れば、必ず的前安土は解消できるから。弓手の押しが、どれだけ出来るかが大切なんです。妻手の引きに劣らない弓手の押し。ここがポイントですよ。但し、気を付けなければならないこととして、弓手の押しばかり意識しすぎては、会での縦横十文字が崩れてしまいますから気を付けてください」平然と応えてくれた。

「そうですか、弓手の押しですか。それと、私の最大の弱点である突っ込みを無くすことですね。」すると、佐々木が「その通り、弓手の押しと妻手の引きがバランスよく出来ていることが重要なんです。気を付けてください」適切なアドバイスに「有難うございます。佐々木さんの教訓を大切にし、心に刻んで精進します。有難うございました」葉山は心から感謝の意を伝えた。

それ以降、佐々木の教えを懐にふたたび行射を続けるが、劇的改善など簡単ではない。身体に染みついた動作を直すには、それなりの努力が必要であり、絶え間のない精進無くして変えることは難しい。一度着いた癖を直すには、三倍以上の努力が必要となる。

それは、日常生活の中でも同じことが言えるのではないか。例えば車の運転や鍛錬しているウクレレの弾き方でも、しなれたことや、やり慣れたことを変えるのは勇気のいることだし、切り替えようとすれば容易には出来ないものだ。それは十数年続ける中で実感している。

結局のところ、この歳で初めて五年になる弓道だって、若い弓道人らと比べたら覚えは悪いし、身体が素直に動いてくれない。そんな中で、続けることは大変だけれど、気概だけは失くしたくないし、努力だけは惜しまないようにしようと心掛けている。

「そうだ疲れたら、時々休憩を挟めばいいんだ。これぞ、長持ちの秘訣じゃねえか」と、己を擁護した。


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