第7話 弓道人の稽古ぶり

数日が経った月曜日の朝、何時ものように葉山が早朝ウォーキングを終え自宅に帰る頃には、東の空が白みかけていた。早朝家を出るころは、夜空のちょうど東上に金星が、ひときわ光を放ち輝いており、西の空には火星が輝く。勿論、無数の星の輝きの中でである。

小一時間のウォーキングで、額から滴り落ちるほど身体中が汗まみれになり、家に着く頃にはTシャツにべっとりと纏わりついていた。

この七月の時期には特にそうだが、汗をたっぷりかくせいか気分も爽快になる。「今日の稽古の下準備はこれでいい」と自分に言い聞かせ、ひと息付く頃には完全に夜が明け月曜日の一日の始まりとなり、落ち着いたころに朝飯にありつくのが定例となっている。

午前八時過ぎに車で自宅を出て、何時ものルートを川越武道館弓道場へと向かう。曜日によっては交通量や信号機の赤に変わるタイミングで、だいたい八時三十五分頃には着く。駐車場に車を止め、暫らく車内で時間の経つのを待ち、八時四十五分に車から出て武道館に入るが、その頃になると仲間の吉竹や先輩の松田、それに片桐先生らが武道館に到着する。いや、吉竹は俺と同じくらいの時間には着いている。

弓道場に入ってから、まずやることは、自分の弓に弦を張ることから始め、その次に安土に的を設置する。これが完了するまでに、道場内の清掃と立位置札の設置、さらに本座札や射位札の設置を行ない準備が完了する。但し、俺と吉竹が的の設置をお行ない、他は後から来た仲間がやっている。

いよいよ本日の修練が始まると思うと、慣れたこととはいえ少々緊張感が走り、身体が引き締まってくる。しゃんと背筋を伸ばし、準備運動を行ないながら稽古開始を待つ。週に三回ほど弓道場に通うのだが、何時ものこととは言え身の引き締まる思いが湧いてくる。俺にとって、この独特の淡い緊張感がたまらない。

「さあ、今日も頑張るか・・・」張り詰める空気の中で一呼吸する。

五人立ちでの一手目は、皆自然と真剣な顔付きになり、列になって射場内へと摺り足で入場して行く。この摺り足の進め方は前者に合わせるため、全員が揃っている様は見ていて美しく感じるものだが、当の本人たちは目線を前者の腰の辺りに置き四メートル先に注ぎ、左手(弓手)に弓を、右手(妻手)に二本の矢を持ち、弓の先と矢の先が中央で交わるように構えて進むのである。

静寂の中で厳正なる儀式のような気がして、身が引き締まる面持ちのまま摺り足歩きで進む姿はなんとも言い難い。「これぞ、伝統の武道ではないか」と思う瞬間である。

「俺は、何時もそう感じている」

本座で揖をして、それぞれ射位に進み立ち、同時に坐者は腰を浮かせて坐る。俺の場合は都合で坐射ではなく立射のため、そのまま射位で執り弓の姿勢で、正面を向いたまま立っていることになる。そして、大前から順番に矢を放ってゆく。

今回の一手目では俺が五人立ちの三番手となった。二番手が矢を放つと、いよいよ俺の番である。大きく息を吸い吐いて、弓構えから両手でゆっくりと弓と矢を番えた弦を、息を吸いながら打起し、頂点で吐き間を取り、そして吸いながら大三へと進み息を吐く。さらに息を吸いながら大きく引分け会へと進み息を吐く。そして、息を吸いながら的に向けた矢の離れとした。その時点で前傾姿勢の残心の姿となる。離れでは弓が大きく廻り、そこで生じる残心の姿は、永遠の引き分けと称される。が、それについて深く考えたことはない。

離れで射られた矢が的に向かい、「パーン!」と音を響かせた時の快感は、残心とともに身体中に染みわたるものだ。けれど的に中らず、的前や的後あるいは的上や的下の安土に吸い込まれた時の音は、中った時の快音とは正反対である。

本来弓道では自然体で臨むものと言われているが、なかなかその境地に至るのは難しい。特に駆け出しの弓道人(俺のことだが)には、行射で射法八節の各動作を自然体になろうと心掛けてはいるが、顔に出てしまう。喜怒哀楽を現わしてはいけないと言う不文律を、つい犯してしまうのだ。

俺とは正反対に、一射目で大前での吉竹が、甲矢をめずらしく外したことがあり、その澄ました顔が何とも涼しげな顔であったのを思い出す。次の二番手の松田も同様の結果であったが、外したにも関わらず冷静に口元が引き締まっていた。

それに比べ三番手の葉山の甲矢が中った後、本来はすまし顔でいなければならないのに、口元が若干緩んでいた気がする。まったくもって情けない。

いずれにしても一手目は手始め故、皆緊張する中での行射となるため、自然体の動きが難しいが、松田さんや片桐先生は動きがスムースで、無駄な動作が皆無である。やはり経験の差があるのはいがめないと感じるし、よく観察して自分の行射に生かせればと、つくづく実感しているがままならない。

そんなことで「俺なんか、何時もそう思うよ」と他人事のように漏らし、己の経験不足と技量のなさに、ほとほと呆れるばかりだ。

一手目の甲矢の行射が全員終わり、続いて乙矢へと進む。大前から次々に矢を放っていったが、いずれの五人とも的を外していた。

一手目が終わり、続いて二手目へと進む際の立ち順は同じでも、一手目のような射場への入場行進は行わない。特に言う立射方式と言われるものだが、立ち順に入場するが一手目のような緊張感ほどのものはなく、射位についてから各人がそれぞれの動作で的に向かい射る。打ち終わると各々が順に退場し、全員が打ち終えた後、五人揃って自分の矢を取りに的場へと向かい、それぞれが的や安土に刺さった矢を抜き取り戻って行く。なお、一手目の入りは、国旗に向かって揖をした後三歩で本座線に入るが、立射方式の際に五歩で入る場合がある。それは大前がそのようにすれば、後は四人が同様に行う。

いずれにしても、二手目を終えると緊張感の取れた顔には、納得し笑みを浮かべる者もいれば、また渋い顔をする弓道人がいる。悲喜こもごもである。

午前中に弓道場に稽古に来る弓道人の数は、曜日によって異なるが、だいたい十二、三名前後で、多い時には十六名超になる。それも全員が一斉に弓道場に来るわけではない。途中から参加する者も含めてだ。それはさておき、五人立ちの修練は順次行われて行くのだ。引き続き葉山は矢取りを終えた後、次の行射順番を待ちつつ、弽を付け直し行射の準備に入っていた。


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